和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『何を話してもいい』という

2022-01-25 | 詩歌
月刊Hanada(令和4年)3月号が届く。
最後に掲載されている平川祐弘氏の連載をひらくと、
はい。最終回でした。

あ。これで終わりなのだと思うと、
今年で91歳になる平川氏の謦咳に接するような連載が
終わってしまうさびしさがあります。
うん。あとすこしすれば、これが単行本になるのだろうか。

さて、最終回のどこを引用しましょう。
ここなどは、どうでしょう。

「北京の日本学研究センターへは1992年、95年、98年と
三回教えたが、なつかしい。その人たちの思い出を書くと、
ヒトラー政権に次第に似て来た習近平政権だから、あるいは
迷惑が及ぶかもしれない。残念ながら略させていただく、
言論の自由の無い国はどうも寂しい。

後に日本にも孔子学院が開設され、そこへ招かれた。
『何を話してもいい』というから、次の年号を並べて
講義を始めた。歴史を巨視的に見渡すと、その先に何が見えるか。

 1789年はフランス革命の年であった。自由の旗がひるがえった。
 『自由トハ政治支配者ノ暴虐カラノ心身ノ安全保護ヲ意味スル』(ミル)

 1889年は日本に憲法が制定された年であった。
 『憲法ノ精神ハ第一ニ君権ヲ制限シ、
  第二ニ臣民ノ権利ヲ保護スルコトデアル』(伊藤博文)

 1989年は中国に民主を求める人が天安門広場を埋めた。
 モスクワの赤の広場からは独裁者の像が撤去された。

 では2089年にはどうなるであろうか。
 『政治支配者ノ暴虐』を体現した非文化的大革命を
 発動した人の肖像は、なおその壁面から人民を
 支配し続けているであろうか。

それきり孔子学院から招待はない。
私は諸方面で行動するから、中国戦線が硬直状態なら
別の方面へ転戦する。
1998年秋にアテネで開かれたハーン学会へ赴いた。」(p353)

平川祐弘の連載『一比較研究者(コンパラティスト)の自伝』。
その最終回は題して『年賀の詩で生涯をたどる』となっておりました。
そのはじまりは、
「年賀状に書いた私の詩を並べると、私の生涯はほぼ辿れる。」
とあるのでした。
うん。それでは、そこから私が気になった箇所をとりだしてみます。

「確かに悪態はつく、髪は黒い、平川は憎い、いや心憎い――
 しかし殊勝にも、良き人には優しくありたい、と願っています。
 人生の晩年に花を咲かそうと密かに・・・」(p356)

「老い先は長い、人生の旅先で何をするか。
 老年にはその楽しみがなければならぬ。
 それで・・・・
 元旦にあらためて思う、八十代にはさらに
 一花咲かせねばならぬ、と。
  ・・・・
 晩秋の一輪の薔薇の方が見事なこともある。
 その花には棘もある、自由のために悪態もつきたい、
 世界への興味はつきない。・・・」(p358)

 「若いころ私は外国詩を訳して年賀に代えたが、
  2017年の新春を、半世紀前に用いたリルケの一詩で、
  ふたたび寿いだ。

  年は去る、だがなにか車中にでもいるようだ。
  私たちは萬物の前を通過する、年はとどまる
  まるで旅の窓ガラスのかなたの景色のようだ。
  ある時は陽があたり、ある時は白く霜がおく。  」(p358~359)



はい。この連載が単行本化されたなら、
さまざま新刊書評が載るのだろうなあ。
ひと足先に読めたのを、感謝しながら、
さて、あらためて読み直せますように。
コメント
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