日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

柔軟性

2011年09月23日 | Weblog
他人の嫌な面は自分も持ち合わせているところとはよく云われますが、私は自分の価値観のみでしか物事を判断しない人、決めつける人が苦手、と云うか嫌いです。
でも自分もそう云う面があると云うのなら、相当哀しいですが……。

私は昔からずっと、褒められるとか肯定されると云う事が殆どありませんでしたが、ピアノの先生から「直すところが一切なし」と大絶賛され花丸を貰った事が1度あります(笑)。
ピアノが大好きだった私にとって、それは天にも昇るような出来事でした。
それともう1つ、今も褒め言葉と信じて心に留めるているのは、高校時代の先生から云われた、「お前は考え方に柔軟性があるからそこを伸ばして行きなさい」と云う言葉です。
凝り固まったり決めつける人が元々大嫌いなので、考え方に柔軟性があると他人から云われた事は、私にとって本当に嬉しい事でした。
肯定された事がないのでそう云う事があると特に忘れないのですが、前者はともかくとして、考え方に柔軟性があると云う点は、本当にそうであって欲しいと事として願ってもいます。

でも考えてみると、付合いを絶った人と云うのは、超決めつけ方の人ばかりだなと思います。
絶対自分の価値観を曲げず、そこから逸脱している人や事は徹底的に否定したりバカにしたりする。
自分のやり方で上手く行かなかったとしても、決して他人からのアドバイスは受けない、自分のやり方は絶対曲げない。
そのくせ自分の考えは人に押し付け無理強いをするんですね。
それが嫌で段々疎遠になり、結果無理して付合う必要のない人だと判断するに至り、キッパリ関係の切れる人がとても多いのですが、こう云う人がもたらされて来ると云う事は、私にもそう云う要素ありと認めろと云う事でしょうか。
そうならないよう努めているつもりでも、そう云う人ばかり現れるって何かあるんだろうなともやもやします。

自分にとって信じられなかったり認めたくない事であっても、それが現実に起きているなら受入れるしかないと私は思います。
と云うか、否定し続ける理由も道理もない。
各自の思いはあるでしょうが、それは受入れた後から始まる事で、受入れる前からそんな事はどうこうと云うのは、ない話だと思います。
事実は小説より奇なりとよく云いますが、世の中には本当にその通りだと思う事がゴロゴロ転がっていて、そう云う事を一笑するだけなんて、世間が狭いと云う事にもなると思うのですがね。
そう云う気の毒な人にはなりたくないので、柔軟性を持った思考が出来るようでいたいと願っています。


どーでもいい話ですが……。
車の運転は、恐らく男性の方が上手いと思います。
チンタラ走っているのは大抵ジジババか女子か携帯をかけている人。
でもそう云う人は運転が酷くても、ああやっぱりと云う感じですが、男性の下手な運転は、女子のそれより数倍酷いのではと思います。
上手い下手を単純に男女差では分けられないとは思いますが、性差においての得手不得手はあると思われ。
何と云うか、下手な男の人と云うのは、下手さ具合があり得ないんですよね。
時々そう云う勘弁して欲しい運転をする男の人の後ろに着いたりすると、なんだかなあと思ってしまう、それだけの話です……。