和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

小学校卒の新聞記者。

2019-11-04 | 地域
鶴見俊輔・野村雅一対談「ふれあう回路」(平凡社)。
これを読んでいると、あっちこっち紹介本があるので、
つい、気をとられて、荷が重いという気分になります。

べつに、引用本の方にとらわれなければいいんだ(笑)。
ということで、引用してみます。

最近ユーチューブを見ていると、たとえば、
高橋洋一さんは、新聞なんていらない派。
小気味いい論説をはっております。

たしかに、昔の新聞と、今現在の新聞とは違う。
どこが、違うのか?
その手掛かりになるような箇所が、対談にありました。

鶴見】・・・あとになっても、新聞記者出身の作家たちで、
子母沢寛は大学を出ているけれど、
長谷川伸、吉川英治、みな小学校だけの学歴なんですよね。
書く文章が普通のなだらかな、ひざを交えて話し合うような文体で、
だからその流れが、幕末の最初の新聞から、明治、大正とあったんです。
ところが昭和に入ってから早い時期に、新聞が大卒だけしか
とらなくなると、そこから新聞が変わってくる。

野村】ですから、知的な訓練を受ければ受けるほど、
コミュニケーションのおもしろさというようなものも、
他人と交流することのおもしろさも、わからなくなってくる
ということがあるんですね。(p128)

さてっと、この対談本の最後に、
ふたりが、お薦めの本を紹介するページがありました。
そのなかで、鶴見俊輔氏は
柳田国男著「明治大正史世相篇」を取り上げておりました。
うん。私は未読。未読ながらも本は本棚にある(笑)。
さっそく、そこの自序からだけでも開くことに、
その自序にも、新聞が指摘されておりました。

「・・・・そのために約一年の間、全国各府県の新聞に
眼を通して、莫大の切抜きを造っただけで無く更に
参考として過去六十年の、各地各時期の新聞をも
渉猟して見たのである。

ところが最後になって追々と判ってきたことは、
これだけ繁多に過ぎる日々の記事ではあるが、
現実の社会時相はこれよりも亦遥かに複雑であって、
新聞は僅にその一部をしか覆うて居ないということである。
記録があれば最も有力であるべき若干の事実が、
偶然にこの中から脱しているということであった。
・・・・生活の最も尋常平凡なものは、新たな事実として
記述せられるような機会が少なく、しかも我々の世相には
常にこの有りふれたる大道の上を推移したのであった。
そうしてその変更のいわゆる尖端的なもののみが採録せられ、
他の碌々として之と対峙する部分に至っては、
むしろ反射的にこういう例外の方から、推察しなければ
ならぬような不便があったのである。

そこで結局は此以外のものの、現に読者も知り
自分も知っているという事実を、ただ漠然と
援用するの他は無かった。・・・・」

う~ん。読書の秋。この機会に、満を持して、
柳田国男著「明治大正史世相篇」にチャレンジ。
ちなみに、この本の東洋文庫解説は益田勝美。





コメント
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