透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

一版多色刷木版画

2007-05-12 | A あれこれ


木々萌える



 一版多色刷木版画って・・・

会場の説明書きによると「一枚の版木に刷り用の一枚の紙を固定して版木の決められた範囲にその部分だけに必要な色だけを置きながら各部分を刷る作業を繰り返す」のだそうです。大変手間のかかる作業だそうで、この手法で制作されることはあまりないそうです。

朝日美術館(長野県東筑摩郡朝日村)で開催中の「宮浦真之助展 一版多色刷木版画の旅」を観てきました。宮浦さんは昭和3年松本市生まれ、まもなく80歳になられる方。一版多色刷木版画を始めて既に30年とのこと。安曇野の春の風景や南欧の古い街並などを画材にした80点近い作品が展示されていました。中には日展に入選した作品も。

風景を具象的に表現しているのですが、どことなく抽象画のような雰囲気が漂うのはたぶん版画の特徴なのでしょう。私が好きな表現です。

東京の美術館で開催される大規模な展覧会もいいですが、地方の小美術館のささやかな展覧会もいいものです。

地方の美術館を訪ねる旅、今年はできるかな・・・。



 


「心ひだひだ」

2007-05-12 | A 読書日記



● GWに読んだ『百億の昼と千億の夜』はなかなかヴィジュアルなイメージが立ち上がってこなかった。漫画化されているとのことだから、先にそれで視覚的なイメージを掴んでから読むのもいいかもしれない。

その後読んだ『謎解き 広重「江戸百」』集英社新書は江戸浮世絵風景画に広重が隠し入れたコードを解き明かす、という企画。ヴィジュアル情報満載で楽しかった。

少しお気楽読書を続けよう、そう思って久しぶりに手にしたムロイさん。この人のエッセイが好きだ。『心ひだひだ』講談社文庫 は心理テストとエッセイがペアになっている。心理テストを試して、ムロイさんの回答と比較しながらエッセイを読み進むという趣向。エッセイには人柄がにじみ出る。ムロイさんのすっぴん魂丸出しのエッセイは読んでいて気持ちが和む。

それにしてもハデハデなカバーデザインだ。講談社文庫(左、中)だけでなく文春文庫(右)もハデハデ。楽しい話題がイッパイ!という雰囲気が伝わってくるではないか。


消えてしまった風景

2007-05-12 | A あれこれ


● 民家 遠い昔の記録 (7908)

五龍岳の麓(長野県北安曇郡白馬村)の民家。この地方の民家は寄棟づくりだが、このようにかぶとづくりにしている例も珍しくなかった。ただしこの民家のように平側(長手方向)をかぶとにしている例が多かったのかどうかは知らない。関東地方では少なかったのではないか。

屋根と本ぐしの大きさが程よいバランスで美しい。現在ではこの地方でも茅葺の民家はほとんど見ることができなくなってしまった。

緑鮮やかなこの季節、残雪の山懐に民家が点在する風景は美しかったに違いない。

書くことに意義がある

2007-05-11 | A あれこれ

 シルエット 

数日前の夕方、雲ひとつ無い西の空一面が薄いピンク色に染まった。常念岳の稜線に槍ヶ岳の頂が顔を出している。以前にもこんな写真を載せたような・・・。大人の夜のブログならこの写真で書くことがあるのだが・・・、今夜はしらふ。話題を変える。



● 日本建築学会発行の『建築雑誌』5月号の特集は写真の通り。何人もの建築史家が寄稿している。著書が何冊もあって有名な鈴木博之さんと藤森照信さん。ふたりとも小論を寄せているが、藤森さんの「建築史は社会に何ができるのか?」に応えて「何もできません」に注目。

少し長くなるが引用する。**ただ漫然とは見ない。それでは(建物が)死んだまま。相撲を取るように見る。建物が勝つか、自分が勝つか。相手の素晴らしさに圧倒されているだけでは負け。駄作、と思っただけでも負け。どうして素晴らしいのか探り、なぜダメだか考え、答えが見つかると勝ち。設計者が考えなかったであろう社会的背景とかに気づいたときも勝ち。見た建物をスケッチだけして何か得たと思ってはいけない。カメラに収めるだけはもっといけない。必ず考え、考えたことを言語化して書きとめなければ三件見たら忘れる。言語という人間の最も高い抽象能力のレベルまで純化しておかないと、三歩歩くと忘れてしまうのである。**

建築観察の基本を平易に説いている。肝に銘じておきたい。建築観察に出かけても写真を撮ってパソコンに保存して終りではいけないのだ。

建築観察してブログに「どうして素晴らしいのか、なぜ美しいのか」を書くことに意義はあるのだ。自分の能力以上の観察はできない。無能な自分をさらけ出してこれからも「書く」。

  *****

● 昨日の☆は ということだったのかも知れないな・・・。


☆ ☆ ☆ 

2007-05-10 | A あれこれ



今朝の新聞に掲載されたふたつの全面広告。
偶然だろうな、同じ☆形出現。
一体この☆は何を意味しているんだろう・・・。
この☆は栄光の一番!を意味しているのかも知れない。

「ドコモ2.0の幕開け」なのだそうだ。「友情が進化、愛が進化、家族の絆が進化。きっとあなたの人生もバージョンアップ」って・・・、ケータイで変わるのかな。

★ 中部テレコミュニケーション 「顧客満足度NO.1」なのだそうだ。


★ 雨にうたれるうす紫の花を見かけた。傘のような花。


路上観察で緑を採取する

2007-05-09 | A あれこれ


 ツタの若葉でOPEN

 夕方久しぶりに路上観察をした。その成果が3枚の写真。採取場所はいずれも松本駅周辺。どこでも緑なこの季節っていいな。


 緑の見切りと目地

● 仕上げの端部または異なる仕上げが取り合う部分、あるいはその部分に設ける第3の部材を見切りという。緑の見切(左)とインターロッキングの緑の目地(右)。緑豊かなこの季節、街のあちこちに緑の見切りや目地が出現する。


ヒロシゲ・コードを解き明かす

2007-05-08 | A 読書日記


緑の回廊 
欅の新緑が鮮やかです。GW最終日、6日に撮りました。



「遠近両用」はメガネ、「遠近両描」は広重の浮世絵なんちゃって。

広重の大作「名所江戸百景」略して「江戸百」には名所という情報のほかにメッセージをコード(そうあの「ダ・ヴィンチ・コード」のコード)として埋め込むという二重構造がみられるという。この本ではその「ヒロシゲ・コード」を解き明かしている。

表紙の「浅草金龍山」(左)、雷門の「赤」と雪景色の「白」の組み合わせは何を意味しているのか・・・。「深川万年橋」(右)の亀は何?

著者の原信田実氏はヒロシゲ・コードをいとも簡単に解き明かしてみせる。いや実際は困難な作業なのかもしれないが、この本の謎解き文からそのような印象を受けた。

巻末には「江戸百」の全作品が掲載されている。近景と遠景のダイナミックな構図。著者によると近景にはその場所のシンボルを、遠景には広重の関心の対象を置くという構成の原理が見いだせるという。

連休明け早々なかなか面白い本と出合った。


 


40年前の雑誌

2007-05-07 | A あれこれ

● 送りました。
  クマさんの本、あります。        

●「新建築」1967年4月号  今からちょうど40年前に発行されたこの雑誌を私は後年神田の書店で買い求めた。

この雑誌をわざわざ買い求めたのは丹下健三の当時のビッグプロジェクトである「スコピエ計画1965」と「電通・築地計画」、それに私の好きな「山梨文化会館」が載っていたから。

詳しくは書かない。この雑誌には私の書棚より相応しい書棚があることを最近知った。その書棚にこの雑誌が届くように手配した。

百億の昼と千億の夜

2007-05-06 | A 読書日記



 映画「2001年宇宙の旅」 私は映画館でも観たしテレビでも何回か観た。原作は未読でもこの映画を観たことのある人は多いと思う。

サルの群の中に突如出現した黒い石柱モノリス(余談だが確かモノリスのプロポーションは1×4×9(1、2、3の2乗)だったと思う)。このモノリスが出現してサルは急激に進化を遂げた。サルが空高く放り投げた動物の骨が一瞬にして宇宙船に変わる。人類の数百万年にわたる進化がこの一瞬で表現されている。有名なシーンだ。人類は月でもこのモノリスと遭遇する。そして次なる進化へ・・・。

人類の進化に関わる「神」の存在の暗示。宇宙船ディスカバリー号の生存者ボーマンが見たもの、それは宇宙のはるか遠い「未来」とさらにその先の宇宙の「過去」。時間の流れは円環構造を成しているという暗示、輪廻思想との共通性。 アーサー・C・クラークのSFを私はこのように読んだ。

さて『百億の昼と千億の夜』。 これは難解、何回も読まないと理解できそうにない。宗教や哲学に関する素養が必要だ。ただなんとなく『2001年宇宙の旅』とモチーフが似ているような気がしないでもない。

こんな記述がある。

**この世界の一環した時空連続体のいったいどこに、このような存在の入りこんでくる個所があったのだろう。かれらは過去において、何度か地球上に姿をあらわしているが、同様に他の惑星の上にも、そして他の渦状星雲のどこかの星の上にも、やってきたことだろう。いったいどこから? そしてなんのために?**

**「転輪王、というと」「波羅門にも説かれていよう。王の王たる者。すなわち化して因縁を転ずる自在な王のことだ。この世の外にあって生成を看ることすでに一兆年の余という」**

このSFも「神」を追求した物語ではないのか・・・。壮大さは「2001年宇宙の旅」に勝るとも劣らない。とてつもなく長大な時空を駈けるトラベルミステリーと読んでもいいだろう。

いつか再読してみよう。

 GWも今日で終りだ。GはGREENのGとばかりに緑に身を置いた。本を読んだ。映画も観た。充実の1週間だった(としておこう)。


別れ桜 山に咲く

2007-05-06 | A あれこれ


 友人の樹木医(この人もSさん)によると桜の種類はもともと6種類くらいだったようだが、現在その数は300くらいらしい(しばらく前、酒席で聞いたので記憶が曖昧だが)。

昨日は近くの山に登った。まだ桜が咲いていた。山に咲いていて色が濃いからオオヤマザクラ? 樹形が違うような気がする。Sさんならすぐに分かるだろうが私にはこの桜の名前が分からない。

春に降りる最後の霜を「別れ霜」という。この桜は、それに倣って「別れ桜」とでも勝手に名づけよう。ちょっと淋しい名前かな。

今日は立夏、暦の上ではもう夏。

繋がる・・・

2007-05-05 | E 週末には映画を観よう


●映画 「パリ、ジュテーム」と「バベル」

● GWだ、映画を観よう。「スパイダーマン3」もいいけれど、やはりこの映画、「バベル」。

舞台は三つの砂漠。北アフリカはモロッコの砂漠、アメリカ国境に近いメキシコの砂漠、そして東京砂漠。そうこの映画では東京がなんだか不気味で乾いた街として描かれている。

モロッコの山中で少年が試し撃ちしたライフルの銃弾が観光バスの乗客に命中してしまう。この偶発的な事件が三つの砂漠で孤立している人それぞれに繋がっていく・・・。

事件によってモロッコの街で孤立してしまうのはアメリカ人夫婦。ふたりの間には深い溝が横たわっている。モロッコ旅行は関係修復のためだったのだろうか。アメリカとメキシコの国境沿いの砂漠で孤立してしまうのはこの夫婦にふたりの幼い子供を託されていたメキシコ人の乳母。そして東京では女子高生チエコが聾唖故の孤立。

遠く離れた三つの国のストーリーが巧みに組み合わされて繋がっている。映画ではそれを1枚の写真や事件を報じるTVのニュースによってうまく表現していた。ショットの繋ぎも絶妙だった。 

この不幸な事件によってアメリカ人夫婦は再び繋がり、女子高生は関係がギクシャクしていた父親と繋がり、メキシコ人の乳母は事件によってメキシコに強制送還されてそこで暮らす息子と繋がる。孤立からの開放、「繋がる」という喜び・・・。

何人もの俳優がそれぞれ重要な役柄を演じているが、チエコを演じた菊池凛子の存在感が際立っていた。人と繋がらない、人に理解してもらえないというもどかしさ、悲しさを演じきっていた。

エンドロールが流れ出した時、文字がぼやけてしまった。なんだか切なくてそしてラストはほっとして・・・。

いい映画にはいい音楽が流れるものだが、この映画のもの悲しい独特の音楽も効果的だった。

次、観るとすれば「パリ、ジュテーム」あたりかな。同行者はこの映画だといっていた。 http://movies.foxjapan.com/diehard4/


 


信濃ではそばとおやきと山の幸

2007-05-04 | A あれこれ


そばと今が旬のこごみ ヨコテ家にて

 昨日はそばの里美麻(みあさ)まで出かけた。



その後、美麻の隣、小川村にあるおやきの里小川まで足をのばした。

おやきは野菜(ナスや切干し大根、野沢菜など)や山菜(のびるや行者にんにくなど)を炒めて、小麦粉を練ったもので包んで焼いたり蒸したりした食べ物。

おやきはぎょうざのまんじゅうバージョンと書けば知っている人は、それは違うって思うでしょう。でもおやきを知らない人にはイメージが伝わると思う。

最近では蒸すことの方が多いようだが、昔は囲炉裏の灰に放り込んでおいて焼けたところで取り出して、アチィッ!とかアツ!とかアッツー!とか(人によって違うでしょうがとにかく手に持てないくらい熱い)いいながら食べたのだろう。おやきを「灰ころがし」ともいうのはこのようなつくり方に由来している。

囲炉裏が消えておやき本来のつくり方が一般家庭では出来なくなってしまった。

食文化と建築文化は繋がっている。


 


評価は人それぞれ

2007-05-04 | A 読書日記



 桐野夏生の代表作といえば直木賞受賞作の『柔らかな頬』と『OUT』だろうか。しばらく前、夫を殺して、死体をバラバラにして新宿と渋谷だっかな、捨てるという事件があった。その時『OUT』を思い出した。

『魂萌え』新潮文庫を読了した。主人公の敏子は60歳直前、夫が心臓発作で急死する。葬儀の日、夫の携帯電話が鳴る。夫には秘密があった。電話してきたのは夫の秘密の相手だった・・・。

ミステリアスなスタートではないか、そう思って読み進んだが、なんとも凡庸な作品だった。新聞の夕刊に連載された作品だそうだが、そのせいなのかどうかは分からないがストーリー展開は冗長。

**定年後世代の男女に訪れる、魂の昂揚を描く。**とカバーの裏面にある。妻でも母でもなくなった女のもっと激しい生き様を期待していた。その期待は外れた。『疾走』を読んだ直後だからだろうか。

読後感は人によって異なって当然、だからこの小説を評価する人がいても不思議ではない。

さて、読みかけの『百億の昼と千億の夜』に戻ろう。

このSF、予想通り読み進むのに時間がかかる。どんな展開になるんだろう・・・。


本日はこれ

2007-05-03 | A 読書日記



 思い出した、そういえばこんな本があった。今何かと話題の第九条
を読んでみるか。

第二章 戦争の放棄
第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

本来ならば、このあと私見を書くところであろう・・・。このブログには政治的コメントをしない、と決めている。

「戦争の放棄」の放棄を危惧するとだけ書いておく。