透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

あなたにしてみればささいなことでも

2009-12-08 | A あれこれ



 『偉いぞ!立ち食いそば』東海林さだお/文春文庫が書店に平積みされていた。早速購入、本日読了。

♪あなたにしてみれば 
ささいなことでも 
私にしてみれば
気がかりなの

昔こんな歌が流行った。歌ったのは、いしだあゆみ。この歌に倣ってこの本の読後感を記せば、

♪私にしてみれば
ささいなことでも
ショージ君にしてみれば
気になるの

といったところだろうか。「気がかりなの」ではちょっと意味が違うから、「気になるの」。

この本に限らない、ショージ君は世の中のささいなことを取り上げてユーモアたっぷりに論じてみせる。そして時にその指摘は鋭い。

赤い帯にあるようにショージ君は「立ち食いそば屋 メニュー全制覇」にチャレンジする。そしてこんなことを考える。**やっぱり立ち食いそばは、客が立って待っているそのまん前で、白長靴のおじちゃんがザルに入ったそばを揺すったり、丼にワカメを載せたりしているのを逐一見守るというところにその良さがある。** 

更に**この人はいまぼくのためにこうしてぼくの食事を作っている、というところからくる個人と個人の交流、そして連帯感、そして共生感、自分が参加してるわけではないが、見守ることによる共同製作的な意識、そして出来あがったときわかち合う完成の歓び、(後略)**と続ける・・・。

立ち食いそば屋をカフェに、食事をコーヒーに置き換えれば、カフェでボクが抱く感情に近いかもしれない。ショージ君の表現は随分大袈裟ではあるが・・・。でもこの大袈裟な表現こそショージ君のユーモアなのだ。

『ヒマラヤ世界』向 一陽/中公新書も読了した。すこしペースアップして次は『それでも子どもは減っていく』本田和子/ちくま新書だ。


囲炉裏の鯉

2009-12-07 | F 建築に棲む生き物たち



棲息地:亀田屋酒造店@松本市島立 観察日070318

昔、民家のおえ(今のリビングダイニングなどに相当する部屋)には囲炉裏があって自在鉤が吊るしてありました。自在鉤には鯉などの魚の形をした横木がついていました。そうです、昔の民家には鯉が棲んでいたのです。

一昨年の春、亀田屋酒造店の蔵開きに出かけました。そのとき母屋(屋根を構成する部材は「もや」、この場合は主屋の意味で、「おもや」)も公開されていました。

亀田屋酒造店は創業が明治2年、母屋は明治18年建造だそうです。そのおえの囲炉裏に棲む立派な鯉を今回はアップします。




川上弘美「ハヅキさんのこと」

2009-12-06 | A 読書日記



 今朝、久しぶりに書店へ。川上弘美の掌篇小説集『ハヅキさんのこと』が文庫になっていた。川上弘美初の講談社文庫、たぶん。単行本が文庫化されるとき、カバーデザインは変わることが多い。が、この小説は同じだ。どっちがいいかな。変わっていたほうがいいかな。

少しだけ立ち読みした。このところ小説を読んでいないがこれなら読める、そう思って購入した。翻訳家の柴田元幸さんは解説で**一気に読むより、一ページずつ、一本ずつじっくりゆっくり読むにふさわしい本だと思う。**と書いているが、午前中一気に再読した。

表題作。私とハヅキさんは元教師、同僚。ふたりとも教師には向いていなかった。よくふたりで酒を飲んで、教師業のうっぷんを晴らしたあとは、お互いの恋愛についてああでもないこうでもないと言いあっていた。この辺は実体験にもとづいているのかもしれない。川上弘美は高校で生物を教えていたことがあるから。ちなみに主人公の私は理科の、ハヅキさんは国語の教師だった。

それにしても彼女の小説には居酒屋がよく出てくるような気がするがどうだろう。テレビドラマは小泉今日子が主演して話題になった、なったかな、『センセイの鞄』は居酒屋カウンター小説だった(と言い切ってしまおう)。

あるとき、私とハヅキさんはお互いふられたことを打ち明けてハシゴ酒。気がつくとラブホの大きなベッドの上。ふたりとも女性、念のため、まあこの辺がこの作家の理性というか文学。ハヅキさんが男だったら通俗的だろう。

**「どっちが入ろうって言ったの」
「よく覚えてないけど、わたしのほうが面白がって入ろうとしたような気がする」
「ばかっ」とハヅキさんは叫んだ。
「私が相手だったからいいようなものの、誰か知らない男だったらどうするのっ」
ハヅキさんはこんこんと私を叱った。ラブホテルのスプリングのきいたマットレスの上で、こんこんと、私を叱りつづけた。**

あれから十数年、わたしは入院中のハヅキさんを見舞いに行くためにバスに乗っている。バスの座席のスプリングが、あのときのラブホテルのマットレスと同じような音をたてて鳴る・・・。

解説には「ばかっ」という安易にぎすぎすしない字づらが何ともこの書き手らしい、とある。「馬鹿っ」でも「バカッ」でもありえないし、!付きでもありえないというのだ。そうかもしれない。

川上弘美は輪郭を実線ではなく、破線、それも薄い破線でしか囲みようがないような場の空気、エッセイのタイトルにもしている『あるようなないような』雰囲気を実に上手く表現する。

さて、少しずつ小説モードへ。つぎは小川洋子かな。その前に『ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然』『キリマンジャロの雪が消えていく』『それでも子どもは減っていく』『「論語」に帰ろう』『自然界の秘められ戸たデザイン』を読まなくては。今年の読み納めはどの本になるのだろう・・・。


新月材

2009-12-06 | A あれこれ

 以前書いた新月材に関する記事を少し改めて再度アップしておきます。

月は約29.5日の周期で満ち欠けを繰り返しています。この月のリズムに同調する生物のリズム。ウミガメや珊瑚は満月の夜に産卵することが多いそうですし、女性のリズムも月にほぼ同調しています。月は生命が地球に誕生するより遥か昔から地球に影響を及ぼしていたことを考えると、このような現象は別に不思議なことではないと思います。

ところで日本建築学会が毎月発行している「建築雑誌」の2008年10月号に「木造建築の到達点」という特集が組まれていて、新ブランド「天竜新月材」の誕生という記事が掲載されています。

この記事のリード文には**美林で知られる静岡県の天竜地域で、「新月の木」を安定的に供給する体制がほぼ整った。「新月の木」とは、月の光が最も暗くなる「下弦~新月」の時期に伐採した木で、虫やカビの被害が少なく、割れにくい腐りにくいとされる。新ブランド誕生までを振り返る。**とあります。



2003年に天竜地域で木材業を営む榊原商店の社長が『木とつきあう知恵』地湧社(写真)を読んだのがきっかけで「新月の木」の事業化に着手したそうです。この本は私も興味深く読みました。著者のエルヴィン・トーマ氏はオーストリアで製材業を営んでいるそうですが、オーストリアでは新月伐採が行われているとのことです。

木も月のリズムに同調して生命活動を変化させながら生長しているんですね。雑誌の記事には新月から満月まで毎日連続して伐採した杉と桧の試験片を土中に埋めて実験している様子の写真が載っています。腐り具合などを調べているのだと思います。

記事に紹介されている材木の出荷証明書には生産者や生産地、樹種・樹齢、伐採者、製材日などに加えて伐採日と月齢が記録されています。

試みに「新月材」で検索してみると何件もヒットします。新月材で家を建てる会もあるようです。

朝夕ににしをそむかじとおもへども 月待つほどはえこそむかはね
『日本の美意識』宮元健次/光文社新書に紹介されている「鴨長明集」の一首です。つい西方浄土のことを忘れて、もっぱら西に背を向けて東の月を見てしまうといった意味だそうです。

現代人は昔の人ほど日常の生活で月を意識しなくなったと思いますが、月を眺めて、ああ、美しいなと思うくらいの感性は失いたくありません。今月の2日(091202)は満月でしたね。きれいな月を愛でました。

以上「新月材」に関する記事を読んでの雑感でした。


 


ガラスに貼り付いたブタ

2009-12-06 | F 建築に棲む生き物たち


棲息地:韓国家庭料理 ぶたや@松本市大手 観察日091205

昨晩は酔族会の忘年会@樹だった。「男女9人冬物語」した。鍋のしめのうどんが美味かった。マスター、いつも美味い料理とお酒をありがとう。

ほろ酔いで「定宿」まで歩いて帰る途中に出会ったブタ。豪快に笑っている。ここの料理もそのうち味わってみたい。

松本の建築にはいろんな生き物が棲んでいる。探せばまだまだ見つかりそう。


 


ブラタモリ

2009-12-04 | A あれこれ

「U1さん、こんばんは」
「久しぶり。元気そうだね」
「ええ。元気ですよ」
「駅のスタバって久しぶりだな」
「そうですか。私は時々。U1さんおすすめの「ブラタモリ」観ました」
「どう、面白いでしょ。Kちゃん、たぶん好きだろうな、って思ってた」
「私、普段テレビってあまり観ないんですよ、だからブラタモリも初めて観ました」
「そう、じゃいつも何してるの」
「なんとなく、ボーっとしてるんです・・・」
「何?ボーっとしてる?」
「ええ、こたつで音楽聴きながら。でも昨日のブラタモリは面白かったです」
「あんな感じ。タモリがカワユイ久保田アナと一緒に都内の街をぶらついて、その街の昔の姿をあれこれ推理する。で、昨日は本郷だったね」
「ええ。私、御茶ノ水には時々行ったんです。神田の本屋街。とても真面目なブンガク少女でした! ハハ」
「真面目なブンガク少女? アンシンジラブル」
「なんですか?オヤジギャグの新ネタ?」
「ン? 信じられないってこと。ところで、御茶ノ水駅から神田の本屋街へは坂を下って行くよね」
「ええ」
「昨日のブラタモリで、御茶ノ水の辺りまで本郷台地だって、やってたけど、神田辺りが、ちょうど台地が終るところなんだね」
「そうみたいですね。本郷台地なんて知りませんでした。あの辺りは確かに坂が多いですね」
「そう、あの場所に限らず東京は坂が多いよね、意外に。菊坂が出てきたね。菊坂といえば、ボクは樋口一葉を思い出すな」
「一葉も一時期住んでたんですよね。で、何作か書いた・・・、闇桜も?」
「そう、さすが元ブンガク少女。」
「なんですか、元って」
「・・・、神田川って昔、江戸時代のはじめ頃までは、もっと下の方、神田を流れていたんだね。だから神田川っていうのかな。丸の内を市街化するために、本郷台地を掘り割って流れを変えたって、番組でやってたね」
「ええ。それがちょうど御茶ノ水駅の辺りなんですね。知らなかった・・・」
「御茶ノ水の谷だね。タモリは谷じゃなくって、渓谷だって言ってたけどさ。ボクも知らなかった。あそこが人工の谷だったなんて。あの番組はそういう、驚きがあるから面白い」


本郷台地を掘り割ってできた人工の「渓谷」

「私もこれからは毎週観ます。ところでU1さん、忙しかったんですか?」
「忙しかった・・・。でもどうしてわかった?」
「だって、毎月たくさん本を読んでるはずなのに、先月はたった1冊だったって、ブログで読みました」
「そうか・・・。先月はね、忙しかった。さて、そろそろ時間かな」
「あ、そうですね。行きましょう」
「最近できたオシャレな店だよ」
「そうなんですか。何人くらい集まりますか?」
「どうだろうね」



店先のネコたち

2009-12-01 | F 建築に棲む生き物たち


棲息地:京都の清水寺近くの店先

京都へ2回目の修学旅行に出かけたのは06年の1月のことだった。そのとき確か清水寺の近くにいたネコたちの写真。建築に棲む生き物たちを取り上げることにしたので、日の目を見ることに。

店先の3びきのネコ、店内の招きネコを不思議そうに覗いている。自分たちの仲間のような、そうでないような姿・・・。

引き算の美学

2009-12-01 | A あれこれ

 「引き算の美学」 カフェ バロのブログにこのことばがあった。カフェのデザインとしてこの引き算の美学を意識したという。

20世紀を代表する建築家のひとり、ミース・ファン・デル・ローエが建築のありようとして唱えた「Less is more」。このことばの意味するところって、「引き算の美学」に通じると思った。

もちろんミースのことばは、ただ単に空間の「美しさ」だけを指しているのではなく、「機能」も含む総括的な建築のありようを指していると思うが。

カフェ バロに漂う適度な緊張感が心地良い。ピリっとはりつめた空気にちょっと居住まいを正す。知的で都会的な空間! ここで交わす会話に相応しい話題って、芸術か翻訳小説か・・・。

壁のポスター、シンプルで抽象的な形がいい、「青」がいい、木のフレームがいい。この空間にピッタリ!やはり空間デザインはトータリティだ。全体から部分、細部に至るまでコンセプトに添って矛盾無く、といっていいかどうか、破綻無く、の方がいいかな、まとまっていることが大切だ。そう、食器のデザインに至るまで・・・。コーヒーカップも紅茶のカップもデザインが空間デザインにぴったり。これはうれしい。

次回は黄昏時。グレーに沈む景色、そこに浮かぶいくつもの小さな灯りを観ながらコーヒーを飲もう。