和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古本ソムリエ。

2010-09-04 | 他生の縁
本を読まない癖して、なんとも、本を読みたいと思っている(笑)。
そんな横着者の私なので、山本善行著「古本のことしか頭になかった」(大散歩通信社)をひらくと、楽しくなってくるのでした。
そこでは、「好き」という言葉が、自然で、採り立ての味わいがあります。
身構えた文章とは違った、さりげない有難みがあって、うれしくなります。
たとえば、

「今出ている『ユリイカ』10月号が吉田健一特集になっている。松浦寿輝さんが、清水徹さんと対談したり、吉田健一の名文選をしている。興味深い選ではあるが、私の好きな文章が入っていない。それは『わがシェイクスピア』。シェイクスピアの作品を散文にしたもので、これはもう絶品、珠玉とでも言うしかないものである。」(p76)


さてっと、それでは、
ちっとも読まない吉田健一を、これがきっかけで読めるかもしれないと、まずは古本屋へと、この本を注文(笑)。
その間に、さしあたって、手元にある新潮社の「吉田健一集成 別巻」(1994年最終回配本)を、取り出して、パラパラとめくってみます。この別巻にはシェイクスピア詩集や禿山頑太集。それにいろいろな方の吉田健一について語った文が掲載されている楽しみの一冊なのでした(笑)。

さてっと、今回、その別巻のドナルド・キーン氏が書いている文が印象に残りました。題は「吉田健一の思い出」。では引用


「長い間、私は吉田さんが毎晩のように飲んでいたと思い、どうして原稿を書けるのだろうかと思って不思議がっていたが、だんだんそうではないことに気がついた。つまり、飲む時は徹底的に飲んだが、勉強の時はほとんど飲まなかったわけである。しかも、吉田さんは実によく勉強していた。吉田さんの英文学の研究等を読んだことのある人なら、彼の学問を疑うことができないが、余りにも流暢な英語をこなしていたためか、一時英文学者の一部が吉田さんの本を見くびっていたようである。吉田さんはそういう態度を気にしなかったと思う。或いは未来の学者や一般の教養のある読者が自分の仕事を正しく評価するだろうという自信があったかも知れないが、認められるまでかなり待ったことは事実である。著作集が出ても、売れ行きは悪かったためか、神田の古本屋で特価品として一冊百五十円で捌いていることもあった。それにもかかわらず、吉田さんは読者に媚びるようなことをせず、彼独得の難解な文章で立派な本を書きつづけた。」(p3619


こんな箇所を読めば、その(著作集)一冊百五十円の頃に、古本のソムリエさんたちが、嬉々として、買いあさっていたのじゃないかと、愚考する私がおります。

もうひとつこれも引用しておきたい箇所。
篠田一士著「吉田健一論」(筑摩書房)に

「吉田健一氏はもともと英文学者ではないし、いまだって、そういう呼称で氏を指すことはほとんど意味がない。吉田氏は頭の天辺から足の先まで文学者なのであって、その文学者がフランス・サンボリスム文学の洗礼を浴びて文学に目ざめ、そのあとでイギリス文学を読んで、そのなかに感得したものを、それこそ氏自身の感受性のすべてを賭けて、たまたま日本語で書き記したまでのことである。傍目には、あるいはそう見えないかもしれないが、吉田氏はいわゆる研究書なるものをほとんど読まない。作品集一巻あれば、シェイクスピアだって、キーツだって、エリオットだって、なんでも書けるのである。当り前のことだというよりも、これが文学経験というものの唯一無二の正統的筋道であるはずだ・・・・ぼくなんかが、たまに研究書の類で、これはといったものを薦めても、吉田氏は一向に読もうとしない。学者の書く文章は読めないからというのが氏が常套とする遁辞だが、それはそうだとしても、やはり文学をあるがままの素面で受け容れようとする氏の不断の自己鍛錬のなせるわざだろうと思う。」(p119)

古本屋の均一台に作品集が一巻あれば、という心で、本のソムリエ氏は、この秋も古本祭りに出かけているのだろうなあと、「古本のことしか頭になかった」を読みながら思うのでした(笑)。


ちなみに、「古本のことしか頭になかった」に、
「『古本ソムリエ』の命名者は、ガケ書房の山下賢二くん。」(p40)とあります。

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