今日(10月7日)は、
俺の母の命日だ。
母の人生から学ぶことは、
女性として、
いろいろある。
まず母ほど、
家族と縁のない女性は珍しいだろう。
大正時代、北海道の旭川市で、
裕福なお菓子屋の一人娘として生まれた。
学校の成績は非常に優秀だった。
ところがまず思春期に、すごい美人の母(幼名・佐野キク)と死に別れ、
20歳で、父親(竹林與三平)と喧嘩し、家出する。
その後、二人の男(横川信雄・中山勝)と結婚するが、
縁がなかった。
離婚したり、家庭内別居の状態だった。
(このころ母は毎日「死にたい」と言っていた。まるで念仏のように・・・)
また二人の子供(男女)を生んだが、
二人とも、縁がなかった。
つまり、親とも夫とも子供とも、
縁のない女性だった。
しかし母の性格が悪いというのでもない。
彼女は人生をマジメに生きている女性だった。
また頭も良く、
旭川高等女学校では、
成績は学年トップだった。
彼女の頭脳からすれば、
お茶の水大学にも入れただろう。
でも父親の反対で、
大学には行かなかった。
卒業後は小学校の教諭もしている。
その後、有名な電工会社に勤務している。
顔は普通だろう。
美人とは言えないが、
色がとても白かった。
金子みすず似のポッチャリ系だった。
趣味として文筆で、
エッセーや歌集など、本を5冊くらい出版していて、
その縁で、NHKテレビにも出演している。
そうそう。
名前を言うのを忘れた(笑)。
少女時代の名前は、竹林トキ子と言った。
ペンネームは竹林陽と言う。
「明るく生きたかったので、陽にした」と言っていた。
彼女は自分で、
「性格が岡本かの子に似ている」と言っていた。
いつまでも少女でいたいので、
一番好きな曲は「乙女の祈り」。
次に彼女の欠点を書こう。
彼女は体が、あまり丈夫じゃなかった。
だからいつも「キョーレオピン」を飲んでいた。
また気が強いくせに、
指導力はなかったので、
人生に挫折することが多かった。
しかも彼女が生きた時代は不幸の時代だった。
大正13年4月8日生まれ。
同年齢に越路吹雪や乙羽信子がいる。
軍都・旭川で、軍国主義の少女時代を送った。
母は激情的なところもあったが、
基本的にマジメな女性だったと思う。
「激情的でマジメ」・・・
ということは、
男とつきあいたいけれど、
男に誘われると
必ず断っていた。
その結果、自分の性欲には、
ずいぶん悩まされた一生だった。
会社勤務中の26歳のとき、
「いい人だから」と勧められ、
小学校卒の俺の父親・横川信雄と結婚した。
北海道の旭川から九州・佐賀に嫁ぎ、
しかし、父は「やさしい男」ではなかった(笑)。
DV男だった(母にも原因はあるが・・・)。
それで、俺が4歳のとき、協議離婚した。
母は一生、「甘えさせてくれる男」をもたなかった。
男が好きなくせに、男を拒否した人生。
そういう女っているよね。
(な~んか、中島みゆきに似ているぞ)
母の複雑な性格だった母を思うとき、
「女の真の幸福とは何か?」と、
俺は考えてしまう。
だから俺は、
どんな女性でも、
幸福にしたいと、
マジメに思っている。
そして今、
霊界の亡き母に好かれる人間でありたいと思うとき、
俺はマジメに、人生を生きざるを得ない。
どんな女性に出会っても、
母以上に複雑ではないと思うとき、
とても安心できる・・・・
その点、母に感謝したい。
俺は時々思う。
どんな女性でも幸福にできると。
藤圭子も、俺に相談すれば良かったのだ。
でも10人中10人の女性は、俺に相談する勇気を持たない。
そして滅びてゆく・・・
ま、それが女の一生だ。
まあ、しゃあないわ。