年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ボケ力(ちから)が人生を幸せにする

2022年06月30日 | 宅老のグチ
 老年精神科医の和田先生の著書は今売れていて、特に80歳の本はとても参考になりそうだ。65歳を過ぎれば好きな生活行動を取ったらよいと感じる。

自分が高齢になるということ 和田 秀樹著 2018年6月
死ぬまで上機嫌  弘兼 憲史著 
 連続で高齢者本を読む。前者は医者系で、後者は作家系
 どちらも人の付き合いの多い人で一般人の本としては上から目線と感じるところもある。そこには介護の情報取得の勝組で高齢者の制度変更の情報を入手できる人と付き合っている。多くの高齢者は突然の身体の変化で、どこに相談してよいのか不明で迷うひとが多い。大きな病院は相談係があって次の地域情報が入るがそれでも病院の制度と介護保険の制度の仕組みが異なっていて、母の介護体験では介護の認定質問の時に母は健康(できる事)を強調したこともあって、困った。それも時間が経って普通に介護認定となった。特に要介護3と2では大きな違いがあって、特養には3が絶対必要なのでほっとした。介護の情報は地域のマネ-ジャ-が知っていて、そこに辿りつくまで時間がかかる。多くの人は健康時に付き合いがなく、デイサ-ビスの車が日中に町内を回っていても眺めていると感じる。
 安い介護施設は待機人数が多く、介護者の困窮度によっては入れる速さが異なると感じる。介護ヘルパ-さんとのデイサ-ビスの隙間時間に話すと100歳になって要介護3だと特養に入れる確率が高いという。
 金力で入れるサービス付き高齢者住宅は今は成功者のシンボルで、身内の介護は本人以外は人生の時間を拘束し、さらに旅行等の時に息抜きであっても罪悪感もある。ある程度介護すれば少ない時間でも悔い感が薄れる。やっぱり100歳は人生の成功者と見なされるが、今20歳ぐらいの人は医学の進歩で女性は105まで生きるのが普通だろう。
 母の100歳死を伝えると、お悔やみより介護の苦労を慰められた。多くの高齢者は全部と言っても身体障碍者で裕福だった人ほどわがままだと上記の本に書かれている。どの国も日本より急速高齢化してはいないつまり前例がない。今の日本の成長の技術革新は高齢者介護のところだろう。高齢者に対する虐待は法的に犯罪と見なされるのも長期の介護で仕事の不満を高齢者(弱者と見なされる)にぶつけてしまったと思う。幼児と違って高齢者は介護すればするほど進歩は見えない。見えるのは自己満足しかない。親から受けた恩を返したという。しかし今は相続という問題が後で発生し、介護の評価のむなしさが残る。相続にはそれぞれの介護評価が加わり、虚しさが残る。宗教観が薄れている今何が祖先を知ることが出来るのだろうか。長寿は寿なのだろうか。呪とも書ける。





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狂乱物価の記憶

2022年06月29日 | 宅老のグチ
1970年代のオイルショックの思い出は記憶に微かに残る。あらゆるものが上がった。遅れて給与も上がった。
 今は再びあのオイルショックの再来になりそうだが、経済新聞記事ではアメリカが物価上昇のピークを過ぎつつあるという。日本は電気とガスは輸入でさらに為替の円安でまだ上がりそうで油断はできない。イエメンという中東の国が内戦混乱の中、ウクライナからの小麦が途絶し、食料危機という。日本からコメを緊急支援する話はない。
 1ドルが135円の節目を超え大騒ぎしているが1998年以来の円の独歩安という。感じとしてバブル再来感はないが秋口の食品価格の暴騰が気になる。歯止めの効かない食品の値上げの中で、対応できない日本古来の人手のかかる食品が値上げで客離れが怖く、消えてゆく。多くの飲食店が利益を削って、設備投資をせず、後継者が利益を出ないのを知って、廃業となった例が昔は多発した。物価の上昇は対応力の差と経営力差で決まる。幕末から明治期にもあって、次代という変化が職業の強制的な切り替えが進ませる。江戸の町は駕籠かきから人力車へ変化し、今の浅草線の車庫あたりに(浅草署付近)に貧民街を作った。多くは人力車の人たちで武士に雇用されていた人たちの仕事だった、今は土地の高騰で上野駅に近いゆえ再開発され、明治期の貧民街があった面影はない。
 令和の狂乱物価は敗戦後の混乱、バブル期の上昇に次ぐものだが、食だけで土地の価格に反映するのは東京等の人口が減りにくい都市のみ上がる気がする。なぜなら為替から考えると激安な日本の土地は、中国等の外国人から考えると安全安心な国となる。近所の旗竿地の土地価格が1坪250万円の投げ込みチラシで入っていた。ここ数年200万円だった。だがまだ売れていないようだ。
 このような時期は高齢者は過去の知見で何とかなると思うが、何とかならないのが通信系の料金で携帯電話も間も無くガラケ-の3G終わる。5Gでうっかりすると料金が大変だ。光回線でネットを使っているがデ―タ量の多いものは見ていないがADSLが設備の関係で廃止となり、強制的に光回線の選択となった。光は早いが2倍の料金となった。ネットの情報では縛りのきつい光回線の契約は7月から携帯電話のように遊女契約のように縛りが緩和されるというが本当だろうか。固定費となった通信料金は食料高騰の時削減の対象となり、我が家では新聞が最初の犠牲者となった。
 国民年金で生活している人はスマホに切り替えても、ネットは見ないだろう。この結果高齢者は情報弱者となる。
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幸徳秋水の猫の論

2022年06月28日 | 宅老のグチ
幸徳秋水
生年明治4年(1871).9.22. 高知県中村
没年1911.1.24. 東京で死刑死
社会運動家,無政府主義者。本名は伝次郎。1887年保安条例で東京を追われ,大阪で高知県の先輩中江兆民に師事,その思想的影響下に唯物論を学ぶ。のち上京して『自由新聞』で記者生活を始める。自由新聞の絡みで団団珍聞で社説(茶説)を書くようになった。
 過日調べた都立中央図書館で 団団珍聞(まるまるちんぶん) 複製版1巻 の初めの解説でこの風刺漫画雑誌の沿革からその影響を解説していて、創立者野村文夫が死去後に、幸徳秋水が団団珍聞に入った経緯が理解できた。
 野村の死去時には団団珍聞の勢いが消えていて、かろうじて幸徳の茶説で保っていたが編集・経営の考え方で対立し雑誌は消えた。1877年(明治10年)から1907年(明治40年)まで刊行。自由新聞の大岡育三の経営に移った団団珍聞は銀座4丁目で編集していたのに、団団珍聞の出版住所は神田区雉子町32だった。ここの住所は正岡子規の在籍していた新聞日本と同じで、一時同居となっている。
 明治の終わりの社会主義者弾圧事件の大逆事件は今では歴史家から冤罪と見なされているが当時の評価はどうだったのだろうか。鶯亭金升日記には第三者的な目線で書かれて、自分の付き合っていた時の大杉とは違っていたと書いてあった。野村文夫の死去後の珍聞館時代は真木痴嚢と鶯亭金升が編集の二本柱だった。自由民権の時代は遠く、日清戦争・日露戦争に連勝した後の団団珍聞は、政治批判が薄くなり芸妓の話題と漫画が多くなり、風刺戯画雑誌の色彩は薄れて行った。 風俗的な雑誌になって政治批判は避けていたが幸徳秋水の茶説で出版数を保っていたと複製版の解説で書かれいた。
 図書館で幸徳秋水全集第一巻を借り出し、返本前にもう一度読んでいたら、明治33年の秋水の茶説に猫の論があった。明治期の猫は二本松の儒者服部撫松が命名したと思われる新橋等の芸者のことを暗示していた。男のところにミャ-ミャ-と泣きすり寄る芸者の姿からだと思うが初出の通説はない。明治期はじめの新聞で校書と書いてルビでゲイシャとふってあった。(中国、唐代の名妓、薛濤(せっとう)がその文才を元稹(げんしん)に認められ、校書郎に任ぜられたことから) 芸妓、芸者の異称。 芸者の始まりは中国から宴席を盛り上げる女性から始まり、日本では幕府内部の情報交換の場で女性が宴席を盛り上げている絵が見える。出自不明の花香恭次郎はこの宴席の女姓と戸田伊豆守氏栄との子と思われるが学者は証拠がないので出自不明となっている。佐倉藩の依田学海を描いた『最後の江戸留守居役』は留守居役の交際時の風景の絵がある。明治の初期の新聞では校書が出ていたが、次第に消えて芸者となった。漢文の素養が消えたと思う。 
 幸徳秋水の猫の論は風が吹くと桶屋が儲かる話と芸者猫の取り締まりとを面白おかしく団団珍聞の読者に茶説として書いてある。このころはまだ秋水が無政府論者ではなかった。従って鶯亭金升の同僚だった秋水が反逆者として処刑されたのは想像していなかった。金升の雑俳の仲間に和歌山の新宮の大石誠之助も大逆事件で処刑されている。金升は政治から逃げていると感じているが周囲に過激な人が集まる。金升は何か不思議な人物である。反体制派から非体制派の人を集める。しかし自分は政治経済から逃げの姿勢で、これは父の長井昌言の遺言だろう。従って鶯亭金升は人名事典では演劇系の経歴が書かれている。


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終戦直後の不都合なことーー 闇市で生き残った

2022年06月27日 | 宅老のグチ
今の日本で生きている人は敗戦直後から数年間の食事情を知っているのだろうか?

北海道弁護士会のコラム(─虚像を斬る─ 山口判事没後55年に思う
函館弁護士会  山形道文)で配給だけで生活し、餓死した裁判官の真実が調べ記述している。山形氏の指摘があるように多くの歴史辞書等で餓死した山口判事の記録に誤りがあって、さらに編纂者の都合の良いように事実を改変や歪曲している部分もあり、それを調査しないで引用している例が多いという。
 戦争が終わって、8月15日の記事から翌日には新聞論旨が正反対になった。戦時中は鬼畜米英の紙面が8月16日からは見習え民主主義と転換した。この価値観の大転換は江戸幕府が崩壊した時にもあった。言論統制に慣れた論説委員はどんな気持ちだったのだろうか。
 敗戦後の国土は田畑山林が荒廃し、さらに台風などの災害で食料が不足し、配給の食料だけでは生きてゆけない状態だった。消えた軍隊の戦争継続のための備蓄食料を力任せで盗んでいた。弱肉強食。特攻隊崩れという言葉もあった。 敗戦により復員してきた特攻隊の生き残りで、社会的な規範を無視したり、平気で常識外れの行動をとる連中をこう呼んでいた。
坂口安吾 (特攻隊に捧ぐ)
 農漁村部出身でない人たちは何らかの不正な手段で食料を確保し生き残った。この件で今は戦時中の話をしても戦後の混乱期をどう生きていたかの記録が少ない・多くの記憶は子孫に残したくない記憶だろう。タダ米軍の写真は戦後の日本の状況を残している。不正しないで生きることが困難だった。だからこの時期の記録と記憶が消し去られている。都合の悪いことは記憶を消す。
 新宿区の大根街道 (清戸道)を練馬から野菜を大八車で青果市場へ運んでいる写真を見たことがある。そのダイコン等の野菜の上に空樽が載っている。この樽は東京市内で排泄物のくみ取った物を入れる容器だった。野菜の肥料だった。進駐軍の兵士は(ハニーカー又はハニー・バスケット・パレード)と呼んでいた。 下肥で育った野菜を食べていた戦後の小学生は体の中に巣食う回虫駆除の薬を飲まされた。今の小学生が聞いたらとても信じられないだろう。有機の肥料は多くは動物の排泄物の由来である。
 今食料の元になる肥料等の高騰と不足が意識されている。油断していたようだ。今日は停電予告が出されている。夕方からの帰宅時間が危ない。
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エアコンの記憶 昭和60年頃の築地市場内で

2022年06月26日 | 築地市場にて
暑さは今は学校でもエアコンが入って夏でも苦ではないところも増えている。昔と言っても昭和の終わりの築地市場の卸売り場には温度調節のエアコンが入っていなかった。当然のように夏は売れ残ったスイカが腐ってゴミ置き場に積まれていた。平成元年5月6日 大田市場青果部が開場すると、大田青果卸売場はエアコンが入っていて、産地で冷蔵した気温で青果売場に届き、そのまま冷えた状態で量販店に前取りで販売され、店舗に並んだ。ところが築地は狭く、さらに温度管理できないので急速に青果部の売り上げが落ちた。理由は簡単で市場内の物流が整備され、荷物の時間が読めることと、大田市場の青果物の日持ちが冷えていて築地市場より長い。豊洲移転騒動の時、青果部が移転に仲卸を含めすべてが豊洲移転に団結していたのは温度管理が出来なければ天下の築地の気風が江戸時代の名残となってしまうという共通の想いがあった。
 エアコンが築地市場に普及しなかった原因は移転または再開発の問題があって、電力の増設の見込みが立たず、先送りされていた。冷蔵庫用の電力に余裕が出来たのが大田市場が開業してからと思う。さらに事務所にエアコンを入れようとして陳情した時もあった。200Vの電力はなかなか確保できず、ガソリンタ―レ-の普及が遅れたのも充電設備と場所の確保が難しかった。電動タ―レ-が普及すると、築地市場内を爆走するガソリンタレ-が減り、静かになった。そしてガソリンタ―レ-が東京都の規制で新規購入は補助金が出て普及していった。それでも初期の電動タ―レ-は漬物のような重いものには一日の走行に無理と思い豊洲移転の3年ほど前にガソリンタ―レ-の部品が無くなり、仕方なく電動タ―レ-に替えた。電動タ―レ-が普及するとガソリンスタンドが1軒廃業した。地下の石油貯蔵タンクの改修が出来ないとか書いてあった。
電動車の進歩はすごく、一日の走行に耐えるようになった。それでも1回電池切れがあって、押して戻ったこともあったようだ。豊洲では市場内走行のみなので問題はない。築地では早朝には銀座方面で動いていたのを見かけた。もう築地移転して風景が変わったが、市場前の歩道に杭が置いてあったのは、車道を避け歩道走行するタ―レ-を阻止するためだった。歩く人がほとんどいないのに朝日新聞前の歩道の幅が広いのは昭和の名残で買い出し人の車が歩道に縦列駐車していた。大田市場開業後に築地の混雑が減ると東京都は姑息な手を使い、市場外の駐車空間を減らす策を出した。歩道に植木を植え、緑化した。最初は柳だった。銀座の柳で、今は少なくなった。さらに杭とフェンスで歩道を守った。築地市場の最後の新大橋通りは普通の駐車風景となった。長い間築地にいたので知っている人もこれから減るだろう。まだ豊洲へ移転して3年ほどなのにコロナで10年も前の話のように思える。
 
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人の不幸で繁盛する仕事

2022年06月25日 | 宅老のグチ
江戸時代の最下級の仕事の成り立ちの文献を読んでいると今の世の中にある仕事の理由も理解できる。それが普通の仕事と認められ、意識を変えさせられ時には尊敬もされる。
 国民健康保険の収支の数字で、昨年は黒字だったという。あれほどコロナで騒いでいて、国の予算もつぎ込んでコロナを抑えていた。それで一般の病気や検診が減り健康保険の請求が減ったという解説があった。今年はコロナの恐怖感が消え、元に戻ると思われるがマスク姿が夏でも消えずどうなるか判らない。
 ここで諸物価が上がっているので、年金収入しかない高齢者の対策として、不要不急の医者通いがあるかもしれない。高血圧の薬はコロナ前はひと月ほどしか処方箋を出してくれなかったが、コロナが怖いと言えば今は3か月分出しそうだ。その分交通費とかが減って家計が助かる。コロナ前は病院の待合室が老女の交歓の場でもあってお互いの健康確認とかの情報交換の場でもあった、今は長居することもなく閑散として待合室の寂寥感がある。
 同様に母の死去で葬祭場が簡素化され、焼き場前の泣き叫ぶ姿が少ないを感じる。実際は関係ないと思うが気分が変わる。

 ここ2年の梅干しの不作と長い梅雨で和歌山の梅業界が売れ行き不振で大変だった。何か天気予報では梅雨明けの話が出ているがまだ熱中症が少ないと感じる。梅雨明け数日が一番危険であって、まだ量販店は梅雨の売り場構成となっている。早い梅雨明けは水遊びで死去する子供が増える。監視が少ないので海も危険だ。熱中症の報道が増えるに従い、量販店の売り場が広がり、普段は漬物売り場を通過する人も特設コ-ナーで塩飴とかの商品と並べられ売れ行きが良くなる。

 多くの災害、病気は商売の道具でもある。不安を煽り貯めこんだ貯金を合法的に引き出す。これは司法の域外でまたこれを利用する犯罪者が出る。今は死の不安より、長寿の不安が増す。コロナで感染不安から医者通いを減らした。
感染のバラマキからマスクが消えない。
 選挙の候補者が感染したらどうなるのだろうか、人は集めないといけないし、マスク姿で演説も菌をバラマキしそうで不安を招く。

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いよいよ30度超えの気温で

2022年06月24日 | 宅老のグチ
世間では今日の気温は問題だが、漬物業界では忙しくなるところもある。今年の青果市場の生梅の作柄は昨年比でも良く、価格も下がっているようだ。本当はもっと下がってよいのだが物価の上昇と店舗経費の上昇で少し下がっている。焼酎と梅を漬ける梅酒は趣味に近くなっている人も多い。
 梅雨明けが異常に早かった豊洲市場移転の年は、TVで熱中症の話題ばかりで量販店では梅干しの陳列するところが広がり、盆明けには欠品するところも増えた。その理由は梅干しのお中元が増えたことから来る。あとから知ったのは量販店には漬け込みと天日干しの時期と梅干の売れ行き急拡大が重なってという言い訳をしていたようだ。ところが10月ごろに新物の梅干しが出てくる頃に当時の状況を聞くと、スーパ-で梅干しが欠品していたので7月の中元の関東でも8月の中元商戦で関西でも売れていて贈答品は採算が良いし固定客なので、値段が厳しい量販店には抑えて出荷していたようだ。
 今年の夏は中国の異常な暑さが日本にやってくる気がする。

 商戦は実弾(販売品)が無ければ勝てない。どうやらウクライナも夏で実弾とかエアコンのない兵士の士気が下がっているように思える。
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沖縄戦の最後の日 令和4年の想い

2022年06月23日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
先の戦争で叔父が沖縄嘉手納沖の米軍艦船の台湾の仲間と知覧からの出撃で多くの戦果をあげた。米軍の記録でも被災記録が残っている。沖縄戦は1945年(昭和20年)3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、組織的な戦闘は4月2日に開始、6月23日に終了した。 沖縄の組織的戦闘が終わっても、沖縄への特攻は続いた。
 天気情報から昭和20年の今頃は沖縄も梅雨明けだった気がするが情報は米軍しか持っていないと思われる。日本軍の天気情報は軍事機密だった。あれから77年経って時計が元に戻ってウクライナから始まった世界大戦前の気分に今はなっている。
 沖縄の南部に戦争で亡くなった人たちの慰霊碑がある。そこには嘉手納沖で特攻死した叔父の名前があるという。まだ行ったことがない。そこと伊江島と台湾国防大学(旧日本陸軍八塊基地)を訪問し、叔父の墓の付近に現地の石を置きたい、どこかの由緒不明の物体が叔父の墓の中にある。
 沖縄の梅雨明けは台風の接近の季節となり、中国海軍もこれには負ける。今年はまだ台風2号までで、帳尻合わせが台風が来るかもしれない。ここ数年は線状降水帯の雨で多くの水害が出た。

 6月21日に叔父の最後の日々を知っている女性に会った。彼女は当時14歳の台湾女子高校生?だった。戦時下の台湾で敗色が濃い中、縁あって叔父たちの特攻隊員との交流があって、戦後に同期の戦友が亡くなっているのに特攻隊員の選考に漏れ生き残って苦しんでいた特攻隊員と結婚し、今は逆さ歌のユ-チュ-バ-として90歳で活躍している。千葉県習志野の市民会館でのコンサ-トは300名近い観客で楽しんだ。人が消えた会場で初めて話をした。叔父の最後の3週間ほど知っている唯一の人である。もう戦友も生きていれば100歳近くなるので死んでしまっているようだ。
 これで叔父の亡念が収まればよいのだがしつこい叔父の亡念はまだ我々家族を調査継続に仕向けるだろう。でも77年の年月に何が残っているのだろうか。
 彼女のことが気になる人は、ユーチュ-ブで逆さ歌と検索すれば出てきます。どうやら小学校での講演で戦時下の話もあるようです。
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連続の大病で

2022年06月22日 | 宅老のグチ
70歳を過ぎるとずっと健康と思っていたのが、単なる勘違いで時間というもで日々劣化が進んでいることを知る。一番初めに表面化した病は帯状疱疹というもので気が付いて皮膚科に行った時はほぼ治癒に近く、赤くただれていて薬を塗ったら終わった。病名をネットで調べると老化で免疫力が衰え、隠れていた病原菌が活躍した様だ。その間に腸閉塞(イレウス)に罹り、高圧酸素室の治療を数回経験した。鼻に胃液と腸内液を吸い出す管が入っていたので、ベッドから動くとトイレに行くのも鼻と管がこすれて痛かった。それで数日はトイレと食事以外は鼻に挿してある管の摩擦を避けるため動くことを抑えた。寝ていて思ったのは根岸の子規庵で臥せっていた正岡子規が結核という病気の死の床にあって、それでも西の方にあると思える上野の山や隣地の北の根岸町百二十五番地に大原幽学八石教会東京出張所.から聞こえる音から俳句を作っていた。人はいつかは死ぬ。そして時間が経てば記憶が薄れ、何事もなく世間が運営されてゆく。歴史を学べば終わりの無い戦争はない。どこかで終わりそして終わり方からまた新しい戦争が始まる。輪廻のヤミは果てしなく続く。

 1ドルが136円になった。激安のPB商品の一部値上げを悔しそうにTVで放送していたが、多分その商品を売っている所の従業員と値上げを抑えて作っている人たちは激安の給与だろう。貧者はますます貧しくなり、心も貧しくなり、怒りを他者に向ける。そして豊者を妬む。アリとキリギリスの童話の解釈が日本と西欧が異なるという。日本は貯蓄しないといけないという発想だが西欧は生活を楽しめと思うようだ。日本の江戸時代の庶民はいつあるか判らない天災や火事で財産を無くすので宵越しの金を残さない気風が伝えられる。これを江戸っ子という。今は災害が保険でまかなわれるが貯蓄の多いのは病気が怖いからである。死ねない怖さを実母の死で理解した。100歳は介護の人を疲れさせる。自分も迷惑かけそうで貯蓄して施設に入るしかない。
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下から目線の反逆

2022年06月21日 | 宅老のグチ

グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた 辻野 晃一郎著2010年

 グーグルが巨大化し、巨大がゆえに西欧で問題を引き起こしているようだ。日本ではそこまででいっていないし、コロナで医療業界のDXが高齢の医療業界幹部で権益を守る意識が高く、進展が見られない。そこでも無意識で行動する日本国民の選択が働いて、一部の医療機関は患者が減って、給与も下がったという話も出る。
 アメリカでグ-グルの検索数が落ち目ということでこの本を借り出した。
日本語で説明責任(Accountability)というのがあって、どうも感覚的に日本の受け入れ方と異なる。多くの新規の発想は斬新であればあるほど旧習に馴染んだ人が難癖をつけるのが普通で、それに対して正しいと思っていても、地道な説明と継続的に説明する責任があるという。多くのアメリカ由来の経営用語は日本語に変換され、さらに誤理解で進み進歩を阻止する方向に向かう。
 テレビの広告は一方的に大量に流し、量販で宣伝費を回収する。双方向性のネット広告は関心のある人に必要な広告を出すことで広告の質を上げてきた。今の日本は高齢の消費者が朝からテレビを見ているので、視聴率が高くても購入に金銭に余裕がないので商品購入に繋がらいと言われ、TVの視聴率の調査方法を変えた。
 多くの家電商品の普及発達史を調べていると先端の家電は金に糸目をつけない人たちの購入から始まる。高価な映像系家電はアダルト商品から始まる歴史があった。そこで今の状況を検索すると、何日経ってもアダルト用語が検索上位に出てくる。同様に賃貸ペット可の不動産物件の検索も同じだった。もう必要のない検索上位は検索サイトの信頼性を失う。アマゾンの商品検索もコメントがいかがわしいので信頼性が欠ける。やはり中国産製品の購入はギャンブル性かゴミ購入と思うしかない。コメントの日本語の質が向上していて、見分けが難しくなった。飲食店サイトの検索もダメ元の評価が少なく、何かいかがわしい。料金で上位に出ると思われる。
 辻野 晃一郎氏の大企業幕藩体制の崩壊という言葉が新鮮だった。大企業の下に中小企業を従えて成功した体験が今はだめになった。多くの日本の経営者が自分の成功を破壊する後継者を選ぶことは少ない。ひたすら内部留保でため込み新規事業の情報を探る。過去は成功したが今は三番手の企業の入る余地は少ない。それほど世界の情報の伝達は早く、目利きのソフトバンク社長でも多くの失敗案件があったと思われる。多くの失敗経験が目利きの上達を促す。しかし日本は一度失敗すると再び立つことは難しい。最近の営業詐欺師はかなり学習し、何度も詐欺を成功させている。
 日本は下層の人たちが時間が経つと上位の人たちの意見を聞かなくなる。コロナも結局スペイン風邪と同じ経過をたどりそうで、日本ではマスクをして2年強の時間が経てば終わる歴史だったかもしれない。方や中国は初期の成功を強調したため今は苦しんでいて、オミクロンに負けそうだ。これでは当分中国人が外国に旅行出来そうもない。
 タイは中国とロシアの人たちに人気のある観光地だが今後はタイで平穏にリゾ-ト生活を楽しめるのだろうか。国の給付金犯罪者が簡単に逃亡先から帰ってくる。何が変わったのだろうか。日本でも外国人が減って存在が目立っている。
 
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グ-グルの検索でゴミ情報が上に出る

2022年06月20日 | 宅老のグチ
調べごとをするのにグ-グルを使っているが検索目的のところに中々たどり着けない。その理由として広告が上位に出ていることから始まる。
 最近DuckDuckGoという検索を知った、どうやらグ-グルより宣伝広告が今は少ない様だ。検索システムが大きくなると技術者の生活維持のため結局広告がふえる。
DuckDuckGOは個人の情報を利用しないと言っているので広告の質が異なる。使い始めた時間が少ないのでまだ評価の対象とは出来ない。
 多くのお客様好感度の上位にあると書いてあっても、疑念もある。誤解も理解の一種と言えるが、ネットの文字数の関係で全部を書けないことをうまく利用している。好感度・満足度一位はウソの一位を表示しているように思える。
 今は営業詐欺師の土俵にグ-グルの協力度が一位にしているように思える。審査基準が初期にしかなくなったのだろうか。築地で働いていた時、グーグルの宣伝葉書が来ていた。内容は15年以上の前の話で忘れたが参加すると検索上位に出るという。最も中央卸売市場法の規則で市場関係者以外の宣伝は役に立たないし、アナログの世界の人が多く、特に農林水産系は理系人物が都会に出たきりで、どちらかというと事務系で結婚で故郷に戻った女性の方がパソコンに強いとおもった。しかし昔のパソコンは高価で男性が予算配分を持っていたので都会より進展が遅れ、さらに地方には人材が不足し、故障の対応で、出張費の高さ普及を妨げていた。オフコンの全盛時代でWIN95から展開が変わった。

 それでも多くの市場関係者がHPを持っているが,更新は少ない。そもそも情報交換は日々電話で行っていて、数字はネット経由で農林水産省へ回る。全国の指標となるのだがその設定の基準が各会社で異なっているはずで、統計としての正確性は薄いと感じる。
 以上の根拠で生鮮食品市場でお客様満足度一位と言っている所はあまりないように思える。よく見かけるのは美容業界で多くの業者がお詫び広告を出し、会社名を変えた。
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米(こめ)と二宮尊徳

2022年06月19日 | 宅老のグチ
食品が円相場とウクライナ戦争の余波でデフレとは思えないくらい値上げという価格改定が進んでいます。その中でもコメが売れ行き不振で減反が継続されています。コメと肉のミックス食品である、築地市場内から全国に普及した牛丼もありますが、いまいちコメの消費拡大がおろそかになっています。
「米」という字は「八十八」という文字からつくられたという俗説があります。 お米ができるまでには88回もの手間がかかる、という意味で共通認識のようです。 昔に比べて今は便利な農業機械もあるので、米作も簡単になったようですが機械代金の償却と農閑期の維持整備は大変のように感じます。 いまでもイネを育ててお米を収穫するまでには、たくさんの手間がかかります。
 江戸時代の印旛沼開削工事を調べていて、二宮尊徳が工事の見積もりを出していたが、工事人夫を雇用するのでなく、平時は農業に従事して、農閑期に幕府の資金で運河開削工事を行う仕法のようで、異国船の浦賀封鎖の懸念があった時なので、この仕法では短期間で運河開通ができないとされ却下された。浦賀水道が異国船で封鎖された時、江戸の物価が高騰した。
 二宮尊徳のことは少し知っていて、彼の生家を訪問したことがある。実に粗末な家で酒匂川の氾濫 で二宮家の田畑のほとんどが流出してしまった。 耕作放棄の土地から少しづつ収穫し、失った田畑を買い戻した。このやり方を小田原の藩が認め次第に農業コンサルタントのような仕事になった。ゆっくりと進める仕法はうまくゆく見事だが、天変地異に弱く、油断すると元のやり方に戻ってしまうようだった。このあたりの妨害者は農村地域を縄張りとする博徒と思える。房総の博徒の顧客は農漁民だった。今でも思うのだが農林水産業はギャンブル性のある仕事で1+1は必ずしも2にはならないし、時には1+1が0.5位の時もあるし。マイナスの時もある。
 天気と市場動向に恵まれれば農林水産業はやめられない。タダ良い時は翌年には作付けが増え乱売となる。昭和の30年代鹿児島県でタクワン大根栽培で農家が潤い、多くの農家が家を新築した。錦江湾添いの工業団地に関東では作れない巨大漬物工場が複数できた。次第に沢庵の消費が減り、農家がイモ栽培に変化した。イモは焼酎用だった。市況の変化に合わせ農家も作物を変えてゆく。この才覚がないと今の農業は職業として継続できない。
 コメの関する政策は今から思うとつぎ込んだ税金が農家のためにならず、人材が消え、政治にたかるか頼ることになり、ますます将来の希望が見えず若者の人口が減ることになった。次の衆議院の区割りで有力な政治家の選挙区が分断され減り、都市の選挙区が増える。5年後にもさらに増え、最後は衆議院でも1県1選挙区ということもありうる。

 1年で60万人減る人口が団塊の世代の男性が75歳を過ぎると統計上では死去数が増え、男女比が逆転し、100歳では男性は稀となる。そんな統計上の数字でも、生きていても認知症の問題があって、男性の問題行動(運転免許返納・暴力・女性介護者へのセクハラ等)そろそろ介護情報共有される時期が着ると予想する。これは個人情報の問題からヘルパ-さんの安全問題に変化すると思われる。埼玉県であった介護していた医師に高齢遺族が発砲した事件がきっかけとなるかもしれない。
 出生時男女比によりますと明治時代からの統計を見ても、ほぼ出生時男女比は1.05で、男児のほうが多く産まれます。 75歳を過ぎると男性が激減し、未亡人が増えることになります。シルバ-パス利用の元気な高齢者の老女が目立つのはこのような統計の必然性があるのです。

 今高騰している食品物価に対応するのはコメを中心とした昭和の食へ転換する必要があります。そしてこれは国防に繋がるのです。ロシアと中国の恫喝に対抗するには自給を見込める米しかないのです。

 
 
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無知な老人は食い物にされる

2022年06月18日 | 宅老のグチ

「高齢者差別」この愚かな社会  -虐げられる「高齢者」にならないために-
和田 秀樹著 2017年7月詩想社新書  18
 多くの高齢者はこの本を読んで心の中を表に出すべきだろうと思う。高齢ということで人生経験が長く、それなりの対処法があって、どうせ消えてゆく身で晩節を汚したくないと思う人もあれば、逆に虐げられていて最後に不満を抑える前頭葉がの制御が効かなくなった人もある。昨年一時入院した病院の脳神経科には脳の病気となっている人もあって、他人の人生を知る。周囲や家族も大変だろうが本人の過去を知っている人は変化も知っている。
和田先生の高齢者の病気に対しての本は多く、本を読む習慣のある世代の関心があって売れている気がする。しかし今は金がないのと引っ越しで部屋が狭いので図書館で借りるしかない。多くの高齢者本は傾向があってどれも納得する部分があるが実際は自分の状況と周囲の状況をあわせ、経済の見通しを入れると何も不安で時間だけが経ってゆく。そして時間が経つと建物が古くなり、リフォ―ム業者が補助金が出ますからと営業ト-クで攻めてくる。多くの高齢者の詐欺まがいの工事の契約は人付き合いが減った高齢者の状況を示している。

 今度の一時転居で、多くの老人の付き合いで不動産業界の人との付き合いが少ないと感じる。家を買っても売ることは慣れていない。特に木造家屋は個々の家屋の評価価格が難しく、固定資産税の評価では測れない。転居する予定の家は昭和の作りで、一応リフォ―ムされているので賃貸に出せるが内見した数件の家はエアコンが各部屋に付けられず、さらに水回りが昭和の作りで風呂も追い炊きも出来なさそうだった。またテレビも昔は1家に一台だったが、今はサイズの小さいのは1万円台からあってアンテナ配線が少ない。さらにコンセントが少なくタコ足配線となりそうだ。
 時代はさらに進歩していて、タンス等の置き場が消え、ウオークインクロゼットが普及していて、今度の転居で箪笥が粗大ごみとなった。家具類がニトリとイケアの組み立てになって、捨てる選択肢が出たようだ。このような情勢の変化は不動産屋との付き合いがないと知ることない。
 そこで空き家となっても次の使い道が見つからないし想定以上の安値で売るしかない。古家のリフォ―ムは需要動向を知らないと危険である。都内の空き家が増えるのは必至で相続人を悩ませるだろう。
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江戸時代の遊女の契約を思い起こす光回線契約

2022年06月17日 | 宅老のグチ
一時転居で、今使っているNUROを解約しようと連絡したら、次のようなメ―ルが来た。

お客様情報を確認したところ、他事業者から番号ポータビリティにて移転した電話番号であることが確認できました。
このまま退会処理をいたしますと、電話番号が消失してしまうため、退会手続きはできませんでした。

誠に恐れ入りますが、他事業者へ番号ポータビリティの手続きをお願いいたします。
必ずご自身で手続きをし、電話番号の移行完了後に改めて回線解約申請をおこなってください。
※電話番号の移行完了日から約10日後より解約申請が可能です。

また、他事業者へ番号ポータビリティが不要で解約申請を進めたい場合は、お手数をおかけいたします。
以下の窓口までご連絡いただきますよう、お願いいたします。

 NUROの特色は回線スピ-ドが早いので契約したが、3年縛りという契約で一時転居とわかっているのでまた3年縛りNUROという選択肢は無かった。ドコモ光等の一般の光回線業者はみな2年契約で、解約金も安いと感じる。それでも2年2か月過ぎて解約すると解約金が高いと感じる。何か光回線工事を年期で縛る遊女の契約だなと感じた。遊女の契約は支度金(前借=主に女衒や親に渡る)で契約し、ある程度働くと、日々使用したもの(衣服.食事)の請求を出し、早期に前借金を完済させないように仕向けていた。多くの遊女は病気で亡くなり、年季明けまで働くのは稀だった記憶がある。年少から遊女で生活していた女性は解放されても、家事が出来ず、結局違法の路上売春の道しかなかった。明治の遊女開放令も生活手段がなくて、結局はルールの解釈を変え売春は戦後まで存続した。今公認の売春が消えたのは高度成長で人手不足もあって、女性が売春以外で生活の道が開けていたからである。
 光回線の工事は何か遊女の支度金と思える。遊女の置屋の所属移転と思える。
 新規の移転先の契約をした光回線のことで再度ショップの人にメ―ルを見せ相談したところ、やはりNUROの言う通り解約はできず、一番良い方法は新規の回線開通後から10日経って解約申し込みすると良いらしい。仕方なく一月延長しNURO解約を延ばすことになった。どうも同一会社でもこの問題は生じると感じる。賃貸の人たちにとっては光回線は退去の事を考えるとホーム5Gの方が回線速度が気になるが転居しやすい。何事も具体的にならないと書面の契約では見えない。次の転居で光回線と固定電話の問題はどう変化しているのだろうか。
NTT東西で提供してきた、アナログ電話の交換器システムの老朽化に伴い、2024年から1年ほどかけてアナログ電話からメタルIP電話に変更されます。
  2025年にはメタル回線が消えそうで、途中は光回線で、末端はメタルという素人のわかりにくい制度になる。また詐欺師が活躍しそうだ。この機に全部光回線にしないと営業する事業者もありそうだ。高齢者は若い営業を信じ、余分な工事をしそうだ。意外と高齢者は通話しかしないのでお得ですと言われても使用しない光回線の高速通信は貯金を減らす。必要なのは安否確認のシステムである。
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100円ショップのスタンプ台

2022年06月16日 | 宅老のグチ
一時転居で、これから様々な書類に住所を書くことになると思ったのが不動産屋での契約書類で何回も新規住所を書いたことから始まる。今まで住んでいたところは郵便番号も暗記していているが転居先は不明で郵便局のサイトで検索し調べた。この番号を知らないと住所をすべて入力しないといけない。年齢も西暦で最近は書くようになったが役所は和暦である。銀行は両方に対応している。
 そこで住所を書く手間を減らすため、ハンコ屋でゴム印を作った。しかし家では仕事で使っていた黒のスタンプ台が無いことに気が付き、消えてしまった町の文房具屋からス-パ-の文房具売り場でスタンプ台の価格を調べると500円から600円台だった。そこで何回も使わないので安いのがどこかにあると思い100ショップのサイトを検索すると文房具のところにあった。今は為替が揺れているが100円で売られていた。今日の為替は1ドル135円程度で。来月もまた意地っ張りの日銀の態度からまた揺れるだろう。1ドルが150円になり、ガソリンが1Lが250円になり、食パンが500円になって、本当の日本に戻る気がする。まだ非常事態に行っていないのはコメの消費量がまだ低迷している。量販店のオーケ-はコメがお買い得と言っているようだ。普通のパンが高級食になるのも時間の問題で、これは南米の国の支援にもなる。ウクライナとロシアの食は中東とアフリカしか買えない時期がありそうだ。ウクライナは鉄道輸送で隣国に出るしかない。
 今はアメリカの筋書きのように歴史は進んでいて、核を使用させないようにロシアの有利を演出し、小出しに米国製兵器を出していると思う。この戦争は数年続き、ガソリン車から電気自動車へ促進するかもしれない。そうするとロシアの資源は無価値となる。電気は太陽光からできる。中国の支援でサハラの砂漠で発電すれば、地産地消で済む。それに電動自転車が普及すればアフリカの未来に希望が出る。ヨロッパヘの移民騒動も減る可能性がある。アフリカ難民は仕事がないから地元から動くのであって好んで差別されるところには行きたくないはずだろう。
 明治期の朝鮮で近代化が進み職を失った朝鮮人が日本へ行ったのは最下級の仕事も朝鮮には少なかった。近代化すればするほど旧来の仕事が減り、新規の仕事の情報入手が底辺層に難しかった、多くの口コミ情報で明治期の朝鮮から日本へ仕事を求めていた歴史を麻布十番の在日韓人歴史資料館 で館長の案内で知った。日本が併合する前の時代である。キムチの発展史を調べるとこのようなことも知ることになる。

 今度の戦争で無人兵器の開発が進み、兵士が死なないので戦争が始めやすくなった。従って防御する国は分散して対抗し、制圧を避けるようになると思う。大規模施設から小規模施設へ。効率より自立。地産地消エネルギ-へ向かうしかない。
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