最近、大指揮者へ登竜門というか大指揮者のみが許されるイベント的演奏会作品として、演奏頻度がとみ高まってきたシェーンベルクの巨大な作品です(演奏するのに500人を要するとか....)。暇がないとこういう大作はなかなか聴く気がおこらないもので、正月休み最後の今日の午後など心身共にいい機会なので、しばらく前に買ったはいいが、そのまま放置してあったロバート・クラフト指揮によるフィルハーモニア盤(Naxos盤)を聴いてみました。
この作品はシェーンベルクが未だまっとうなロマン派の範疇に収まっていた時、つまり「浄夜」とか「ペレアスとメリザンド」といった作品を作っていた時期に作り始めたようですが、制作過程であまり作品が巨大化、複雑化したため、完成に手こずり、完成までに10年かかったという話は有名ですね。とにかく400人とも500人ともいわれる大規模な編成を要し、これをオペラとしてではなく、様々な要素を含んだ巨大な歌曲集のような形でストーリーを展開させていくあたり、まさにロマン派の総括に相応しいスケール感と複合性、そしてそれに伴う膨大な音楽的情報量があります。
聴きどころは沢山ありますが、まずはなんといっても冒頭のオーケストラによる序奏部ですかね。キラキラと輝き、リスナーを桃源郷に誘うようなオーケストレーションは大昔、この曲を初めて聴いた時から魅了されました(ちなみにこれラヴェルの「ダフネとクロエ」の「夜明け」に似てませんか?)。
次に第7曲以降のオケの間奏曲までの数曲で聴ける、ワーグナーの「トリスタン」風な、壮麗かつ官能的に高揚する音楽は、まさにロマン派の極致といったところでしょう。節々に強烈な不協和音が鏤められているのは、いかにもシェーンベルクらしい冷徹なダイナミズムを感じさせたりもしてこれもまた聴き所ですね。その後に続く、単独でも演奏されることが多い「山鳩の歌」は作品随一の名曲です(以上第1部)。
ブリッジのように短い第2部はオーケストラがマッシブに炸裂するあたりが聴き所でしょうか。第3部ではオーケスレーションが10年後になされたせいか、暗い色彩に彩られた強烈な響きに満ち満ちています。そこから主人公の救済に至る最終部分はナレーション(シュプレッヒゲザング)を中心としますが、これはい明らかに無調以降のスタイルというか響き多少唐突な感もありますが、暗から明へ一気にムードを変えていくあたりは素晴らしい高揚感があります。
という訳で、ロバート・クラフトの演奏ですが、基本的には遅めテンポで淡々と演奏しているという印象ですが、彼より後輩の指揮者は(シャイー、小澤、インバルなど)、ほぼ完璧にロマン派の曲として演奏しているのと比較すると、ロバート・クラフトの演奏は現代音楽ルーツとして、やや杓子定規というかザッハリッヒな演奏しているというところでしょうか。
それにしても、この「グレの歌」、今さっきしらべてみたら、ここ数年、アバド、ラトル、シノーポリ、レヴァインなどなど沢山でているようで、しばらく前のマーラー並の頻度でCD化されているのかもしれません、もはや古典なんですね、この作品も....。
この作品はシェーンベルクが未だまっとうなロマン派の範疇に収まっていた時、つまり「浄夜」とか「ペレアスとメリザンド」といった作品を作っていた時期に作り始めたようですが、制作過程であまり作品が巨大化、複雑化したため、完成に手こずり、完成までに10年かかったという話は有名ですね。とにかく400人とも500人ともいわれる大規模な編成を要し、これをオペラとしてではなく、様々な要素を含んだ巨大な歌曲集のような形でストーリーを展開させていくあたり、まさにロマン派の総括に相応しいスケール感と複合性、そしてそれに伴う膨大な音楽的情報量があります。
聴きどころは沢山ありますが、まずはなんといっても冒頭のオーケストラによる序奏部ですかね。キラキラと輝き、リスナーを桃源郷に誘うようなオーケストレーションは大昔、この曲を初めて聴いた時から魅了されました(ちなみにこれラヴェルの「ダフネとクロエ」の「夜明け」に似てませんか?)。
次に第7曲以降のオケの間奏曲までの数曲で聴ける、ワーグナーの「トリスタン」風な、壮麗かつ官能的に高揚する音楽は、まさにロマン派の極致といったところでしょう。節々に強烈な不協和音が鏤められているのは、いかにもシェーンベルクらしい冷徹なダイナミズムを感じさせたりもしてこれもまた聴き所ですね。その後に続く、単独でも演奏されることが多い「山鳩の歌」は作品随一の名曲です(以上第1部)。
ブリッジのように短い第2部はオーケストラがマッシブに炸裂するあたりが聴き所でしょうか。第3部ではオーケスレーションが10年後になされたせいか、暗い色彩に彩られた強烈な響きに満ち満ちています。そこから主人公の救済に至る最終部分はナレーション(シュプレッヒゲザング)を中心としますが、これはい明らかに無調以降のスタイルというか響き多少唐突な感もありますが、暗から明へ一気にムードを変えていくあたりは素晴らしい高揚感があります。
という訳で、ロバート・クラフトの演奏ですが、基本的には遅めテンポで淡々と演奏しているという印象ですが、彼より後輩の指揮者は(シャイー、小澤、インバルなど)、ほぼ完璧にロマン派の曲として演奏しているのと比較すると、ロバート・クラフトの演奏は現代音楽ルーツとして、やや杓子定規というかザッハリッヒな演奏しているというところでしょうか。
それにしても、この「グレの歌」、今さっきしらべてみたら、ここ数年、アバド、ラトル、シノーポリ、レヴァインなどなど沢山でているようで、しばらく前のマーラー並の頻度でCD化されているのかもしれません、もはや古典なんですね、この作品も....。