ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

京都府立植物園の春蘭展

2017-03-14 00:09:30 | その他の植物
京都府立植物園で3月10日~12日、「第25回春蘭展」が開かれていました。
12日13:30~15:00植物園会館2階の研修室で春蘭の育て方の講習会もあり、参加してきました。植え替えの方法を実演で見せてもらい、花の向きを変えるのは朝にしてはダメ、午後暖かくなってから花茎をそっと捩じるとか、花が終わったらすぐに花茎の下で切り取るとか、勉強になりました。
日本全国の低山、落葉樹の木陰に自生しているのはシュンランで、その中から花の変異種や葉に芸のあるものを集めて園芸化したものを「春蘭」と呼びます。
中国で古くから栽培されてきた中国春蘭は、日本のものより花茎が短いものが多いそうです。



これが一番野生種らしさを残しているようです。




赤花系。







春蘭展の他に、園内では梅が盛りでした。

椿園では有楽ツバキだけたくさん咲いていました。




桜はまだまだでしたが、シュゼンジカンザクラは蕾が膨らんできたところ。




カワヅザクラは濃いピンクの花が見頃になっていました。

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松ヶ崎疎水のスイセン

2017-03-09 17:23:11 | 松ヶ崎村風土記
松ヶ崎疎水の土手にスイセンがたくさん咲いています。風に乗っていい香りがしてきました。
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土佐漆喰の町・奈半利(1)

2017-02-19 00:47:52 | たてもの
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の終着駅・奈半利で降りて、駅のイタリアン料理店でお昼を食べてから、奈半利の町の散策に出かけました。

奈半利町は高知県の東部、阪神タイガースのキャンプで有名な安芸と室戸岬との中間、奈半利川の東岸にある交通の中心地で、古くは紀貫之の「土佐日記」でも「那波の泊」として記録され、山内一豊が土佐に入国した時にも宿泊したところです。
上流の木材を奈半利川の水運によって運搬・集散していましたが、やがて森林鉄道奈半利線ができてからさらに発展しました。さらに明治以降、樟脳や林産物・捕鯨・製糸業もさかんになって、この地域の中心地となり、その頃の伝統的建造物が今もたくさん残っています。それぞれの建物に説明文がついていましたが、ほとんどのお家が今も住み続けておられる民家です。



高札場。
ここを起点として高知県東端の東洋町野根まで、50km余りの野根山連山を尾根伝いに越えて行く野根山街道が続き、718(養老2)年にはすでに利用されていました。




江戸時代の旅籠屋、西尾家住宅。
主屋は江戸末期、台所・蔵・納屋・レンガ塀・便所は大正初期の建築です。
明治7年の佐賀の乱に敗れ、高知で捕えられた江藤新平が泊まったといわれています。




このお家には説明板はついていませんでしたが、奈半利の住宅の特徴は、このような漆喰の壁に水切り瓦がついて強い雨風に当たっても大丈夫なように造られています。
土佐漆喰は消石灰に発酵させたワラすさを加え水でこねたもので、糊を使わないので水に濡れても戻りがなく、厚塗りが可能できめが細かくなっています。




奈半利町4号津波避難タワー。海に近い町なので、このようなタワーがあちこちにありました。




うだつのある家・浜田家住宅(増田屋)。
主屋・店舗・レンガ蔵は1903(明治36)年築、大蔵・蔵は江戸末期築です。1795(寛政7)年創業で造り酒屋と質屋を営んでいました。主屋一階になまこ壁、二階にうだつが付けられ、土間の梁は50cm角、長さ12mの松材で地域随一の大きさです。




大蔵(酒蔵)と蔵(米蔵と道具蔵)。




曲線を描いた塀。




レンガ蔵。寄棟造り桟瓦葺き二階建、内部に木造の螺旋階段があります。
奈半利で見られるレンガの多くは阪神地方に木材を運んだ船が帰りにバランスをとるために積んできたものです。




改田家住宅。
主屋は大正初期の建築で、敷地内に主屋・釜屋・便所・風呂棟等があり、周囲を石塀で囲っています。




南面の石塀は、浜石を両面に埋めこんで高さ2.1m、厚さ36cm、長さ23mになっています。




東面の石塀はこの家独特のものです。








次は、登録有形文化財、近代化産業遺産の藤村製絲株式会社繭蔵です。




1899(明治32)年築。当初は酒蔵でしたが、大正6年に四国で唯一の製絲会社の繭蔵となり、平成17年までここで操業していましたが、現在はブラジルで行っています。




6段の水切り瓦は奈半利で最も大きなものです。








敷地の周りの石塀も明治のもの。門の右側は丸石、




左側は浜石を半割りにして小口を見せたものです。





近くに高知県の天然記念物、二重柿(ふたえがき)の木がありました。




樹齢は推定100年。渋柿で、内皮と外皮の二重になっています。




森家住宅。
「土佐の交通王」と言われた実業家・野村茂久馬の元住宅で、蔵は明治中期築、主屋と東西南石塀は1918(大正7)年頃の築です。戦後は料亭が経営されていました。
主屋は入母屋、桟瓦葺、西面は下見板張り、上げ下げ窓の洋風意匠です。








東側の塀にはレンガのアーチ門があります。




野村家住宅。
主屋は1922(大正11)年頃、東と南の石塀は明治後期の築です。
藩政時代は年貢米を集める地主で、「倉床(くらとこ)」と呼ばれていました。門の中には曲線を描いた石塀があります。




元奈半利町農協の米蔵、斉藤家住宅。
1938(昭和13)年築の蔵で、昭和23年設立の奈半利町農業協同組合の倉庫として利用されていました。妻面は腰壁に下見板張り、土佐漆喰の壁に水切り瓦、明かり取り用の窓に鉄製の扉がつけられています。


土佐漆喰の町・奈半利(2)に続く。
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馬路村へ行こうとしたけれど

2017-02-12 23:31:24 | 土佐の国
2016年11月に高知に行きました。今回は高知までの往復は、京都からの直通バスにしました。


翌日、東部の山間にあるゆずの里・馬路村に行こうと思い、高知駅9:19発の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗りました。土讃線から土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線には後免駅でそのまま乗り入れています。




車内の様子。途中のあかおか駅までは女性アテンダントも乗っていました。




安芸を過ぎて、10:42に安田駅に着きました。
やなせたかしさんがつけたこの駅の愛称は「やすだアユ君」です。近くの安田川であゆがよく獲れるのです。




安田駅のホームは高架になっていて、




まわりの田んぼが見渡せます。
正面の山の奥が馬路村です。




ここからバスに乗り換えて馬路村まで35分ほど、乗換え時間が3分しかないのに、バス停がどこにあるのかわかりません。駅に案内も書いてないし、人に尋ねるにも、人っ子一人いません。
うろうろしているうちに、目の前の通りをバスがさーっと横切って行きました。とほほ。
横断歩道を渡ると、




何と、左に見える棒くいがバス停の印でした。横から見ると棒がただ一本立っているだけにしか見えませんでした。涙涙・・・。やはり乗り継ぎ時間は余裕を持って計画しておくことですね。

次のバスは3時間も先になるので、仕方なく馬路村に行くのは諦め、1時間程安田駅で時間をつぶして次の電車で終点奈半利に向かうことにしました。馬路村にはまたの機会に行きたいです。
安田駅のホームで、上の田んぼ風景をたっぷり楽しみました。



次の電車は車体の横にオープンデッキがついているタイプでした。海沿いの高架上を走るので、潮風を直に受けながら景色を楽しむことができます。




海辺の狭い土地にビニールハウスが立ち並んでいます。




奈半利駅近くの鉄橋は立派なものです。




奈半利駅のシンボルは「なは りこちゃん」です。

臨機応変に予定を変更できるのが、一人旅ならではのいいところです。


土佐漆喰の町・奈半利(1)に続く。
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比叡山に雪が

2017-02-09 02:11:53 | 松ヶ崎村風土記
     

2月8日の昼間、比叡山にうっすらと雪がかかっていました。京都盆地の北側、北山の方は冬の間雪を被っている日が多いのですが、比叡山まで白くなる日はそんなに多くありません。
明日以降もまだまだ降りそうです。寒い!毎日が続いています。
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2016年西伊豆の旅 もくじ

2017-02-05 15:56:17 | 遠出(国内)
2016年11月中旬に行った西伊豆の旅です。

西伊豆の旅(1)堂ヶ島

西伊豆の旅(2)松崎の町

西伊豆の旅(3)明治商家中瀬邸

西伊豆の旅(4)伊豆の長八を訪ねて

西伊豆の旅(5)岩科学校

西伊豆の旅(6)海が割れる島ー三四郎島

西伊豆の旅(7)下田駅から熱海経由で帰る

伊豆の長八を訪ねて前から行きたかった西伊豆の町を歩き、独特の建物や文化、珍しい自然に触れることができました。
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西伊豆の旅(7)下田駅から熱海経由で帰る

2017-02-05 15:47:51 | 遠出(国内)
三四郎島で海が割れるのを見てから、堂ヶ島から下田を回って帰途につきました。


11時40分堂ヶ島発の西伊豆東海バスでバサラ峠を越えて、12時38分に伊豆急下田駅前に着きました。




駅前広場の椰子の木の下からも温泉が出ています。




駅の構内で金目鯛の駅弁を食べました。




13:16伊豆急下田発の電車は途中でJR線に乗り入れし、運転手も車掌もJRの人に変わります。




東伊豆の海を眺めながら走っているうちに雨が降ってきて、15:14熱海に着きました。




熱海の駅はさすがに観光客であふれていました。




駅前の足湯にもたくさんの人が入っていましたが、暖まってから、15:46熱海発のこだまに乗り、18:44京都に帰ってきました。

西伊豆の旅はこれで終わりです。

西伊豆の旅 もくじ
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西伊豆の旅(6)海が割れる島ー三四郎島

2017-02-05 15:13:16 | 遠出(国内)
松崎の町を散策した後、再びバスに乗って昨日訪れた西伊豆町堂ヶ島に戻りました。
なぜ昨日堂ヶ島に寄ったかというと、天気予報で翌日から下り坂になるということだったので、晴れた昨日のうちに遊覧船に乗って景色を楽しみたかったからです。その目論みが当たって堂ヶ島の海を楽しんだ様子はこちらです。

この日も早目に宿に入って海に沈む夕陽を見る企みです。


宿はバス停から歩いて10分程、海の側の断崖の上にあり、




部屋のベランダから見下ろすと、この絶壁です。








雲が多くなってきていましたが、何とか夕陽を見ることができました。このころは16時半頃が日没の時刻でした。

宿の近くの温泉何館かのお風呂を楽しめるチケットをもらって、お隣のホテルの温泉を楽しんでからお部屋での夕食タイム。



豪勢な夕食。




伊勢えびのお刺身は




後でみそ汁の出汁になりました。



『海が割れるのよ~♪ 道ができるのよ~♪ 島と島とが~つながるの~♪』 天童よしみの歌謡曲『珍島(チンド)物語』(1996年)に歌われているのは、朝鮮半島の南西端にある珍島ですが、西伊豆海岸にも海割れ(トンボロ現象)が起きる島がありました。堂ヶ島にある三四郎島では、大潮の時に砂の道(砂州)が出現して海岸とつながり、歩いて渡れるそうです。
三四郎島という名前は見る方向によって四つの島が三つに見えたりするからです。


この日海割れの起こる時間は午前10時10分頃とのこと。宿のベランダから見ていると、9時頃に三四郎島の中の一番海岸寄りの伝兵衛島(象島)と海岸の間に砂州が出始めました。








宿から20分程歩いて、砂州の付け根の所に行ってみました。海岸のバス道路から急な崖を降りた所です。




10時頃になりましたが、この日は完全には海に道ができないようでした。
それでも、一人の人が向こうの島まで渡っていったのは、長い防水ズボンをはいた漁師の方でしょうか。この辺りの海ではテングサがたくさん獲れるので、海にもぐったりして収穫しているのです。




ちょうど堂ヶ島の海岸付近では、暖かい海岸地方に多いツワブキがたくさん咲いてきれいでした。


西伊豆の旅(7)へ続く。
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西伊豆の旅(5)岩科学校

2017-01-30 02:17:10 | たてもの
国指定重要文化財「岩科学校」は、1879(明治12)年4月に着工、1880(明治13)年9月に完成した伊豆地域最古の小学校です。



日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られ、旧開智学校とは平成17年に姉妹館提携しています。
この頃松崎の村内では教育振興熱が高く、校舎新築費2630円66銭のうち、四割余りが寄付金で集まりました。




11:43長八美術館前発の西伊豆東海バスで11:49重文岩科学校に着き、3分程歩くと、松崎の町はずれ農村地帯の山際に、白い漆喰の目立つ建物が突然現れてきます。
なまこ壁をいかした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた建物です。







重要文化財 岩科学校
<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人300円【中学生以下無料】

なお、明治商家中瀬邸、伊豆の長八美術館との3館共通入館券は700円で購入することができます。




正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書です。
庇下の龍の彫刻は入江長八によると言われています。入江長八は、1880(明治13)年 65歳の時にもう一度故郷を訪れ、岩科学校や岩科町役場などで制作作業を行いました。








玄関の上は半円形のバルコニーになっています。




生徒の入口は男女別々で、正面入口の両側の廊下側から入ることになっています。
開校当初の生徒数は、男子89名、女子60名の計149で、6名の男性教員が教えていました。




校長室には校長の人形が。




教室の授業風景。




小使い室。




始業の合図は太鼓で行われました。




教室で昔の教科書や農具、早場繭の資料などが展示されていました。




二階正面のバルコニーを内側から見たところ。




バルコニー室の天井にある漆喰鏝絵のランプ掛けと、




上部壁の鳳凰の鏝絵(作者不詳)。








二階の廊下。



二階和室は裁縫や作法の授業に使われていましたが、四方の長押壁に長八の代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されています。和室では見たこともないような青い壁地の上に、138羽もの鶴が小さな鏝で描かれて部屋をぐるりと取り巻いて舞っています。












脇床の「山水図」と「美人賞蓮の図」も長八の作品です。








鶴の置物も、




この壺も漆喰で作られています。

長年念願だった伊豆の長八の傑作「鶴の間」をやっと見ることができて、大満足。伊豆の農村の子供達でもこんなに美しい建物の学校で勉強できたことはちょっとうらやましい感じがしてしまいました。

「岩科学校」の建物は、1975年国の重要文化財指定の翌月まで幼稚園として利用され、隣に岩科小学校の新しい校舎ができていましたが、少子化の波とともに2007年に廃校となり、「松崎小学校」に統合されてしまいました。




敷地内には1875(明治8)年に建設された岩科商社、のちに岩科村役場として使用された建物が移築復元され、「開花亭」の名称で喫茶・休憩所・お土産品売り場として利用されています。








開花亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものです。








開花亭でお茶を飲んでから、13:26重文岩科学校発のバスで長八美術館前に帰ってきて、松崎の町を再び散策しました。


西伊豆の旅(6)に続く。
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西伊豆の旅(4)伊豆の長八を訪ねて

2017-01-24 23:55:02 | 遠出(国内)
西伊豆松崎町は「伊豆の長八」の産まれた町です。
入江長八(1815(文化12)年 ~1889( 明治22)年)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した左官職人の名工です。貧しい農家の長男でしたが、生来の手先の器用さから12歳のとき左官棟梁のもとに弟子入りし、19歳の時江戸へ出て絵を狩野派に学びました。かたわら彫塑の技を修めて左官の業に応用し、漆喰を使って絵を画き彫塑して華麗な色彩を施し、新機軸をひらいてついに長八独特の芸術を完成、「伊豆の長八」として名を馳せました。
松崎の町には長八の作品が多く残されているというので、前から訪ねてみたかった念願がついに叶いました。



浄感寺。浄土真宗本願寺派。
長八の菩提寺でしたが、元禄時代の松崎村大火で焼失してから仮本堂となっていたのを、1845(弘化2)年~1847(弘化4)年に再建されました。この時31歳の長八は、浄感寺塾で学び育てられた恩返しにと、弟子2人を連れて江戸から帰り、再建に尽くし、本堂内陣天井の『八方睨みの竜』と、壁に漆喰細工の天女一対を描きました。(静岡県有形文化財)

現在、浄感寺の本堂は「長八記念館」となっています。
<開館時間> 9:00~16:00(不定休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】

残念ながら、堂内は撮影禁止で長八の作品の画像はありません。



本堂の正面柱、梁、海老虹梁は江戸時代の名人彫刻師石田半兵衛邦秀の透かし彫りが彫られています。
これは一木で彫られた波の中に鯛が泳ぐ彫刻です。




こちらは波の中に亀がいます。












境内にある入江長八のお墓。




長八の像。




長八が使った鏝を集めた展示です。
どれも繊細な細工をするのにふさわしい小ぶりなものです。





次に、すぐ近くの「伊豆の長八美術館」に行きました。
入江長八の仕事を残し、伝統の左官技術のすばらしさも一般の人に知ってもらいたいという思いが、松崎町活性化事業と共鳴して、1984(昭和59)年に建てられました。
館内には入江長八の作品約60点が展示されていて、入口で拡大鏡をもらい、細かい部分まで鑑賞することができます。残念ですが、こちらも館内撮影はNGなので、長八作品をお見せ
できません。

<開館時間> 9:00~17:00(年中無休)
<入館料> 大人500円【中学生以下無料】




建物の設計は石山修武氏で、1985(昭和60)年に建築部門の優れた作品を表彰する「吉田五十八賞」を受賞しました。




建築にあたっては、数多くの優能な技術者が全国から集まり、伝統の左官技術が建物や園内全体にちりばめられています。土佐漆喰の技も。




園内に左官技術の継承のために新しく作られたなまこ壁の建物がありました。


西伊豆の旅(5)に続く。
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西伊豆の旅(3)明治商家中瀬邸

2017-01-24 00:09:49 | 遠出(国内)
松崎のなまこ壁の家の中でも特別立派な「明治商家中瀬邸」がときわ大橋のたもとにあります。


明治20年、呉服商家を営んでいた依田家はわずか数代のうちに財をなした大地主でした。昭和63年に母屋や土蔵など七棟からなる邸を町が買いとり、総合案内所やジオパークビジターセンターとして活用しています。館内には、当時の呉服商の再現、観光案内、地場産品の販売、喫茶などが設けられています。

<開館時間>9:00~17:00(年中無休)
<入館料金>大人100円、中学生以下無料




正面の蔵は松崎ビジターセンターとして、伊豆半島のジオサイトを展示しており、こちらは無料です。




蔵の入口の扉には鏝絵(こて絵、左官が壁を塗るこてで漆喰の絵を描いたもの)で龍と、



虎が描かれていました。




中瀬邸の前には時計塔がありました。
大正13年昭和天皇のご成婚を記念して青年団により建設され、昭和13年の水害で水没しましたが、昭和62年にまちづくりの一つとして、再建されました。漆喰で作られています。




中瀬邸に入ったところは土間に続くお店の間で、5つ玉のそろばん等当時の呉服商のお店が再現されています。




明治時代の着物も展示してありました。




人力車もあり。




座敷は喫茶コーナーになっていました。




家紋の橘の花模様がかわいい釘隠し。




店の間から繋がっている土蔵の入口です。蔵の扉は黒漆喰で塗られています。




蔵の中の窓にも鏝絵がありました。












蔵を外から見るとこんな感じのなまこ壁です。




中庭。





舟底天井の渡り廊下の先にはギャラリーとアトリエがあり、昔早場繭の産地だった松崎の様子を表す機織り機などが展示されていました。

別の部屋では現代の名工の鏝絵の実演コーナーもありました。




家の裏側の道路に面した所に足湯がありました。


西伊豆の旅(4)に続く。
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西伊豆の旅(2)松崎の町

2017-01-21 23:35:55 | 遠出(国内)

西伊豆松崎の宿、翌朝の朝食も漁師町らしくお魚たっぷりのごはんでした。


松崎の町はレトロな建物でいっぱいでした。


散髪屋さん。




無料お休み処になっていた家。




その中にあった金庫。
松崎町は俳句が盛んな町らしく、各家の前に俳句の書かれた行燈が立てられていたり、この家も俳句の展示場になっていました。




ときわ大橋。
橋の欄干がなまこ壁になっています。




なまこ壁だらけの家。
なまこ壁とは、平瓦を壁に貼りつけ、目地を漆喰で海の生物なまこのように盛り上げて格子状に塗って仕上げた壁のことです。防火性・保温性・保湿性に優れ、松崎町では今も190棟余り残っていて、補修・新作のできる職人が町の重要資源として保全・啓発活動を続けています。




なまこ壁通りの家。
江戸末期に建てられた薬種商近藤家の家で、明治10年に生まれた近藤平三郎は東京帝国大学薬学主任教授になり、アルカロイドの研究に足跡を残し、文化勲章を受章しました。








松崎町観光協会になっている建物。






観光用だけでなく、普通の家でもなまこ壁の家がそこここにあって、今でもそこで町の人達の生活が普通に営まれていて温かみが感じられる町でした。



お肉屋さんで「川のりコロッケ」を買って、松崎港で海を見ながら食べました。

松崎町のあちこちでドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」のロケがあったそうで、聖地マップも作られていました。


西伊豆の旅(3)に続く。
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西伊豆の旅(1)堂ヶ島

2017-01-14 01:47:52 | 遠出(国内)
昨年11月中旬に2泊3日で西伊豆に行ってきました。
7:59京都発の「こだま」で三島に10:45に着きました。


車窓から見た富士山は真っ白な雪をかぶっていました。




11:06三島発の伊豆箱根鉄道駿豆線で11:41に修善寺に着きました。








修善寺駅は2014(平成26)年に、建て替えられたばかりの新しい駅でした。



駅構内にある食堂で「しいたけうどん」を食べました。
やはり関東に来るとうどんの汁も黒い醤油味でからいものでした。



13:01修善寺駅前を出る東海バスに乗り、14:16に西伊豆町堂ヶ島に着きました。
バスは修善寺から深い伊豆の山並みの中を走り、やがて伊豆半島の西海岸に出、海沿いを走ります。
後方にちらっと富士山が見える所もありました。




堂ヶ島ではバス停のすぐ前に洞窟めぐり遊覧船の船着き場があります。近くにお土産所を兼ねた「加山雄三ミュージアム」もありました。
15:00発の堂ヶ島クルーズに乗船しました。堂ヶ島のリアス式海岸と島々を巡り、青の洞窟「天窓洞」へ向かうコースで、定員43名の船に約25分の乗船で1700円です。この他に、もっと長く乗っているコースもあります。




西伊豆の海岸は約2千万年前から2百万年前までの海底火山時代の地層が隆起し、海水に削られて様々な変化に富んだ景色が見られるジオサイトです。








海上からかすかに富士山も見られました。写真では写りませんでしたが、右の島の上のほうです。




四つの島からなる三四郎島を見て引き返しました。




洞窟の入口が見えてきました。




「天窓洞」です。





船の縁ぎいりぎりの岩に当たらないように上手に穴に入っていきます。




島の地下が海水が入り込む洞窟になっていて、その真ん中でぽっかり天井に穴が開いていて、差し込んだ光で海水がエメラルド色に輝いています。




天窓を見上げたところです。洞窟への入口は3ヶ所ありますが、船が入れるのは2ヶ所で、遊覧船が中でぶつからないように交代で入っています。
前から一度見てみたかった「天窓洞」をついに目にすることができて感激です。




堂ヶ島から8分間バスに乗って隣の松崎町に移動し、旅館のすぐ近くの松崎港で夕日を見ました。西伊豆は駿河湾に沈む夕日の絶景スポットがたくさんあります。
この日はとてもいいお天気で伊豆の海を堪能することができました。




宿の夕食は、7種類の獲れたて地魚お造りとサザエのつぼ焼きなど海の幸満載のものでした。


西伊豆の旅(2)に続く。
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マキノのメタセコイア並木

2017-01-13 00:36:22 | 近江の国
生水の郷を出て、「かばた館」で昼食の後、高島市マキノ町のメタセコイア並木に行きました。


ここは高島市マキノ農業公園(マキノピックランド)の中にある並木道です。
約2.4キロにわたってまっすぐな道路の両側に約500本のメタセコイアが植えられています。1981年に地元の果樹生産組合が植樹したのが始まりで、四季折々の並木の美しさが有名になり、「新・日本の街路樹百景」の一つに指定されています。この日は紅葉にはまだ早く、濃い緑の並木が続いていました。

一時はやった冬ソナの聖地訪問に韓国まで行かなくてもここでも雰囲気は味わえるかもしれませんが、残念なことに中を通っている道は広い自動車道で、大型観光バスなども通るので、ロマンチックな夢想にふけるのは危険です。

マキノピックランドでは、さくらんぼ、ブルーベリー、ぶどう、くり、りんご、さつまいも、落花生等の果物狩りやグラウンドゴルフ、サッカー、野球等のスポーツ、野菜直売、レストラン等を楽しむことができます。

この近くには「マキノ高原温泉さらさ」もあり、いつか行ってみたいものです。



その後、琵琶湖の東側を走って、琵琶湖の南東「アグリパーク竜王」へ。

ここもいちご、桃、梨、ぶどう、柿等の果物狩りや農業体験、野菜直売、動物ふれあい広場、グラウンドゴルフ等ができるのですが、この日はすでにほとんどの果物の時期が終わっていて、




コスモスを自由に摘むことだけができたので、いっぱい摘んで帰りました。
滋賀県にはこの他にも、「アグリの郷栗東」や「ブルーメの丘」などの農業公園があちこちにあります。

帰りは琵琶湖大橋を渡って、小野から京都市大原に抜ける行きと同じ道で帰ってきました。琵琶湖大橋を渡る手前では道が渋滞して時間がかかりました。


針江もマキノもアグリパークも、どこも鉄道駅からは離れていて、自動車なしで一人で行くのは難しいので、前から行ってみたいと思っていた所に団体旅行でまとめて行くことができ、念願がかないました。
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針江生水(しょうず)の郷

2017-01-11 03:01:27 | 近江の国
昨年10月中旬に団体日帰り旅行で琵琶湖「かばた」をめぐる旅に行ってきました。
滋賀県高島市新旭町針江地区はきれいな水が豊富に湧き出ていて、「川端(かばた)」という水の湧き出る所が家庭の敷地内にあり、そこで水を汲んだり洗い物をして生活用水に使っていることで知られています。



針江大川。
集落の中に張り巡らされている川は水がきれいで、梅花藻がたくさん生えています。




針江公民館の横に見学の受付があり、ここで申し込んで必ず案内のガイドさんと一緒に見てまわることになっています。観光地ではなく、住人が住んでいる街なので、個人で勝手に見てまわることはできません。
たくさん参加の団体で予約してあったので、ガイドさんもたくさん待っていてくれて、15人位ずつで歩いてまわりました。




ガイドさんは住民ボランティアの方で、詳しく熱心に説明してくださいました。




住居とは別棟になっている「かばた」は庭に屋根をかけた小屋の中にあります。水は少し掘ると自然に湧き出てきたり、ポンプで汲み上げたりして出てきて、敷地の外の水路に流れ出ていきます。年中水温が一定なので、夏は涼しく、冬は暖かく使うことができます。

参加者はみんな紙コップを持ち歩いてどこの「かばた」でも水を汲んで飲むことができます。味は「かばた」によって少しずつ違っているそうです。




どの「かばた」にも鯉が住んでいて、食器を洗った時に流される食べかす等をお掃除してくれます。




集落の中の道はとても静かで、昔懐かしい村の風景です。




家の壁や塀は、腐らないように杉の木を焼いたものが多く使われていました。




あちこちに水がこんこんと湧き出ています。




住居と棟続きになっている「かばた」は曹洞宗正伝寺で見せてもらいました。




正伝寺境内の亀ヶ池も水が湧き出てたまったものです。




上原豆腐店では手作りの豆腐が「かばた」に浮かべて売られていました。




通りがかりの人が誰でも水が飲めるように家の外側に作られた「かばた」。




最近はハクビシンやイタチが出没して鯉を獲るようになったので、「かばた」の上にネットを張っている所もあります。

針江・霜降のこの地域にこのように湧き水が多いのは、比良山系の雪溶け水が湧き出し、しかもその先の琵琶湖に遮られて留まってここに湧き出てくるのだそうです。この地域の人達は水道水よりも上質の湧水を飲み水や風呂、洗濯に使い、庭の打ち水や洗車などには水道水を使っているのだそうです。
集落内の水路・川は生活排水で汚れていたこともありますが、下水の整備と水路の掃除など住民の努力で年々きれいになり、2008年に「平成の名水百選」、2010年に「重要文化的景観」に選定されています。少々不便なことがあっても、きれいな湧き水を使うエコな生活を守り続けているのです。

見学は、「針江生水の郷見学のご案内」を見て申込みされることが必要です。

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