年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

日本の甘味指向の始まり

2022年01月31日 | 宅老のグチ
体のエネルギ-の素になる食べ物が甘味のあるもので、疲れたときは一粒のアメでも癒される。
 江戸時代の初めまで日本では食料は自給自足が基本で、食の文献でも今から思うとわずかな甘みある食物の記録が残っている。甘味を欲する身体の反応で日本歴史で戦国時代から江戸時代に入って中国経由の甘味と南蛮貿易による別種の甘味が日本に入ってきた。
 シュガーロード 明坂英二著
砂糖が出島にやってきた
 多くの植物学者の研究の変遷から、砂糖を植物から取り出した歴史は今ではニュ-ギニア産から始まるようだ。今日の砂糖産業を支えている品種はマレ―シア原住民が栽培しているものをオランダ人が改良したのが基礎となっているようだ。インドで砂糖が東方から伝わり西洋に伝わり、さらにイギリスとの交易から、紅茶貿易、さらにキュ-バに疫病で人口が絶滅状態になった時、砂糖労働者としてアフリカから灼熱でも働けると思われた黒人労働者をだましてサトウキビ労働者とした。キュ-バ国定教科書から原住民をほぼ絶滅させた病気は麻疹(はしか)のようだ。同様な事例はハワイ島であって、日本人がハワイ移民したのは明治の初年で、出稼ぎ労働者であった。世界史の中で、病気の蔓延で人口が激減した歴史は数多く、多くは交易の拡大で病気が蔓延し世界史が変わった例もある。中世を終わらしたペストがその一例となる。コロナは人の移動を制限した。どう歴史は変わるのだろうか。
 6次感染拡大の勢いは止まらないが外国では7次のコロナ変種が出てきている。どこまで続くのだろうか。歴史では大体2年ちょっとで終わり、再度別の地域から広まりの繰り返しとなっている。

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2022年春の選抜 只見高校で

2022年01月30日 | 宅老のグチ
2022年春の選抜で21世紀枠は只見(福島)、丹生(にゅう=福井)、大分舞鶴(大分)の3校に決まった。3校とも春夏通じて甲子園初出場となる。
 福島県の只見は雪の多い地域で、道や鉄道が使えると新潟の方が近い。ところが台風等の災害で最近やっと鉄道等が復旧するという情報が入った。2022年秋という。ここの紅葉は絶景という。
 アメリカで日本食品 の商材を手配する貿易会社から山菜そば用のミックス山菜の手配を頼まれた。国内の山菜業者に頼んだところ既存の製品ならば良いと言われた。しかし貿易会社から山菜ミックスは今までの会社の物は『わらび』が入っていて、アメリカでは発がん物質で禁止という。そこで色々調べたようで最後のところでやっと特別に作ってくれるところが見つかった。生産ロットが少なく、一回の発注が75KG程度で、中身はもっと少ないので採算が取れないという。当時の記憶では一回の仕込む単位は1トンだった。さらに袋に張る商品表示の問題もあって、貿易会社から英文表示のラベルで対応することになり日本語表示は無駄と省いた。この厄介な注文を受け山菜ミックス(ワラビ抜き)を作ってくれたのが只見町の山菜漬物を作っている会社だった。そのワラビ抜きの山菜ミックスは電話相談で簡単な生産方法の解決方法が見つかった。福島の震災後、日本語表示がないので福島産でも継続してアメリカのソバ屋へいっていた。今はどこかの山菜業者がFDAの検査漏れで行っているかもしれない。
 今は山菜も純国産の山菜漬物は少なく、量販店では輸入品原料だろう。それよりも需要が減って、高齢者が春先に山奥でクマに出会うことでまだ山菜を取りに行っていることを知る。
 

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漬物公式統計の誤差

2022年01月29日 | 宅老のグチ
日本政府の建築系の統計が重複計上で今騒がれている。あまり当てにならない隣国中国の公式統計も様々な裏技を使って、中国政府の行動予測しているようだ。多くの中国金満家は人脈を使って、政府の意向を探っていた。デジタルの時代は政府の統制の効かないネットの組織を作り、体制を揺るがす放言で弾圧されているようだ。このあたりの情報は香港投資家が徐々に本土経済から静かに撤退していたことから知っていたように見える。彼の言い訳は投資の組み換えと言っていた。今まで改革開放から成長に自信をつけ、中国の歴史の転換となる原因を作ったのが権力内部の腐敗と周辺地域の貧民であった。

 漬物の統計もあるのだがどのような集計をしているかは全く理解できない。一応食の需給を調べる組織が統計を出しているようだ。大手量販店を含めたPOSデータを集計していて、その他のデ―タを加え、発表していると思う。野菜価格の上下変動でたとえばキムチの白菜も国産から中国産となることもあると知っている。量販店では表示の問題があるので野菜高騰時は冷凍とか輸入品を使うことを周知しているようだ。漬物は好き嫌いが多く、外国産なら食べないという人もあって、産地変更の表示漏れ連絡ミスの方が怖い。
 全食品産業中で漬物が3500億円はシエアが1%、スーパ-でも2%以下の地位で重要でない。誤差があっても気にする人はいない。
 フランスの巨大量販店カルフ-ルが千葉県船橋に開業した時、大量陳列の韓国キムチが安売りされていたが賞味期限が切れそうな時期にもう一度訪問すると売り場面積が激小面積になっていた。西友を取り込んだアメリカのウォ-ルマ-トが静岡県沼津市にアメリカのようなス-パ-センタ-を作ったが、漬物売り場は貧弱だった。この点日本のス-パ-センタ-の一つ群馬県本社のベイシアは漬物に地域の需要を取り込んでいると感じていた。欧米の量販店が日本で育たないのは漬物を主として購入する高齢女性を無視したためである。総菜でも和風と洋風があるのが日本である。
 今は高齢女性が多く、財布のひもが固く結ばれ粗食している。量販店の平日午前中の客は高齢者の社交場でもある。この高齢者の財布を開く研究をしているのが電話をかけて訪問している詐欺師である。
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コメントの方が非公開ということで

2022年01月28日 | キムチ
コメントの方が非公開ということで。足りない情報をすこし
『キムチが人気が出たのは発酵食品に日本人が飢えていたからだと思います。』
この辺が最近の若い方の常識かもしれませんが、昭和の30年代まで日本の女性は家に縛られ、家事をこなし夫に使えるのが普通でした。都会では家を守り家事が女性の仕事でした。それで漬物の文献を探すとほとんどないのです。自家で漬物を作り、漬物自慢をしていて、おふくろの味とよく言われていました。自家製の漬物は発酵食品で小腸まで乳酸菌が届くのです。
 このあたりの昭和20年代から30年代にかけて生活のままの建物があります。大田区久が原にある『昭和のくらし博物館』に展示されています。洗濯板とか氷を入れて冷やす冷蔵庫等で今は骨董寸前です。火鉢や炭団もその一つです。着物も家で作っていたようです。今の私立女子高は当時は良き家庭人の養成でした。
 敗戦から10年ほど経つと洗濯機。炊飯器が出回るに従い、家事の負担が消えて、都会の女性が小遣い稼ぎの仕事に出て金銭で漬物を購入するようになります。地方では世間の目があってなかなか漬物を金を出して買うことは少ないと感じていました。
 戦前の漬物需要は工場とか学生寮、軍隊とかの漬物を自給自足しないところが漬物業者の得意先でした。
 スーパ-から漬物を消費者が購入し始めると乳酸発酵の漬物管理が難しくなり、さらに都会のの女性は狭い家で漬物を作っていないで、管理が難しかったようです。そこで戦後の漬物業者は加熱殺菌(80度15分くらいお湯につける)して、乳酸菌を減らして包装し出荷します。古漬の漬物は今の技術だと半年は賞味を保てます。
 日本のキムチは韓国のキムチと違う製造法で、なんでもイチャモンをいう韓国のキムチ信者は日本の作り方を知らないようです。大手の和風キムチの作り方は野菜を洗浄し、雑菌をゼロ近くまでにし、特別な乳酸菌を添付し、調味液を混ぜ出荷します。多くの日本の浅漬キムチの賞味期限は韓国製の乳酸発酵のキムチより賞味期限(2週間程度)が短いのです。韓国のキムチは乳酸発酵させ、屋外の甕に漬け込み秋から半年ほど食します、その後キムチ専用の冷蔵庫に入れ食べているようです、今は韓国でもキムチ離れになって韓国漬物業者が安い中国製のキムチを飲食店に供給しているようです、無料で食べ放題で提供するキムチは原価が安い方が良いのです。
 最近の日本の漬物の総売り上げは3500億円ほどで、そのなかの6割が浅漬けというジャンルの中でキムチは半分位占めています。つまり約1000億円ほどが日本の定義のキムチとなります。これは農林水産省でも統計の誤差があると見ているようです。在日の人が造り、焼き肉店で出されるキムチは統計の漏れているかもしれません。今は食品表示の厳格化で個人の漬物製造が消えつつあります。10年に一度ほど漬物の表示規定の大改訂があって衛生設備を償却できない内に設備が傷むようです。塩分があるので機械も特製となります。  

 日本人が韓国に旅行し、帰国の空港で本場のキムチを購入し、手荷物とし機内に持ち込み、ラゲ-ジ内で発酵による爆発が時々あります、温度管理されていない空港待合室で長時間滞在し発酵が進み、機内で爆発するのです。機内にはキムチの臭いが充満します。日本人の韓国のキムチが発酵してできているという知識が消えているのです。でも最近は韓国でも日本流のキムチがあると聞いてます。野菜にキムチのタレをかけるインスタントキムチです。
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本が終わって、コピ-してクリアファイルに保存しているのを整理

2022年01月27日 | 宅老のグチ
20年以上、漬物関係の文献を収集していて、クリアファイルに入れたのが50冊近くある。収集順に入れてあって、記憶の薄れで重複収集もあるし、今となっては不要な資料もある。その代表は築地市場移転問題の資料だろう。捨てつつ過去の経緯が順序不順で出てくる。今は豊洲移転時期が解かっているので過去の思惑がいかにおかしかったことが解かる。初めの頃は築地も勢いがあって、仲卸の鑑札の権利が高く、豊洲移転の利権と言っていたライタ―があったが今となっては不良利権と思っても不思議ではない。コロナでホテルとか高級料亭が不振でス-パ-向けの安い食材しか売れない。目利きが不要で量販店の力が強く、うまみが消える。もう今となっては完全な誤報だろう。様々な築地の良い所が入り口の一般客の入場をためらわす、警備員過剰配置で場内は静かすぎる。築地であったタ―レ-の事故も減った気がする。
 ファイルの整理は始まったばかりで不要なものが、何の目的で集めたか今となっては判らない。東京大学に田中芳男博士の明治期コレクション保存されていて、中身は雑多で今後は明治のドラマ制作時に時代考証の必需品となるだろう。
 
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3回目の接種券

2022年01月26日 | 宅老のグチ
ようやく3回目のコロナワクチン接種券が届いた。過去2回の接種は副反応も少なく、蚊に刺された程度だった。多分副反応は出ないと思うので打つ。ただインフルエンザワクチンはデータを見る限り流行していないので、無理して予約しなかった。オミクロンはまだ病気の詳細が不明だし、治療薬も少ない様だ。
 さて送られた接種券の番号が前と同じだった。これはマイナンバ-に代わるコロナ番号ともいえる。パソコンを立ち上げ自治体のHPへ行くと前の番号を記憶していて、すぐに予約サイトへ向かう。今回は集団接種の場所が少なく、ファイザ-で検索すると1か所2月24日があいていた。しかしもっと早く近所の医者がないか探すと無かった。それでさっき空いていた町医者のサイトへ行くとホンの2分ほど前に空いていた日にちが予約されていた。何か結構年寄りがパソコンを操作していると感じる。一か所抑えれば気持ちは3月中旬のコロナ抗体獲得まで自粛すればよい。諸外国のデ―タでは感染急拡大はひと月ほどで落ち着くようだ。接種券の封筒には医者のリストがあって高齢の町医者程ネット利用は避けているようだ。特養の施設に入った母はまだ間隔があるのにデータ的には3日目の接種済のようだ。一斉に接種しないと不都合なのだろう。同調圧力で接種させた。
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池波正太郎記念文庫で

2022年01月25日 | 宅老のグチ
池波正太郎記念文庫  東京都台東区西浅草台東区生涯学習センター1階 台東区立中央図書館内
 いつも台東区中央図書館の2階で郷土資料を調べていて、1階に池波正太郎記念文庫があっても、チラッと見ただけで過ごしていた。
 安藤優一郎著 『江戸っ子の意地』という本を読んでいて、福島事件被告人と原胤昭との記述を読んでいて、原が南町奉行の与力の家に生まれ、明治期に南北会という組織で、町奉行の活躍とか事蹟を書物に残した。多くの時代小説の考証は原とか兄の佐久間長敬の著書からの引用が多いと感じる。原が町奉行与力たちの活躍を称賛すると、引き立て役となった火付盗賊改や関東取締役出役が活躍していないように見える。
 長谷川平蔵を小説にした池波正太郎が治安維持者としての火付盗賊改の名誉回復となった。幕臣長井家は御先手弓組で文政元年12月12日から文政8年12月24日まで8年間ほど火付盗賊改の役だった。ところが鶯亭金升日記には自分の父の養父に関して、記述は少なく、『三代キシャ』の家系と書いてあった。今だからこのキシャの家系とは何だった理解しているが、15年前は何の駄洒落か不明だった。
 御先手弓組とは騎射ということで、長井五右衛門昌純のこと。
 汽車とは明治の初めに鉄道寮に勤めた、父の長井昌言(幕臣時は筑前守)
 記者とは東京毎日新聞の記者だった鶯亭金升のことである。

 長谷川平蔵で火付盗賊改の職は見直されたが戦前は原胤昭の書籍等でかなり評判が悪かった。その理由として、今の暴力団のイメ―ジのある不良武士。賭博者の取り締まりをするので行き過ぎた行為があって、さらに資金不足を補うため、冤罪をひこ起こした捜査をしばしば起こしていた。世にいう『地獄の沙汰も金次第』は未決囚から金をゆすっていたようだ。犯罪を創り、金を要求する。大原幽学の裁判はこのような観点から見ると理解できる。
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大江戸を考証する 稲垣史生著から

2022年01月24日 | 福神漬
積んでいた本を断捨離するため、今一度『大江戸を考証する 稲垣史生著』を読んでいる。この本の著者の観点から上野・浅草から始まる。もちろん徳川は江戸の町を作るのに土地の割り振りして城下町計画をしていて、武家地と寺院の割合が多い。また度重なる火災などの災害で、区画の見直しの歴史となっている。江戸の人口が100万人とすると町人の地域の人口密集度はすさまじい。
 上野寛永寺の地域は初めは伊勢の藤堂家、津軽の津軽家、越後村上の堀家の下屋敷だった。二代秀忠によって寛永寺が造られると、上記の3家が移転した。今上野公園に残っている上野大仏は堀家の寄進した漆喰作りの大仏が何度も損壊し再建したものという。
 寛永寺の山号は寛永の年号から採ったもので、年号は朝廷が決めることで、早くから江戸幕府は山号の勅許申請していた。やっと慶安年間に勅許があったという。さらに幕府は寛永寺を権威つけるため、三代目の御門主として、後水野尾天皇の第二皇子が一品親王輪王寺宮となった。第十五代目も公現親王、伏見宮家第九皇子、後の北白川宮能久親王となる。
 ここで沢庵と家光の関係から、紫衣事件の隠されたことが幕末に現れた。寛永寺の御門主は寛永寺本坊に住んでいたが日光の輪王寺門主も兼務されていた。
 上野戦争の幕府方の旗頭は輪王寺宮だった。これが漬物の福神漬に関係するとは今でも誰も知らない。
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上野寛永寺から 東京の漬物・沢庵と福神漬

2022年01月23日 | 福神漬
上野寛永寺将軍家の葬儀 浦井 正明著
東京都台東区中央図書館はいつも都営浅草線浅草駅で降りて、浅草寺境内などを通って、かっぱ橋料理道具街の外れの図書館へ行く。2階の郷土資料室で閲覧券を提示し、座席を確保する。ここは浅草・上野界隈の資料が揃っていて、読む本を読んだ後、書棚をいつも眺めて、ちらっと書き出しと最後を読む。1冊は2分で終わる。
浦井 正明(うらい しょうみょう、1937年 - )は、東叡山寛永寺貫主 
 この人の本は『「上野」時空遊行 歴史をひもとき、「いま」を楽しむ』 という本が台東図書館にあった記憶があるがもう内容は忘れてしまった。
 今は福神漬を調べているが幕府がまだ制度的に確立していない時期の宗教政策は寛永寺創建者天海で天海の死去後の幕府の宗教顧問のようなことを沢庵和尚が行っていた。沢庵は紫衣事件の中心人物で禅と政治の関係を節を曲げず、山形へ流された。幕府による紫衣事件の聴聞時には、上野の地で堀家・藤堂家の支援を受けていた。
 また赦免後には京都の朝廷と宗教界に節を曲げないという評判があった。紫衣事件では3人の僧侶が流罪となったが二人は事件の記憶から消されている。寛永寺の御門主の3代目は後水野天皇の第三皇子が継承し、幕末まで『一品』という他の門跡寺院にない格式を持つ山主によって継承された。つまり江戸時代の宗教界の頂点の存在であった。

 言い伝えでは天海僧正が徳川家康を七つの徳を兼ね備えた天下人と奏上した。家康は喜び狩野探幽に七福神の絵を描かせ、民間に伝わったという。正徳の頃(1711-16)谷中に七福神を祀った寺をめぐることが流行し、今も続いている。福神漬の命名にはこの七福神巡りを表向きの由来として、明治政府の言論弾圧を回避していたと思われる。
 多くの福神漬の命名時の関係者が明治26年ごろまでに死去し、今では深く調べる人はいない。しかし隠された意図は明治の事物の起源を調べ、著書にした福島県郡山市出身の石井研堂の『缶詰の始まり』に不思議な記述が出てくる。これは池之端の酒悦の漬物を缶詰に入れたことを記述している。
 上野に時空を超えた漬物の命名に隠された比喩がある気がする。

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梅に鶯 江戸の鶯は訛りのある鳴き方をすると言われた

2022年01月22日 | 福神漬
福神漬の伝承を語っている、鶯亭金升(本名長井総太郎)は数多くの筆名を持っていて、特に風刺漫画雑誌(団団珍聞)には投書者の名前で10以上の変名が見つかる。多くは鶯の里と知られている根岸付近を想像させている。
 『江戸砂子』には根岸の里は鶯の名所なり。元禄の頃、京都出身の寛永寺御門主様より京都の鶯を多く放したという。関東の鶯は訛りがあって、根岸の里は上方のタマゴから生まれたので訛りがないという。それゆえ、根岸の里は『初音の里』とも言われる。まだ早稲田大学に寄贈されている金升の日記を見ていないがおそらく明治7年頃から、母親と今のJR鶯谷駅付近に住んでいた。上野駅が開業したのは明治16年なので住み始めたときは静かだったと思われる。
 
 何年か前に、和歌山県みなべ市の梅まつりに参加した時、暇な時間に梅林を見ていたら、観光客が写真を撮っているのを見たら緑色した羽の鳥がいた。思わず梅に鶯と思ったが、案内してくれた梅業者の人はメジロという。実際鶯の自然の中での姿は見ることが少なく、今から思うとメジロかもしれない。梅にメジロは合わない。
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水上勉著 沢庵

2022年01月21日 | タクワン
色々な沢庵和尚の本を読んだが、なかなか沢庵漬の命名と関係ありそうな本は見つからなかった。ただ水上勉著『沢庵』は時代背景を小説のように書かれていて一番理解しやすかった。その冒頭で『沢庵の生涯をたどることは、禅と権力の関係を学ぶことだ。』という書き出しから始まる。沢庵の出身の兵庫県出石は小さな町だった。6年間僧籍にあった水上勉氏の禅の理解は他の沢庵本を超える。さらに沢庵の出身の地域と近かった。
 沢庵が生まれた天正元年は足利の最後の将軍が京都を追放され、織田信長が京都に入った時期だった。天正5年には羽柴秀吉が信長の命を受けて中国攻めに入り、秀吉配下の武将によって一夜で播磨の但馬出石城を攻め落とした。沢庵の父は敗者の武士だったためみじめな生活となり、僧侶となった。いや僧侶となるしかなかった。京に近かったため、寺院の情報が多く、沢庵の賢さが大徳寺への道を開いた。しかし沢庵は政治に関与していた禅から離れていたため、寺院での大寺院でも生活は苦しく、筆耕で糊口を満たしていた。衣服も少なく、夏は裸で過ごし、客が来た時に羽織っていたという逸話もあった。
 そのような沢庵が漬物の沢庵漬の名称となったか仕事をしていて気になっていた。多くの逸話もどきは詳しく調べると根拠なき風説、作り話であった。

 冷静に調べると沢庵和尚は沢庵漬を創ったと思えない。彼は廃棄する野菜等を利用して保存食を創っていた。塩は貴重品で、大根を採れ過ぎた時、干して保存性を高めていた。また酒作りで精米の余りの米ぬかで、空気を遮断することで発酵を制御し、酒樽の空いたのに漬けた。そして重石をかけた。茶会記を読むと、茶会で酒を飲む。禅宗なのに茶席では酒は許されていると感じる。沢庵がいた泉州堺の町は大坂の戦争で火災になった。彼が禅宗から権力に近づいた理由かもしれない。奈良平安の時代と違って権力に近づかないと復興は難しいと見ていたのだろうか。
 品川東海寺の沢庵の墓は細長い大きな石があるだけで、名前も彫られていない。山手線で大崎の手前で、電車内から眼下に沢庵の墓石を見ることが出来る。
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郵便局の手数料

2022年01月20日 | 宅老のグチ
郵便局で後期高齢者の健康保険料を払った。まずキャッシュカ-ドで現金を出したが、画面には小銭を出すと110円の手数料がかかるという。慌てて保険料の切りのいい金額を引き出し、郵便局の窓口へ振り込み票と現金を少し余分に出し釣銭をもらうことにした。これでは通帳を家計簿代わりにできないと感じた。
 国の説明によると後期高齢者医療の保険料では、被保険者全員に等しく負担していただく「均等割額」に、それぞれの所得に応じて負担する「所得割額」が合計されます。 計算方法や所得割額を算出する掛け率が異なるため、国民健康保険と比較し保険料が高くなる場合があります。 
 このようにそっけなく書いているが、実際には75歳になって初めて驚く人が多いだろう。日本人全体が75歳になると今までの経歴は無視され後期高齢者健康保険になるようだ。どうも例外が見当たらない。もちろん生活困窮者は救済の制度があるのでその変化は少ないと感じる。問題は今までの組織から離れて後期高齢者健康保険に入った人が驚くだろう。収入によって保険料の賦課限度額(最高額)は、64万円です。 これも今年からで今まで62万円だったのがふえた。その理由は国民健康保険料が最大73万円から80万円になったから引き上げたようだ。2025年には団塊の世代が後期高齢者になるので、介護保険料と共に限度額が引き上げられる気がする。
 今のファイナンシャルプランナーの年金対策は年金受給を後らすことを強調しているが、収入が増えた金額より引き落としの金額が増えそうだ。変なたとえだがサラリ-マンの奥さんが扶養控除の金額以上に働くと、家族全体の収入が減ると似ている。たちの悪いのは高齢者は80歳を過ぎれば働く職場が無くなるのに物価の上昇に耐えられない。インフレに強い資産を持っても、相続税の見直しが次に待っている。これではやる気のある国民が海外に出るのも致し方ない。若いうちから長寿という家系の対策を取っていても制度変更は予知できない。
 ただ日本人はサケのように日本に戻ってくる。海外逃亡した犯罪者もコロナで日本に戻る例もある。
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鼻から胃カメラ

2022年01月19日 | 宅老のグチ
話しに聞いていた鼻から胃カメラを入れた。過去3回は口から胃カメラで態勢が苦しく、自分の体内を見ることは出来なかった。
 10時20分の予約でオミクロンコロナが怖く、バス・電車等の交通を使わず、家から検査の病院まで歩いた。45分かかったが最近は引きこもり気味なので適当な運動となる。病院に着くとすぐに検査準備が始まり、名前の確認等から本日の健康状態とか血液サラサラの薬を飲んでいるかの確認があった。あとで検査の状況から血液サラサラの薬を飲んでいると、胃をつまんで切り取る時、血が出る。これが止まらない大変と感じた。もし飲んでいたらどう検体を取るのだろうか。チョット変色していた部分を3か所採った。今のところ医者の見立てでは心配ないが胃液の逆流の後が見られるという。
 アッという間に検査が終わり、時計を見たら10時25分くらいだった。始まったのが10時過ぎなので異常に検査が早く終わった。医者に聞くと、3分の2ほど過去切除しているので、検査する面積が少ないので早いという。確かにあっという間に胃を過ぎてしまった。胃カメラを引き上げるとき、食道の様子を見ていたが、酒を飲んでいないので荒れてはいなかった。まだ十年は大病出来ない、101歳の母より前には死ねない。
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物欲が消えて

2022年01月18日 | 宅老のグチ
引っ越し準備のための家にある物の量を減らしているが、コロナと想い出に浸っていて分別が進まない。それでも壊れたものや、図書館にある本などは処分の対象となっている。

 ショッピングセンタ-にある商品はもう何の魅力もない。はかない所有欲が残っていて、かろうじて暑さ寒さの対応の商品しか気にならない。入りきれないものはコンテナ収容すればよいのだが、畳一枚の大きさで、月々1万円最低の保管費用がかかる。これでは安いからと言って家に収納しきれないと、不良在庫となる。古着のところで売っている衣料は今はリサイクル品と呼び名を変えた。結構若い人が購入しているようだ。
 ひとたび新品が販売されたとたん、中古品となる。リサイクル品買取店舗に不用品を持ち込んだが、買取不能で半分持ち帰った。なにか価値の無いものを抱え込んだ気分となる。リサイクルショップには若い人が多く、少ない給与で工夫しているのでし好の合わない高齢者の昭和の遺物(衣料品)はごみになるのだろうか。この不用品も200年経てば骨董となると思うが、昭和に比べ長期の保存に耐えないとも思う。土地の測量の公式保存書類は和紙で作成されるようだ。
 高齢の著名な芸能人が出演していたTV番組からドンドン外されている。視聴していても高齢者は買う意欲が薄いので宣伝効果がないとみっれているのだろうか。せめて少ない食費でおいしい生活を送りたいと思っているはずだ。でも高齢者の大食は病気と思ってよい。
 懲寿という言葉を頭の中で作った。75歳を過ぎると、後期高齢者となって、健康保険の仕組みから切り離され、邪魔者扱いとなった気がする。とても長寿として祝いされる気分には慣れない。不都合だけどまだ病気にはなれない。老老介護者として病院送迎業務が残っている。今はスーパ-等で駐車する時高齢運転者は見つめられる。

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大学入学共通テスト2022

2022年01月17日 | 宅老のグチ
毎年1月中旬の大学入学の共通テストの問題と解答を新聞で知る。いつも新聞の試験問題は字が細かく、問題を読むことで老化を感じている。一応、英語と現代社会、日本史・世界史を解くというより眺める。国語の問題はいつも漢文で引っかかる。今時この問題が必要なのだろうか。中国政府に忖度しているのではないだろうかと思いつつ、明治時代初期の戯作漢文の服部撫松(誠一郎)を読むには漢文知識が必要と感じていた自分の節操のなさを感じる。
 今の電子機器の添付されている説明文が日本語知識が足りず、読んだだけでは使いこなせない機器が多いと感じる。小池都知事のカタカナ用語の乱発で、都民をけむに巻いているがどこまで理解させようとしているのだろうか。
 日本史の鉄道問題では撮り鉄の人には問題が易しいと感じた。英語の問題はこれから量の問題のような気がする。短時間に多くの英文を読みこなさないと、デジタルの方が早いと感じる。同一の言葉で解釈の異なる言葉がまだコンピュ-タが苦手で自動翻訳も頭の中で再翻訳し、後日にTV等で翻訳確認する。
 どうも東大煽りで受験生の道を誤らせたようだ。このような事例は1998年頃のノストラダムスの大予言をTVで煽っていた。そこにカルト集団の漬け込む余地が出来たという。コロナワクチン忌避者も科学的より、宗教というべきだろう。今度のコロナは宗教にも忖度はない。集団でマスクなしで声を出せばクラスタ-感染となる。リモ-ト集会なら教会制度は消える。
 過去の中国由来の感染病で韓国はキムチの効能を主張していたが、今度のコロナは効果がないと感じる。 
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