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2016京都を歩く ⑯醍醐天皇の菩提を弔うために朱雀天皇+村上天皇が建立した醍醐寺五重塔は荘重な表現

2016年10月23日 | 旅行

2016年5月 京都を歩く⑯ 不動堂 護摩道場 五重塔 祖師堂 弘法大師・理源大師 弁天堂 

 金堂の隣の不動堂に参拝する。
 金堂の基壇は整然としていたが、不動堂は基壇からして荒々しい。堂内には真ん中に厳しい顔の不動明王が座し、左右に2体ずつの明王がいかめしい顔をして並んでいた。
 明王は如来の変身で、それぞれに尊格があり、5体並ぶときは中心的な位置づけが不動明王だそうだ。

 堂の手前の広場は護摩を焚く場=護摩道場で、ここにも厳しい顔の不動明王がにらんでいた。これだけにらまれれば、邪気も払えたに違いない。一礼して、真後ろに建つ五重塔に向かう。
五重塔(写真)は、醍醐天皇の菩提を弔うために第一皇子の朱雀天皇が着工し、第二皇子の村上天皇時の951年に完成した。国宝である。
 高さ38mの上に13mの相輪をのせ垂直性を強調しようとしているが、五重塔全体は荘重で安定感が感じられる。
 680年ごろに建てられた法隆寺五重塔は高さが52mほどだが、醍醐寺五重塔に比べて細身で優美である。法隆寺は回廊を廻し、境内の東に金堂、西に五重塔を配置するため、金堂と五重塔が一体的に計画された結果であろう。
 対して、醍醐寺は山裾に堂宇が並ぶ配置で、五重塔は単独で建ち上がっている。そのため荘重なデザインが意図されたのかも知れない。あるいは、時代が荘重さを求めていたのかも知れない。

 五重塔の西北、参道に面して祖師堂が建つ。
 醍醐寺は真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝が上醍醐山上に小さな堂を建てたのが始まりになる。その後、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇の信仰を受けたことから、真言宗小野派の中心的な位置づけになったそうだ。
 醍醐天皇は空海に弘法大師の諡号を与えている。また聖宝には東山天皇が理源大師の諡号を与えているので、この祖師堂には弘法大師と理源大師が祀られている。
 右手が弘法大師のようで、木彫りの大きな像が座している。左が理源大師らしく、開祖に遠慮したのか、比べてはるかに小さく座している。温和な顔に合掌する。

 
 その先にひょうたん形の池があり、朱塗りの太鼓橋がかかっている。太鼓橋を渡ると、朱塗りが新しい弁天堂が建つ。
 弁天堂といえば本尊は辨財天である。七福神の一人で、女神である。
 そのためか、方形屋根の軒先をそり上げた形は軽やかであるし、緑の樹陰に覆われた朱塗りが鮮やかで、金堂、不動堂などが堂々として荘重なのに対し、柔和な感じがする。

 ひょうたん池の右に、寿庵の看板を掛けた休み所があるが閉まっていた。この先は行き止まりで、柵が巡らされている。
 あとで仁王門=西大門で聞いて分かったことだが、回転式で出ることはできるが入ることはできない一方通行のパイプ扉が設置されていて、ここから上醍醐に登ることができるそうだ。
 しかし、そうした説明がなかったし、パイプ扉がさびていて使われていないように感じ、仁王門=西大門に戻ることにした。

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