♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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知人、緊急入院

2013-10-12 13:12:43 | 日記

 

64歳の知人(男)が、

昨夜、緊急入院した。

 

今、お見舞いに行ってきた。

 

俺の診断では、

メニエル氏病かラクナ脳梗塞だろうと思う。

 

それにしても病気と天災は、

急にやってくる。

 

大地一人のメタヘルス健康法をぜひ、

実行してほしいもんだ。

 

だが聞く耳を待たない人ばかり。

 

ま、自業自得と言うとことか。

 

それにしても、

二年半ぶりに病院に行ってきたが、

懐かしい気がした。

 


大地一人、釣り人が嫌い

2013-10-12 08:14:42 | 日記

 

俺は「趣味が釣り」と言う人は、

あまり好きじゃない。

 

「あまり」とつける理由は、

 

  1. 魚を感謝して食べてあげる
  2. きちんとした仕事をしている

 

・・・以上の二つのことをやっていれば、

逆に「すばらしい人」と思うことも多いからだ。

 

逆に、釣った魚を、そのまま殺したり、

釣り糸を、その辺に捨てていく人は、

「このバカ」とか「バチアタリメ」と思う。

 

こういう人は大嫌いだ。

 

よく釣った魚の大きさを自慢する人がいるが、

これだって、どんなに大きくても、

上の二つの条件を満たさない限り、

「バチアタリメ」と思う。

 

魚にも命がある。

 

単なる趣味とか面白いだけで、

生物の殺害を繰り返すと、

惨めな来世が待っているだろう。

 

統計によると、

あらゆる趣味の中で、

釣りの人が、

一番、死ぬ確率が高い。

 

海釣りで船が沈没したり、

山中の沢釣りで、いろいろな原因で、

死んでしまう。

 

大地一人、

魚たちの「倍返し」ではないかと思っている。

 

因果応報とはよく言ったもんだ。


共産党 君らの党は アメリカ製?

2013-10-12 05:32:13 | 日記

 

 

戦前の日本では、

「結社の自由」は、

法律により、大きく制限されていた。

 

治安維持法が有名な法律であった。

 

特に、共産党は、

存在そのものが、

否定されていた。

 

ところが戦後になると、

GHQにより生まれた憲法では、

「言論および結社自由」が、

大きく保障されることになった。

 

その結果、

日本共産党が、

合法的に誕生したわけだ。

 

労働三法により、

労働者の権利も、

大幅に保障された。

 

つまり、日本共産党は「アメリカ製」なわけだ。

 

むろんアメリカは、共産党は好きじゃなかった。

 

自国でも、「赤狩り」をやっていたし、

国際的には、ソ連と冷戦の関係にあった。

 

しかし、戦前日本では、

10人近くの共産党員が、

官憲の拷問により、死亡していると言われ、

その中でも有名なのが、

作家の小林多喜二だ。

 

そういう冬の時代を救ってくれたのが、

アメリカだったということは、

歴史の事実だ。

 

共産党のキャッチフレーズは

「アメリカの言いなりになるな」

であるが、

「アメリカの言いなりになったからこそ」、

日本共産党が誕生したということも確かだ。

 

逆に、世界中の共産主義国家では、

拷問や市民抹殺や強制収容所が存在していたし、現在も存在している。

 

同じ共産党内でも、権力闘争が非常に激しく、

降格や除名処分・・・あるいは処刑や暗殺が、しばしば行われている。

(注:俺の知っている日本共産党員は、すばらしい人も多い)

 

中国の文化大革命を振り返ると、背筋が寒くなる。

 

日本でも、あの野坂参三(名誉議長)が、除名されている。

 

現在、共産党の幹部たちが、

枕を高くして眠れるのも、

アメリカのおかげだ。

 

世の中とは面白いもんだ。

 

 

 

 

 

 

 


コメ農家 君らの土地は アメリカ製?

2013-10-12 05:00:25 | 日記

大地一人、

総合的に見ると、

TPPは推進すべきと思う。

 

それが一時的に、

一部の既得権者のマイナスにはなるが

一般国民の大きなプラスになると思うからだ。

 

そして、農家のかなりの部分が、

そもそもアメリカのおかげで、

「自作農」になった・・・という事実も忘れてはいけない。

 

いわゆる「GHQ主導で行われた農地改革」のおかげである。

 

農地改革は・・・・

法律は昭和21年10月に成立し、実際の作業は、

昭和22年3月の第1回買収から、

第16回買収(昭和25年7月)まで行われた。

 

これにより日本の農地の所有・利用の関係は大きく変化した。

 

戦前の農業は、地主―小作人という関係の中で、

存在した。

 

すなわち農地改革実施前の昭和20年には、

わが国の農地面積515万6000町歩のうち自作地は

278万7000町歩(54%)でしかなかった。

 

残りは、小作人が、

地主から土地を借りて、

耕していたのである。

 

しかし農地改革後には、

自作地が90%を占めるようになった。

 

 

つまり昭和25年7月までに合計193万3000町歩が、

小作農等に売り渡たされたのである。

 

農地の売り渡しを受けた農家は

474万8000戸に上った。

 

その結果、小作農は全農家(617万7000戸)のわずか5%にまで減少した。 

 

これらの自作農の努力によって、

農業生産力は著しく発展したわけだ。

 

農家は、アメリカの横暴を非難するが、

そもそも農家そのものが、

アメリカ製・・・というケースも多いはずだ。

 

農地の売り渡しを受けた農家は

474万8000戸もあったからである。

 

そういう農家は、

アメリカには深く感謝せねばならないはずだ。