年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

新たな福神漬創製者の名前

2023年02月20日 | 福神漬
東洋経済のコラムで新しい福神漬の創製者が見えた。味の素食の文化センタ-の図書室で読んだ。

醤油・味噌・アミノ酸/質疑応答 木下浅吉著 昭和10年出版1935年

 元祖は東京下谷区池之端の野田清右衛門(酒悦)で明治19年であり、これを
創製したのは東京牛込区中町久松良之助氏である。始め7種の蔬菜を用いて醤油に味付け、当時上野公園に開かれていた大日本水産会の第一回品評会に出品し、試食に供し、好評を博し売店にて販売したのが世に出た始まりであるという。
 当時は名称も決定してなかったが、田中芳男・河原田盛義氏等に相計り7種の蔬菜を用いたのだから七福神に倣って福神漬と命名したということである。またこの漬物は便利で経済で真に福の神に好かれる漬物だと言ってこの名前を付けたとも言われている。

 長い間福神漬の命名由来を調べていて、明治19年説はその根拠となる文献が見つからなかった。この本が明治19年説の出どころかもしれない。
 大正4年出版の
大日本洋酒缶詰沿革史 附載 洋酒、缶詰、乳製品登録商標 洋酒編・缶詰編
 にはほぼ似ている福神漬創製の逸話が記述がある。木下氏の引用もここから来ていて水産博覧会の年が誤記となっている。明治期の文献には記憶で書いている部分が多く、鵜呑みには出来ないと感じる。福神漬の由来を書いた新聞記者だった長井総太郎(鶯亭金升)は自分史でも間違いが見え、うっかり文献として引用が出来ない。さらに隠している不都合なところを検証するとその時期では世間的に評判が悪かった事柄だったりする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする