和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

これから湯に入ります。

2011-08-28 | 手紙
まだ、ブリヂストン美術館で開催されている「青木繁没後100年」の展覧会を見に出かけていない私です。最終日が9月4日。それまでに、なんとか行きたい。
とりあえず本を、というので、数冊本棚から取り出し、
パラパラめくっていると、あれこれと連想が働くのでした。
たとえば、青木繁から坂本繁二郎へ。そして坂本の牛の絵から、
たどりつくのは、夏目漱石の手紙でした。
そういえば、夏の今頃に、私は漱石のこの手紙を、毎年思い浮かべているような、そんな気がします(笑)。

「今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて来たのでせう。・・・日は長いです。四方は蝉の声で埋つてゐます。以上  夏目金之助」

大正二年に芥川龍之介へ宛てた手紙でした。
この手紙のなかに、

「どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可(いけま)せん。ただ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。」

という言葉がありました。
その三日後に、また久米正雄・芥川龍之介の二人へと、漱石は手紙を出しておりました。


「あせつては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可(いけま)せん。根気づくでお出でなさい。・・・それ丈です。決して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。/是(これ)から湯に入ります。  夏目金之助 」


さてっと、坂本繁二郎著「私の絵 私のこころ」(日本経済新聞社)の最初の絵は、カラーで「うすれ日」が載っております。では、坂本氏の文章から引用。

「大正と改元されたその秋の第六回文展に出品しました『うすれ日』と題した牛の絵・・うれしかったのは夏目漱石の評文を新聞で見たことです。切り抜きを保存しているのですが、『うすれ日は小幅である。牛が一匹立っているだけで、自分はもともと牛の油絵は好きでない。荒れた背景に対しても自分は何の興味も催さない。それでもこの絵には奥行きがある。もっと鋭く言えば、何か考えており、その絵の前に立って牛をながめていると、自分もいつしかこの動物に釣りこまれ、そうして考えたくなる。もしこの絵の前に立って感じないものは、電気にかからない人だ』という意味の文章でした。・・・・牛は好きな動物です。自然の中に自然のままでおり、動物の中でいちばん人間を感じさせません。大正時代の私は、まるで牛のように、牛を描き続けたものです。・・・」(p59~60)

それにしても、坂本繁二郎のあの馬の絵は、私にはわからないなあ。能面の絵は、私はうけつけません。なんて、実物も見ないで、カタログで、かってに判断しております。うん。それはそうと、青木繁展を見に行こう。

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