年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

7月終わり 予測を超える

2020年07月31日 | 宅老のグチ
昔ソ連時代の棒高跳びの選手がいた。彼は年に何回も世界新記録を出していた。それも1センチ高く飛んだ。
 昨日の東京都のコロナは新記録の新罹患者の記録。前回より1名多い。これで8月3日の夜の飲食の営業時間の制限という。20万円では自粛協力は個人店では無理だろう。
 築地て昔TV取材があった飲食店はその後の観光客の人で常連客を逃し、あとで呼び戻すのに時間がかかった。このことから築地の場内飲食店はTV取材を避けるようになった。ライバルがなかなか市場内に店舗が出せないので無理して客を増やす必要は無かった。場外市場は新規の店の参入が簡単でTV取材も多い。従ってチョットの間に変わってしまう。
 今度の新規自粛で先行き不明なところで個人店は秘かに10時過ぎても営業するだろう。まあラストオ-ダ-は10時までと解釈するだろう。コロナは政治家・役所の規制では収まらない。すでに中国は市場からコロナ復活が始まった。市場は政府の権限がどこでも無視される。命の食はおいしさという強権がある。
 日本橋の魚河岸が移転したのは関東大震災があったからで通常の政治家・役人では動かすことは出来ない。幻となりそうな2020オリンピックでやっと築地市場が動いた。

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最後の浮世絵師小林清親への疑問

2020年07月30日 | 福神漬
最近の小林清親の浮世絵展は混んでいて浮世絵知識のない自分は驚いている。福神漬の歴史を調べているとどうしても清親の評伝に不満がある。反骨の浮世絵師だが何かを表現しようとしている。
 清親の子供(評伝を書いているカズさん)の文章で気になる部分がある。原胤昭と交流がある前に鶯亭金升と交流があったようだ。団団珍聞に小林清親を紹介したのは鶯亭金升かもしれない。しかし明治元年生まれなので鶯亭は12から13歳で遥か目上の小林清親の就職あっせんをしたのだろうかという疑問が残る。この点が小林清親の評論家の論点から外されたと思う。そこに二本松藩というのと横浜の高島嘉右衛門・戸田欽堂を加えると鶯亭が小林清親の団団珍聞への仲介者とも言えなくもない。小林清親が今の千葉県旭市飯岡の博徒飯岡の助五郎宅に泊まったということは評伝から外れているが鶯亭金升の交流からあり得ることで、鶯亭の父長井昌言の知行地の一部は飯岡町下永井と上永井にあった。地名は永井で幕臣名は長井である。
 明治の言葉で士族の商法という言葉がある。多くの武士が失業し不慣れな商売に手を出して失敗した。明治6年に日本の鉄道開業後まもなく工部省鉄道寮6等の旧幕臣長井昌言は病死し、下谷根岸に髪を降ろして住まいを定め、子供の成長を生きがいとしていた鶯亭金升の母の人脈はどうだったのだろうか。高島嘉右衛門・戸田欽堂の援助があったとみるべきだろう。団団珍聞をどこから手に入れたのだろうか。
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豊洲市場の休市日の変更

2020年07月29日 | 宅老のグチ
大田市場へ仕事に行っている人の車が止まっていた。確かオリンピックで7月31日が休みで今日は開市のはずと思っていたら豊洲市場協会のカレンダ-でも変更になっていた。5月の連休明けには変更通達があったようだ。来年もどうなるかわからなくなった。大方の人との話では無理だろうという。ワクチンが世界に普及するのが来年くらいで気分のワクチンはまだどこでも開発してはいない。それどころか天災が多く、小さな紛争が目立ち、為政者の失敗をごまかす、自己組織の予算を減らさないように紛争を創出している様に思える。
 先の日本の戦争は世界の情勢を無視して、それぞれの日本の組織が暴走した。今コロナで過去の経験が役に立たないので組織の思考の不備が目立つ。うまくやったと思われた国も他国のことは干渉できないので結局元の状態に戻ることは難しい。
 感染による仕事ができない状態の保険が出来そうだが保険料が高く、採算取れそうにない。
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大和本草のナタマメ

2020年07月28日 | 宅老のグチ
日本の戦国時代の終わり1560年頃、中国から李時珍の本草綱目という書物が日本に入った。それから100年間は日本の本草学(博物学のようなもの)は全部中国と同じものととしていた。
 貝原益軒が大和本草を著して、日本と中国とは一部異なるということを示した。これから日本の本草学者が中国と日本との同定が進んだ。さらに西洋の植物学等が日本に学問として入ってくると、長崎で学者同士の交流が始まった。冒険心のある西洋の学者と新しい知識を得ようとする好奇心のある日本の学者が鎖国の中で静かに始まった。幕府の方針を探りつつ、医学・数学から西洋の学問を取り入れていった。そこにキリスト教の扱いが、秘かに問題となっていた。学問が政治に関与しないことを要求していた。
 過去の歴史の事例で権力の意向を探りつつ研究するのが(予算を獲得する手段として)歴史に名の残る人となる。多くの人は運も引き立てもなく、自滅して消える。コロナの時代で老兵の復活は厳しい。
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岩手県でコロナが出ないことで

2020年07月27日 | 宅老のグチ
昔と言ってもホンの少し前の築地市場で連日のように救急車が築地市場内へ入ってくる。一度救急車を呼んだこともある。救急車が築地市場に来ると正門で停車され、患者のいる事業所が放送で連絡するように案内がある。昼過ぎだと救急車と消防自動車が付録としてやってくる。野次馬の築地市場の帰りの人はまた出動手当で来たなと言っている。患者を救急車に積み込み、受け入れる病院を探す。大方は明石町の聖ロカ病院となる。ここは個室しかなく1日3万円の室料がかかる。従って会社の人たちは他の区の所で救急車を呼びたいと日頃話していた。
 今岩手県でコロナ患者と予想される検査は隣の県で受診した方が良いかもしれない。狭い地域で1号となれば末代までの噂となり地元で生きて生活できない。北朝鮮の1号は中国からでなく韓国からとなりそうだ。1号はとにかく大変だ。
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コロナ時代の講演会の在り方・味の素食の文化センタ-から

2020年07月26日 | 宅老のグチ
昔味の素の食に関する図書館は中央区の新大橋通りにあったが関心はなく訪問することもなかった。研修所が高輪にでき、そこに味の素の会社の歴史が展示され、図書館が併設され、時々300人くらいの講演会がある。いつも人気で抽選には外れる。
 コロナで定期的に送られるメ-リングで講演会の動画が送られるようになった。これなら質問できないだけで、人数制限もなく、内容を知ることが出来る。これは味の素が動画の著作権問題をクリアしているから出来るのだろう。
 全国各地の都市が自分の地域の歴史の本を出版していてもデジタルで公開している所は今知る限り無い。公費で調べた地域の歴史は例え誤りがあっても、紙の本は需要の少ないので再出版は難しい。デジタルならば書庫の広さも関係なく、紙質の変化も気にならず、24時間開いている図書館となる。個人の本は生計を立てている著者にとっては無料では成り立たない。幸い宣伝ということで動画が公開されているようだ。
 無料小説で宣伝を入れ、地域の物販宣伝も可能かもしれない。
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マスク・チェックの外出

2020年07月25日 | 宅老のグチ
もうこれだけ感染者が出ていると、保健所の追跡調査もできない様だ。今までの感染者追跡システムは島国日本だから出来ていて、もう無理だろう。東京都だってパフォ-マンスで責任を政府に押し付け、最前線の人たちの疲労感が見えない。口だけの知事が命を懸けて働いている人の尊敬が感じられない。都バス等の運転者は少ない乗客でも経路不明の人たちを至近距離で応対している。電車は仕切りがあるがバスは無い。乗るとマスク無しは殆どない。忘れた人に100円でマスク販売してもおかしくはない。
 この夏を乗り切って寒くなれば白いマスクの季節が終わり、気分を病人から変えるデザインマスクが増えるだろう。子供の白マスク占有率は大人より少ない。そろそろキャラクタ-マスクの出るかもしれない。子供のマスク流行はどこから始まるのだろうか。
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ギャンブル外出・都民が横浜へ

2020年07月24日 | 宅老のグチ
コロナ感染者数が増え、感染学者の予想ではアメリカ並みに秋にはなりそう。そうすると外出自粛圧力から都内から通勤等の必要な外出以外は無理と予想する。この頃初めての人に会う時、タクワン貿易の話をしても理解できそうにないので2011年海外移住資料館の資料を渡す。そこで足りなくなったので20日から海外移住資料館が再開したのでタクワン貿易の資料をもらいに行く。
 横浜へ行く途中の東横線の混雑だが祭日なのに空いている。馬車道で降りてもガラガラ。雨が少し降っているがそれでも少ない。これではGOTO政策をやって強引に経済を動かさないといけないと感じる。日本国民全体が引き込もりで外で徘徊するのは勘違いの自粛警察で誰が好き好んでこの時期に外出するか考えていない。リスクのある外出となっている。
 横浜市営地下鉄馬車道駅は横浜赤レンガ倉庫への下車口駅だが空いている。途中で横浜港大桟橋にクル-ズ船が停泊している。多分誰も乗船していないだろう。体験宿泊するという利用の仕方もあるだろう。アパホテルがあったが何か封鎖しているような雰囲気。今はコロナのホテルとなっているのだろうか。駐車場が封鎖されていて人気もない。予定ならオリンピック開催間際で大興奮の日本だったのに今は冷めて来年も怪しいと思う人が増えている。日本が対処できても世界が対処できなければ2021成功は無理かも。コロナ克服ということで2022ならワクチンの効果も出るだろう。
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メタル電話回線の終了でADSL廃止案内通告

2020年07月23日 | 宅老のグチ
今使っているADSL回線が来年6月末で廃止となる。金属回線から光回線になるのでアドレスが変わる。それで光の回線に移転することが出来なかった。しかし電話が光になるので隙間回線を利用していたADSLはいずれ廃止となると思っていた。今からアドレスを変えて、終わったら次期の回線へ移る。少なくとも金銭系のアドレスと通常のアドレスは分けたい。YAHOOメ-ルは登録しているが広告メ-ルが分別できないゴミメ-ルとなっていて、重要なメ-ルの受け皿にはできない。
 エージェントソフトが必要だ。今のシステムだと一度興味を持つと、履歴が消えない。風俗メ-ルは危険履歴で開封しないように毎度削除する。一度検索履歴を初期化すれば良いのだが、そうすると記憶を思い出すのは難しい。風俗メ-ルはその誘惑文章が面白い。駅売りの東スポ的見出しで開封する衝動を招く文章だ。今はウィルス感染しても良い格安タブレットで開いてみるが、感染も対処の仕方も慣れた。
 趣味とか一時的検索とかいろいろな条件を付けて検索する仕組みが欲しい。例えば京都旅行を計画すると、行ってしまってから京都の情報が来ても不要なのだ。エージェント検索にはグ-グルアラ-トと普通の検索の仕組みが欲しい。
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コロナは法人・官公庁は感染しない

2020年07月22日 | 宅老のグチ
毎週末に新聞等の依頼で政府支持率の調査が行われ、閑な時期は回答していた。そこで感じるのは二者択一的、時には三者もある質問だが前提となっている所がGO TO政策では感覚がずれている。経済的余裕のある人に貯金でなく旅行等の消費で経済活性化しようとしているがコロナは法人等には感染しないので政治家は推進する。しかし法人の中で働くのは感染リスクのある人である。年金生活の人は仕事に行かなくてもなんとかなるが仕事をしている一般人は感染リスクの所へ行行かざるを得ない。過去の感染症の歴史は貧者(金銭と情報)が感染している例が多い。今度のコロナでもシンガポ-ルは一時制御できたが底辺労働者の宿泊施設が三密でさらに感染していても休むことは出来ず感染拡大となった。日本でも今は同様の事例となり、もう制御できないところまで来たようだ。これからは運の世界と人生観の対処の問題となる。
 コロナ不安症になると他人は感染者扱いとなり、見慣れない地域に行くと疑いの目で見られる不安となる。これを解消するにはGOTO政策では無理だろう。
 言葉を発する施設は紫外線殺菌のある空調設備が必要かもしれない。大手のキムチ会社は乳酸菌の質の安定のため、空気中の雑菌をフィルタ-で除去し、定められた乳酸菌を添加している。これは半導体の設備と同じ仕組みである。人間の存在は雑菌発生地となっている。大手の漬物会社は過去の漬物製造と今ではまるで違う。一度腐敗事故が起これば信用喪失が膨大となってしまう。今は日本でのキムチブランドが多数あるがよく調べればキムチ会社の大手の数は少ない。韓国のキムチも日本人にかかれば中身も作り方も変わる。それでもキムチの名前は変わらない。インドカレ-と同じ理由だ。日本のインドカレ-とインドのカレーは別物である。

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ゼロが1になるリスク

2020年07月21日 | 宅老のグチ
東京のような都市はコロナ患者が出ても、またかで済むが地方では大ニュ-スとなる。自分の子供が東京から戻っても、以前なら歓迎されるが今や厄病神を持ち帰ったと思われるだろう。特に地方は高齢化が進み、さらに医療施設も不十分でコロナに対する余裕は少ない。
 ニアミス・コロナでもバタバタするのに本物のコロナなら山口県知事が怒っているようになるに違いない。コロナを都会から持ち込みマスク無しで接近する動画は法令違反すれすれである。要は法令が無かったためで、エイズのような病気なら傷害罪で告発できるが空気感染では因果関係が証明しにくい。割り込み運転で死者が出てきて、法令が整備されたが、TVの事例で出る映像は固定され永久戦犯となる。当然YOUTUBEで迷惑系の人は判決後容疑者から事例映像で長く報道されるだろう。またこの映像に広告を出している会社も批判されるべきである。
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小林清親の浮世絵所有美術館への捜索願

2020年07月20日 | 宅老のグチ
町田市の国際版画美術館の小林清親の版画天福六歌撰の出版された3枚のうち、平島松尾の絵があることを福島県立図書館の尽力で知った。田母野秀顕(たものひであき)の浮世絵は良く小林清親の展覧会で見かけるが平島松尾と花香恭次郎の二枚は10年以上前から探していたが所在不明だった。ただ手がかりは町田の自由民権資料館の学芸員から、福島事件を研究していた庄司吉之助氏から福島県に資料を寄贈したと聞いたが東日本震災で福島県の人たちが不急の資料整理の遅れを懸念し、所在捜査することを諦めていた。昨年築地から離れ、自由になったので福島県二本松市で開催されている平島松尾顕彰会に参加し、小林清親の浮世絵の所在を聞いたが、子孫の誰もが清親の版画の存在を知らなかった。多くの人が知っていたのは福島事件高等法院傍聴記という裁判報道本の(歌川)芳宗 の挿絵だった。(この本は国会図書館デジタルライブラリ-で自由に見れる)
 急ぎでもないのに日々の雑用に追われて、今日に至る。先日平島松尾顕彰会から昨年の会合のまとめが届き、突然参加した自分が浮世絵研究者として紹介されていた。これは大変ということで再度小林清親の版画天福六歌仙の3枚を探すことを初めた。
町田市の自由民権資料館と福島県立図書館へ問い合わせ、ようやく町田市国際版画美術館で2016年開催された”清親”で平島松尾は展示されたようだと連絡がきた。まだ残り一枚の花香恭次郎が見つからないが原胤昭の版画に書いてある詞書は小林清親の子孫の本で入手している。恭次郎の版画はどこにあるのだろうか。
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あの時コロナ感染があったら

2020年07月19日 | 宅老のグチ
幻となった東京オリンピック2020まで残り一週間となった。あの招致で騒いでいた公約で築地市場が移転させられた。今でも旧築地市場と豊洲市場の地下の汚染は同じである。ある人は豊洲の汚染を語り、ある人は築地の不衛生・前近代的を語る。そこに政争が絡み、早朝から働く築地周辺の住民も巻き込んだ。中央区の役人が住民の多くが築地市場関連の仕事をしていたので高地価で他の区との統合を恐れていた。要は役所の統合によるリストラを恐れていた。それが今は勝鬨・月島・晴海の高層マンション群が出来ると人口が増え統合の恐れは消えた。そうなると手のひら返しの築地の移転となり、明治の日本橋魚河岸移転騒動と同じ論調となった。
 あの時コロナがあったらもっと早く移転していただろう。環状2号線は旧築地市場の中心を通るため、オリンピック開催時の選手村との交通の要と言われたが、コロナの自粛と在宅勤務で道路も電車も混まないことがはっきりした。杞憂だった。眠らない都市のニュ-ヨ-クもコロナで眠ってしまった。最低必要な人が動いていた。
 コロナは恐ろしい。今逃れた国も他国との交流(仕事・観光)が始まればワクチンがいきわたる迄安心はできない。
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日本食風景 時代と時期と地域の違い

2020年07月18日 | 宅老のグチ
築地で働いていた時、周囲の人は日本人しか得意先として見ていなかった。その中で漬物の海外供給ということで不採算と知りながら、在留の日本人のために採算度外視して供給していた。
 近年、海外での日本食の普及で日本食が見直されているが、戦前はタクワン貿易と言って懐旧のための食品で多くの海外移住した日本人にとっては故郷を懐かしむための食品であった。そのためブラジルなどの移住先ではそれぞれ独自に日本食が発展した。地域の日本食の発展は人数と現地の食事事情と出身地のこだわりの歴史である。どれが正しいとか違うとかは今の人たちの歴史観で成功するまでの苦闘の歴史が食として残る。途中の敗北した歴史は消えて今は忘れ去られている。
 食は文献に残らないと後世に残ったことが正史となるが多くは稗史になって、レシピがあっても材料の改変で伝わらない。特に伝統の種子は交配で変化してしまう。江戸時代の食の風景があっても前半の徳川幕府成立時期と幕末の時期の食風景は異なる。さらに明治期の食風景も異なる。
 樽という容器に作られた食品が原点である。でも樽は海外であまり見かけない。ワインとかビ-ルの樽は中太りである。

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病院送迎で

2020年07月17日 | 宅老のグチ
梅雨が予想に反して長い。昨日定期点検で車はピカピカ。しかし今日は雨。自粛時期よりは病院も送迎の観察から混んでいるようだ。GOTOは東京外しで混乱中。
 コロナの数字の根拠が不明で締め切り時間がどうなっているのだろうか。また満員となれば中途半端な患者や若い人がホテル収容になるのだろうか。まだまだ先が長い。
 オリンピック開催は二年送りにしないと世界の人の流れの解禁とならない。マスクも間に合っているが価格は高い。
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