日々、土器実測(仮)

発掘された遺物の図化作業メインのお仕事ブログのはずが、日々の徒然・スピ話ばっかりになっちゃってる日記。

羞恥心なんて

2020年08月31日 | Weblog
泣きたいけど我慢、割と出来る方ですし、人から泣いているのを見られたくないと云う思いはかなりあります。
でも、哀し過ぎると気持ちに反して涙は出て来るし、誰がどうなんて事は一切考える余裕もなく。
本当にただただ泣く、それだけ……。

最近は、心が折れそうな毎日で、ちょっとすると泣いてしまう。
終わる日が来るように思えない。

いい事も悪い事も、色々ひっくるめてあれこれ考えて、今までの事、これからの事、変わって行く当たり前を、どう受け入れればいいんだろう。
時間が味方をしてくれるのか、慣れてしまえるのか、今は考える余裕もなし。

奇跡が起きないかなあ。

早過ぎる

2020年08月27日 | Weblog
本格的に辛い状況になって来た……。
こんなに早いとは思っていなかったので、かなり動揺していますが、どうにもならない。

別の事だと思っていたので、真の原因を知って本当にがっかりしてしまった。
打つ手もなく、と云うのが、更にきつい。

持って来た命なのだから、と云い聞かせても、簡単には納得できるものではない。

なるようにしかならない、分かっているけど……。

今日の日に

2020年08月23日 | Weblog
今日は朝からどんよりする事が起きつつも、ぷっと吹き出すような状況でもあり。
心はモヤモヤするしざわつきましたが、自分の中にスッと入って来る沢山の言葉も聞けた。

色んな言葉を使って自分で腑に落ちるようにしているけど、腑に落とさなくてもいい。
理解できても出来なくても受け入れる。

「受け入れる」と云う事に関しては、流石に全ては出来ません。
人を貶めたり苦しめたり殺す事を快楽と思ったり、そう云う思考は端から対象外ですから。
でも、そう云う存在が在る、と云うのは、否定できない事実であり、受け入れざるを得ない訳で、そう云う点での「受け入れる」は致し方なしではありますけれどね(とっても嫌な事だけど)。

私にとっては難しいと思う言葉も多々ありましたが、でも、今日はその全てが光っていたと云うか、心にすんなり入り込んでじんわり染み込んだ気がします。
よかったな、こう云う言葉を聞く事が出来て……。

ず~~~っと、スッキリしない日々を過ごしていて、このままではどうにかなるかも、と思い始めていたけれど、ほんのちょっとの事で救われるものです。
いや、心が晴れる事は、多分その辺に一杯転がっているのだとは思う。
でも、それを見つける余裕がないんだろうな……。

無理矢理押し込まれて、すき間を作るために出て行くのが不必要なものとは限らないし、押し込み切れない事の方が断然多いと思います。
そんな時に、すんなり受け入れられる事ができたのは、本当にありがたい事だと思います。

ちょっと頑張ろうとか何とかやって行こう、そう思えた、誰か分かりませんが、今日この時に、心を支える言葉を私に見聞きできるようにしてくれた何かに感謝。

年かなあ

2020年08月05日 | Weblog
寂しいとか、感じた事が殆どなかったのですが、最近、メールに返信が来ないと寂しいとか、こっちが起こしたアクションにリアクションがない事に、かなりの寂しさを感じてしまいます。
昔は同じような事があっても、寂しいとかではない、つまんないのって感じだったんですが、それが今は、確実に寂しいに取って代わられました。

年取ったせいか、日々、思うに任せない、どうにもならない事ばかりなせいか。

諦めるしかない事が増えて、今まで感じなかった寂しさを感じるようになったのなら、長い事、自分は感情的には恵まれていたと思うべきなのかも。

諦めなくてはならない事が増えると、感情を殺す癖がつく。
そうしないと、自分の感情の起伏にやられてしまうから。
何が起きても、ああそうか、そう思うように自然に訓練されて、幾分楽にはなって来る。
その実、起きている現実のハードさには、なかなかのものがあっても。

穏やかとか平穏とか、そう云う事からちょっと縁遠くなってしまって、もう10年ぐらいになるかもしれず、更にここ数年は、その事に囚われると発狂しそう、そんな事ばかりで、波立つ感情を殺し続ける事にまみれている。

多くを変えない状態で、ここから解き放たれる時は、来るのかな。
何かが大きく動かない限り、そんな時が来るとは思えないのが、今の哀しい、寂しいところです。

中止

2020年08月02日 | Weblog
コロナのお陰であり得ないことが起きました。
我が家のお盆がなくなった(大笑)。
生まれて初めて、である。
こんな事が起きるとは、想像も出来ず。
恐るべし、コロナ……。

そもそも市内のメンツだけの予定ではありましたが、それすら中止。
えらい心配性がいるお陰ですが、しかし、折角お盆が立ち消えになっても、家族の問題がまた増え、喜びは一瞬の事でした。

この事は、家族がこの世からいなくなるまで続くと思われるので、腹くくって覚悟を決めるしかありません。
が、本人が余りにも……。

依頼心が強過ぎ、自分でアクションを起こす気ゼロ、誰かがどうにかしてくれると思っている。
現状を考えたら、ちょっとあり得ない思考の持ち主なので、振り回される周囲がたまったものではない。

何も出来ずに拘束され、どうしたらいいかと思い患い、心配してただただ疲れ果てるだけ。
家族より周囲が先に死んでしまいそうである……。

自分だけが生き残ったら、やる気出すのかな。

結局ここまで来ると、気の持ちようにかかって来る。
顔を上げる、前を向く、そうしようと思わない限り現実は変わらないのに、誰かが顔を挙げてくれる、前へ押し出してくれると思っている。
こっちは必至で押さえて顔を挙げて、よろよろでも前に足を踏み出しているってのに。

何時まで続くか、発狂寸前。