八幡浜駅発 9:52 特急「宇和海」で10:26宇和島に着きました。
宇和島駅の前には椰子の木がそびえて南国の気分です。
駅の上はホテルになっています。
予讃線の終着駅らしく、ここで線路が途切れています。
駅舎の中にはアンパンマンの万国旗が飾られていて、
駅前に小型SLが展示されています。
宇和島と言えば、闘牛! ですが、実物は見ず。
駅前から宇和島バスに乗って6分、住吉町で下車するとすぐの所に宇和島市立歴史資料館があります。
元は1884(明治17)年に宇和島市広小路に建てられた宇和島警察署です。市内の70%が焼失した戦災も免れ、昭和28年南宇和郡西海町役場として移築され、平成2年までその役目を果たしていました。平成4年3月に宇和島に里帰りし、樺崎砲台跡そばに復元されたものです。
木造寄せ棟造り二階建ての擬洋風建築で、玄関はペジメント(三角切り妻屋根)を載せた張り出しポーチになっています。
入口上部のアーチの中央にはキーストーンを木で模した楔が飾られています。
外壁の角は石積み風になっています。
窓は分銅によって上げ下げする当時としては珍しい造りです。
玄関ホール。
1階の部屋では宇和島生まれの大正ロマンの画家、高畠華宵(1888~1966)の作品が展示されていました。
階段をあがって、
二階の広い部屋。
左にバルコニーへの出口があります。
小部屋では昔の消防用具など、郷土の歴史資料が展示されていました。
天井換気口の模様。
屋根裏の小屋組みが見えるようになっていて、「かぶら束」という放射状の柱が複雑な構造があり、洋風建築の技法を巧みに取り入れていることがわかります。
警察署として作られたにしては、優美な建物だと思いました。1996年に愛媛県で第1号の登録有形文化財に指定されました。
転変しながらも、よく残されてきたものです。
建物のすぐ横に史跡樺崎砲台跡がありました。
1855(安政2)年3月から12月にわたり、10ケ月かけて宇和島湾の防備として築造された砲台の跡です。黒船来航以来、諸国の沿岸防備を固めるようにという幕府の命令で、宇和島藩が西洋の築造法を導入して造り、5台の砲がすえられていました。
実際に戦いに使われることはなく、イギリス軍艦に対して礼砲を撃ったことがあるそうです。
模造大砲が1台復元されています。
庭内に戦争中の日本海軍魚雷酸素式機関部も展示されていました。
続きは
宇和島の町は、町としての魅力もいっぱいあるのに惜しい事をしたと思っています。
来年あたら バースデー切符の旅 再びしてみようかなぁ。
yumeさん、今度じっくり見てきてください。