年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市の最盛期の報道

2007年07月31日 | べったら市
べったら市の最盛期の報道
明治40年10月20日読売新聞
昨日のべったら市
日本橋区大伝馬町のべったら市は早朝からの商人それぞれの場所に出店し、日本橋署にては長谷川町より小伝馬町に至る人形町通を第一区と定め警部一人巡査23人、通旅篭町油町を第二区とし警部一人巡査14人、大伝馬町小伝馬町鉄炮町を第三区とし警部一人巡査21人にて警戒しなお各四つ角には出店を禁止し午後6時より,各車の通行を禁止したり。
△ べったら市の夜況
昨夜は十三夜の月さえわたるのみか時候も一昨日あたりと比べてやや暖かき方なりければ午後7時頃より人出ますます多く去年の一割半以上も出でたりと商人連は喜び語れるのを聞けり。されば例の浅漬沢庵も甚だ好況を呈し少し大機なる派50銭から60銭と値段を吹っかけていた。
▲酢漢の悪ふざけ
元来この市の浅漬をぶら下げてベッタラベッタラと騒ぎ歩くが古よりが古よりの特色なれば悪人連中はボロ衣服に覚悟の身ごしらえをして一杯機嫌の勢い凄まじく綺麗な姐さんたちの後ろから例のベッタラを大声で怒鳴り嫌がるのを見て喜ぶ等の時代遅れの風習の手合い少なからず時々巡査に叱られている者があった。
電車の通行量
人形町通の電車はあまりの人出に数十人の監督、巡査,人夫等は線路のそばを警戒し町内の鳶頭は古風な鉄棒をひきいたり。

ほとんど同時期に酉の市の場所割の記事が出ている。日曜にも祭日にも酉の市が当らぬと人出が減ると記事が書いてある。明治時代に既に日曜日が休みというのが都心の人出の条件だったのだろうか。
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土用の丑の日

2007年07月30日 | 築地市場にて
土用の丑の日
今年は例の中国の食品不祥事でうなぎ関連の売れ行きさっぱり。関連商品の一つである奈良漬もパタッと止まって、丁度良い売れ行き。日本酒の区分も変わるみたいで酒粕の不足も変化ありそう。江戸の天才平賀源内のコピーは今でも生きている。
 安く売っているものは余計怪しく売れ行き悪いようです。投げ物の売場がどう変化するのでしょうか?
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明治35年10月20日読売新聞

2007年07月29日 | べったら市
明治35年10月20日読売新聞
べったら市の景況
昨日は幸い晴天であったため各商人は正午頃よりそれぞれ出店の準備にかかり午後4時よりは我先にと店を飾り立てるが出店の場所は通油町大伝馬町通旅篭町人形町通等に渡りて両側に隙間なく並んでいて植木商は小伝馬町の広場に店を張り、人形町通の各商店は当夜をかねて売出しをなす者あり、最寄の町人は素より中には芳町日本橋辺りの仇者をこれ見よがしに引き連れた紳士等もありて人出は中々盛んであったが所轄書に於いては要所要所を警戒し田所町小伝馬町等は各四つ角には車止めをなし、馬鉄の線路には会社より係員人夫等を派して万一を警戒した。当夜売物の浅漬掛鯛等は昨年より高値なるは既報の如くであるがさすがに景気物だけあって相応に掃けたり。なお早稲田大学の提灯行列が大通りを通行した時の如きは本町通辺りの混雑には大方ならないだろう。

早稲田大学の提灯行列とは創立25年の祭りのこと。「都の西北」が制定される。馬鉄の線路とは馬車鉄道のこと。

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場外市場の夏祭り

2007年07月28日 | 築地市場にて
7月28日は築地場外市場にて夏祭り。夜には墨田川で花火、
昼から場外市場はビールで酔った人で一杯だろう。つまみはタップリある。
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べったら市の最盛期

2007年07月27日 | べったら市
べったら市の最盛期
明治40年10月18日読売新聞
べったら市の前景気
明19日は日本橋区大伝馬町べったら市なるが本年は水害のため練馬大根は皆無の有様にて大抵は袋産の大根で上等一本13銭,下等8銭という相場、昨年に比してやや2割高でこの市で売り出す大根は品質悪くその上大根へ甘酒を着けて売るものあれば注意して買わねばとんだ食わせ物ありとまた昨日まで堀留分署に届けいでし商人の数は浅漬70余軒、飾り鯛、縁起物200余軒、植木商50余軒雑貨商400余軒、大伝馬2丁目、田所町、旅篭町等は浅漬、縁起物、小伝馬町,本石町4丁目鉄炮町等は植木商、小伝馬町祖師堂境内は見世物等出店するが日本橋署に於いては当日非番巡査総出にて小伝馬町祖師堂境内に出張所を設け厳重に警戒し、堀留町,本石町4丁目、大伝馬町1丁目、小伝馬上町等の四つ角より車馬の往来を止め電車線路は雑踏の場所を横切る危険があるより会社は監督数名出張させ警官と協力して線路の取締りをなす由

この当時の露天商の数は2000軒出ている記事がある。袋物の大根とは現北区岩淵町付近の産、会社とは電車会社のこと、今の都電の前身。

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明治34年10月19日読売新聞

2007年07月26日 | べったら市
明治34年10月19日読売新聞
本日べったら市 江戸っ子
浅漬とぬかるみ ベッタリとベッタリと
雨続きだったらしい。 
明治34年10月21日読売新聞
一昨夜のべったら市
年の市のはじまり日本橋本町通りのベッタラ市は嘗て知らせる如く一昨夜たった。連日の降雨にこの日は更に嵐模様なので浅漬屋に掛鯛屋さては縁日商人に至るまでこの書き入れの日を気遣っていたが幸い午後より晴れ気味となったので夜は烈風を恐れてサアべったらべったらと売り声勇ましく梅花亭の切山椒も直ぐに売り切れて宵の口一わたりはともかく群集するほどの光景が見えた。              
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明治32年10月21日読売新聞

2007年07月25日 | べったら市
明治32年10月21日読売新聞
べったら市の光景
既記の如く一昨夜はべったら市とて東は日本橋通油町(緑橋際)より西は大伝馬町一丁目角までの数丁に露店軒を連ね例のごとくベッタラベッタラの声勇ましく夕方よりぞろぞろと人出あり。鉄道馬車はギュウギュウと詰め込んで人形町に下りたれば車馬は角々に制札の往来を止めなし。警官は提灯を振り照らして群衆の中をぬい。逝く有様は店向きの若衆小僧は例の浅漬を縄に結んで振り回せば女子供が逃げ回る事の面白く絵の具屋の村田貯蓄銀行と変りたれば丸三の花瓦斯は見られざれど森田梅花堂の店に山をなし切山椒七時半には早くも売れきれの札を掲げた景気凄まじく。折節満月の明るさに乗じて遠きあたりより歩を運ぶものおおく夜更けては芳町柳橋のシレモノ達の三々五々縄に吊るしてベッタラ漬を下げて帰る様はこれは飛んだ色消しに見えたり。
花瓦斯とは広告用のガス灯のこと。
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明治26年10月21日読売新聞

2007年07月24日 | べったら市
明治26年10月21日読売新聞
昨日の恵比寿講
昨20日は日本橋区瀬戸物町福徳神社境内の恵比寿神社は例祭に付きその近傍にては毎年軒提灯を掲げ、ことに午後よりは三十五座神楽の奉納があり、参詣人も中々出かけたり。また同区大伝馬町辺りの大店向きにては同日番頭以下小僧に至るまで一同休業を許したり。

この時代は恵比寿講の時,商店は休んでいたらしい。
埼玉県秩父市の秩父神社神楽は、現在、三十五座を演目とし神社境内にある神楽殿で上演されます。三十五座神楽と関係あるのでしょうか。
 福徳神社とべったら市の開催していた大伝馬町はほとんど隣の町と言って良い距離である。
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明治40年10月20日東京朝日新聞②

2007年07月23日 | べったら市
明治40年10月20日東京朝日新聞
べったら市の夜況
昼間は大した事もなかったがが夜に入りてよりの群集雑踏は芋を洗うが如く肩摩轂撃(けんまこくげき・人や車の往来が激しいこと)とはこの夜の景色を示すものならんかと想われたり。大伝馬町一、二丁目、小伝馬町、鉄炮町、人形町通り、この辺一帯諸種の露店にて占領し人多く立ち止まりたれど財布の紐難く締められば売れ行きは思わしからず、見渡した所、例の浅漬大根はボツボツながら掃けたるはさすがは売物の隋一なりと頷きぬ。売値も吹きも吹きたり太くして長き物は一本45銭の50銭のという。これを7~8銭よりつけても10銭位にて買う。小僧若者等は麹の付いた大根をベッタラベッタラと振り回して人を別けていく。鞍掛橋の通りは電車三両づつ繋ぎながら進行する。日本橋署より出張の巡査数十名と会社の監督数名と共に提灯を振りて辻辻を警戒するなどなんとも言えぬ混雑なり。売店の多くは植木、お宮,雑器、浅漬大根、切山椒等にてその他玩具、飲食物等に充満している。とにかく本年最初の市なれば露天商人の意気込みは甚だ盛んで、八時より十一時頃まで最も盛り、十二時過ぎには群集もやや疎らになった。
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明治39年10月20日東京朝日新聞

2007年07月22日 | べったら市
明治39年10月20日東京朝日新聞
昨夜のベッタラ市
日本橋区大伝馬町のベッタラ市は昨夜をもって開市した。例の浅漬大根は売れ行き頗る活発、一本7~8銭より3本組み合わせ20銭内外にて夜の十時頃には七八分を売り尽くしたり。
恵比寿講と魚河岸
今夜の恵比寿講に用うべき魚類は昨日入荷少なきため価格が高く、掛鯛のごとき一貫目2円40~50銭、刺身物カジキ十貫目16~17銭、キワダ14~15円、カツオ同10円位の相場にて景気は頗る良いという。

日露戦争の後少し落ち着いたのだろうか?ベッタラ市の最盛期となる。
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明治37年10月21日東京朝日新聞

2007年07月21日 | べったら市
明治37年10月21日東京朝日新聞
一昨日のベッタラ市
一昨日のベッタラ市は天気良かりしため午後四時より人出多く、七時頃に至りては大方ならず賑わいました。されば通旅篭町大伝馬町界隈は一時通行も出来ぬ位の雑踏に横町々は車馬の交通を止め、警察官が出張して警戒をしていた。
また商人は午後六時頃までにすでに店を出したるが、例の浅漬の大根は本年は廉価のためにや売れ行き良かりしようなり。

日露戦争中であるので露天商が出店の時間が遅れたのだろうか。
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明治36年10月20日東京朝日新聞

2007年07月20日 | べったら市
明治36年10月20日東京朝日新聞
ベッタラ市と戎講
既記の如く昨日は日本橋大伝馬町のベッタラ市の当日であるが生憎曇天であるので諸商人は正午頃より定めの場所に出店し、大伝馬町、通旅篭町、小伝馬町等の通り筋は呼び物なる浅漬大根を初めとして切山椒その他売物ずらりと陳列していたが中にも小伝馬町辺りへ出店した植木商の菊花は美を添えて床しく見受けられた。されど昼間は人出少なく夜に入る雑踏を見るようになった。さて浅漬大根はまず七八銭のものが売れ行きの良い模様である。次に本日は戎講なるが大伝馬町等の大店向きは今も尚恵比寿講を催す由ならば日本橋魚市場にては昨朝既に鯛その他頭付きの魚類は幾分景気ついていて、五寸より尺位のものにて近海物の大鯛一貫目3円内外にて五寸以下即ち俗に花鯛と称する物は1円50銭位なるがこの花鯛と称する品はすべて水戸産のものなるがよし、又刺身物にては十貫目に付きカジキ18円、キワダ11円、メバチマグロ10円、カツオは7円位の見当であるし、また格安の切り身物のマグロは目下青森より日々四五車づつ入荷があり、上6円次物3円50銭位にて近海物は更に入荷がなく海老は尾州三州物多く大樽1個に付き10円位小樽5円50銭より6円位なるが蒲鉾はんぺん等も幾分か高値を示したがこの恵比寿講を見込んだ故という。

東北本線は明治24(1891)年には上野~青森間が全通、尾州三州物とは今の愛知県のこと

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明治36年10月19日東京朝日新聞

2007年07月19日 | べったら市
明治36年10月19日東京朝日新聞
ベッタラ市の地割り
日本橋区大伝馬町通りのベッタラ市は既紀の如く本日より始まることなれば昨朝は大伝馬町・通旅篭町・小伝馬町・同上町・旧牢屋敷表門裏門等へは諸商人が集まり世話人と共に地割りに着手していた。元来この市は商人連にて顔合わせ市又は景気市と唱え、年内売品の初相場などが決まる事とてその忙しさは大方ならずという。また日本橋署にては昨日中に警戒その他の部署を定め、当番非番巡査の総出にて充分取締り,点火等に関しては一般に厳重に注意を加えるはずなり。
点火等とは夜間照明用のカンテラ(手提げの石油ランプ)の点火のことか。
東京各地から集まって来た露天商の初市のための情報交換の場でもあった。露天商でも時代によって販売する商品が変化している。
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明治35年10月21日東京朝日新聞

2007年07月18日 | べったら市
べったら市の様子
明治35年10月21日東京朝日新聞
夷講と魚類
昨日も例の二十日夷とて旧習を守る商家にて今尚夷講を催して商売繁盛を言祝ぐ(ことほぐ)なり。されば昔よりの式は追々廃れしも当日の立て物である飾り鯛のごときは相変わらず呼び声高く相場は魚市(の値段)に跳ね上がり。買い人の顔色を見て取っては千円万円とも吹っかける勢いで、ことに目下赤十字社大会出席のため地方より上京する社員数を知らず料理屋旅館とも魚類の需要頗る多きところより一般品は沢山にも拘わらず高値を唱えて売惜しみたり。さて夷講に用いたる鯛は本日少し下落の傾向があるけれど諸方より入荷した物を選ばずして大物尺以上一貫目二円五十銭,小五六寸物同金三円二三十銭にて夷講には小物の売れ行き多いため(日本橋魚)河岸相場はかえって安くない。このほかの魚類にて上等刺身用カジキ十貫目二十円より十五円に下落し次ぎ物の北海マグロの骨取の箱入り氷詰にて十貫目七円五十銭、ボラは養魚池産四五銭、伊豆イカは品物沢山にて一杯二銭二厘、ソーダ鰹は大十二銭小五六銭、鯖は沼津ものにて大八銭五銭、次物五銭、サンマは房州の大物四五銭、鰮は江戸前二三銭、カマス一銭十二厘、鮫はかまぼこ用の品は少なく撞木(しゅもく)鮫十貫目八円くらいなるが以上は魚河岸相場にて小売は東京市中まちまちなれば此処には挙げず、とにかく夷講当日としては無理なき相場であるという。


佐野常民(日本赤十字社の創立者)が明治35年10月、日本赤十字社創立25周年式典において、皇族以外に例のない「名誉社員」におされた。
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明治35年10月16日 東京朝日新聞

2007年07月17日 | べったら市
明治35年10月16日 東京朝日新聞
ベッタラ市と恵比寿講
月日は夢のように過ぎて今年も早ベッタラ市に近づきぬ。来る19日はその当日なり。日本橋署にては市を開く大伝馬町通り、旅篭町、小伝馬町等へは非番巡査を出だし、非常警戒を為すはずにて鉄道馬車も線路監督四五十名を派し、なお電灯会社にても万一を慮り技師及び線夫数名を出張せしめ警戒をなす由。また市商人は昨今販売品の支度中なるがベッタラ市の第一の呼び物なる浅漬大根の原料は主に板橋近在の農家より出づるものなるが本年は去月28日の暴風雨にて畑物は大いなる害を蒙りたれば品物払底を告げ相場は非常に高くなり、また麹もあまり安くなければまづ本年の浅漬は一樽6円位の相場になりといえば、昨年に比し二倍半以上の高値なりという。さて一たるの大根は大抵120本位入って居れど、この先大根が大きくなる時は百本以内となる由。また小売値段は市のことゆえ吹き次第なるがまづ一本の値段は10銭位の見当になるだろう。さてまたこの翌日は恵比寿講の当日に当るので大伝馬町付近の大店向きにては両福神を床の間に祭り夜は店員一同無礼講にて祝宴を開く例なるが近年はこの儀式も簡略に流れているけれど呉服店又は旧格を守る店にては矢張り鯛の向こう付けにて店員を慰労する由にて最近は棚卸は前日に行い向きもあり、また番頭の更迭或いは胴上げを為すと言う。

明治の大海嘯(だいかいしょう)9月28日に台風による高潮
両福神とは恵比寿神と大黒天
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