ビバさんのさんぽ道

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2013年鹿児島旅行(9)肥薩線の旅

2013-11-11 00:41:06 | 遠出(国内)
JR肥薩線は鹿児島県隼人駅から熊本県八代駅までの路線です。

鹿児島県、宮崎県、熊本県の県境を越えて急こう配の山間部を走る路線で、昭和2年の開通当時、海岸線を通らず、無理をして険しい山の中に通したのは、戦争が勃発した際に艦砲射撃を受けない山中を通せという軍部の判断によったからということです。

途中には木造の駅舎や鉄道遺産の宝庫で、山間部や球磨川沿いに絶景が見られるおもしろそうな路線なので、特急で通り過ぎず、3つの列車を乗り継いで楽しんできました。



嘉例川駅から3つ目の大隅横川駅です。



1903(明治36)年1月15日、嘉例川駅と同時期に誕生しました。
ここも無人駅ですが、国の登録有形文化財に指定されています。
ホームの柱には第二次世界大戦中に機銃掃射を受けた弾痕が残されているそうです。




吉松駅で観光列車「しんぺい号」に乗り換えました。
吉松 - 人吉間の運行で、上りは「しんぺい号」、下りは「いさぶろう号」と呼ばれます。
名前の由来は、吉松 - 人吉間が建設された当時の鉄道院総裁であった後藤新平と、逓信大臣山縣伊三郎によるものです。観光列車なので、途中駅では数分間の停車時間があり、駅の施設を見学することができます。また、駅間の眺めの良い所では停車し、説明が行われます。



車内は木造でシックに作られています。



真幸(まさき)駅には小さな駅長さんがいました。土日に近くの小学生がボランティアで駅長さんをしているのです。
ホームには「幸せの鐘」があり、自分の幸せの度合いに応じて鳴らしていいそうです。



近くに人家もあまりない秘境駅ですが、地域のボランティアの方達が特産品やお茶のサービスをされていました。駅に入るところでスィッチバックをします。

1911(明治44)年3月11日に開業しましたが、この駅は名前に反して不幸なでき事が続いています。
1945(昭和20)年8月22日多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生し、蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させ、53名が轢死しました。立ち往生の原因は、空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁が落下して肥薩線が唯一の運転ルートだったため、多くの復員軍人が我先にと列車にぶら下がり、満員状態だったこと、機関車も前と後ろ押しで走っていましたが、戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足だったことなどです。事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っています。せっかく戦争を生き延びてここまで帰ってきたのに、何ということでしょう。

さらに、1972(昭和47)年7月6日、梅雨前線による大雨の影響で駅の裏山斜面が崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み、死者4名、負傷者5名のほか住家28棟流失の被害を出しました。被害を受けた住民がほとんど他に移り住んだので、駅周辺はほとんど無人となったものです。


この時流れ込んだ重さ約8トンの巨石がそのままホームに残されています。





真幸駅から次の矢岳(やたけ)駅までの間は「日本三大車窓」の一つに数えられているところですが、あいにくの小雨模様で霧で見晴らしがよくなかったのが残念でした。
晴れていたら霧島連山とえびの高原、さらに条件が重なれば桜島、開聞岳までも眺めることができるそうです。



矢岳駅。1909(明治42)年11月21日開業の木造駅舎です。
肥薩線で最も高い場所にあります。(標高536.9m)






駅の構内に人吉市SL展示館があり、かつて矢岳越えで活躍していた蒸気機関車 D51 170が展示されていました。この展示館の中でも特産品が販売されていました。




大畑(おこば)駅。1909(明治42)年12月26日開業の木造駅舎。
「こば」とは焼畑を意味した言葉で、その昔大きな焼畑があったことからこの地名が付けられたという説があります。

駅を間に挟んで線路が半径300mの大きな円を描くループ線とスィッチバックの両方が設けられています。山深い一帯に鉄道を敷設するのには難工事が続き、多くの犠牲者が出たそうです。



ホームに残る湧水盆。乗客が蒸気機関車の煤で汚れた顔や手を洗うのに使われたそうです。
構内に給水塔跡もあります。



肥薩線で次々現れる木造駅舎、どれも無人駅となっていますが、温かみのある懐かしい姿を今も残していて、地域の方々が大切に守っている様子が伺えました。


人吉駅で「しんぺい号」を降り、「九州横断特急」に乗換えました。
右が「しんぺい号」、左が「九州横断特急」。

人吉駅から肥薩線の終点、八代駅まではほぼ球磨川に沿って走り、これもいい眺めでしたが、小雨に煙っていて、写真はなし。
熊本駅で特急を降り、新幹線に乗って京都に帰ってきました。

鹿児島・肥薩線の旅はこれで終わりです。

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