年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

季節の先取り

2020年09月30日 | 宅老のグチ
コロナ太りと嚥下障害を恐れて、最近は花を手土産にすることにしている。親族は遺伝なのか糖尿病のケがあるのでお菓子類は避けている。母の百歳の祝いは花で済ます。色鮮やかな花屋は既に10月末のハロ-ウイン用のカボチャの装飾となったようだ。先日の彼岸にはまだ無かった。今季節感があるのは花屋しか感じられない。
 東京都中央卸売市場には花の卸市場の売り上げ数字が載っている。今年は2月以降は色々なイベントが中止となり、安定需要のある葬儀の花も三密を恐れ、質素にしているのでさらに少なくなっている気がする。単価が下がり需要も下がれなき厳しいと思われるが飲食店の苦境は報道されているがどうなのだろうか。結婚需要は年々簡素化されているが葬儀は紫蘇となっても件数が増えているので安定していたのだがコロナは想定を超えている。さらに飛行機が外国から飛んでいないので成田の検疫所は閑なのだろうか。
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今日に百歳となった母

2020年09月29日 | 宅老のグチ
日本の年齢計算では誕生日の前の日になれば、一年年を取る。そんなことから4月1日生まれの子供は小学校に入るとき、前年の4月2日以降に生まれた人と同じ4月生まれとなる。母は9月30日生まれなので、29日午前0時過ぎれば100歳となる。
 大正9年生まれの母が100歳となった。生まれた時期が悪かったので25歳ころまで戦争の影響で青春を終わらせた。その後父と縁があって商売を始めたが、5人の子供が生まれて、そして父は昭和30年の暮れに急死し、約65年間未亡人で過ごした。親の50回忌は稀だというがそこも過ぎて60回忌も忘れて今日にいたる。今年の暮れには65回忌となる。
 つくづく母の人生の流れを聞くと周囲の援助と自助努力があったようだ。日々うたたねををしているがまだハイハイして動けるので夜中の行動が解せないこともある。目標の100歳は到達してみれば何ともないが結果は良かったのかはまだ判断不明。
 日本の政府は100歳への準備というが寝たきりの100歳は母を見ていると避けたい。今の姿を見ていると金銭的な不自由は無いのに、コロナで外部に迷惑をかけているということを気にしているようだ。100を過ぎれば介護の人たちから感染しても,責める気持ちはないし、ここまで生きることに協力してくれたことに感謝する。結局今思うと、母の前半の不運を後半で取り戻した運と思う。そんな母でも時々憎まれ口を今でもいう。数日前の話で思わず「元気だね!」と言った。
 100歳までという介護の目標が達成された。少し虚脱感がある。憎まれっ子は長生きするのだろうか。三歳の時、関東大震災を経験し、高等女学校を出て、一時は華族の家で女中をする仕事があったようだ。それも断り、何をしていたか知らないがというより戦争前の話はしたがらなかった。米軍の空襲で付近の家は殆ど燃えたが運よく江戸時代中期の藁ぶき屋根の家が焼夷弾から逃れた。怖かったと思う。先の戦争は戦場と内地は分かれていたが最後は過疎地を除いて戦地となった。今後の戦争はテレビゲ-ムのような戦争が予想され、のんびりしている日本のストレスが溜まりそう。今古代中国の思想家墨子の本を読み始めた。
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贈答品文化

2020年09月28日 | 宅老のグチ
 1980年頃だったと思うが暮れに歌舞伎座に出演している端役の人が座長に贈答するため、広島県名産の広島菜(日本三大菜・高菜・青菜―東北・山形)を求めに築地市場の会社にやってきた。これは当時個人向けの冷蔵便が無くて、広島の漬物業者に聞いてやってきたようだ。勝鬨橋のたもとに日本冷蔵勝鬨工場(今はニチレイ本社)があって、地下通路の隙間に広島菜が冷蔵されていた。
 荷物の受け渡しの間の雑談で彼らも公演の端役確保で使い走りをしているという。どんな仕事も末端はいつ仕事を失うか恐れているようで華やかな世界の怖さを知ってしまった、今コロナで全ての演劇関係者が無職の状態であるが先の見えない今不安だろう。命があればなんとかなることを歴史は示しているが、この戦後の不幸な時を若い人は教えてもらっていない様だ。
  • 歌舞伎座12月大川橋蔵特別公演(1967年~1982年)
  • 1976年1月20日「電話1本で集荷・1個でも家庭へ集荷・翌日配達・運賃は安くて明瞭・荷造りが簡単」というコンセプトの商品『宅急便』が誕生したのでした。ただ始まりは低温流通便が無かった。1987年よりク-ル便が始まる。 
  • 江戸時代の日本は比較的に平和だったため、贈答品の記録が残っている。
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気楽でない遠山の金さん 3 嫡孫承祖

2020年09月27日 | 宅老のグチ
嫡孫承祖(ちゃくそんじょうそ) 嫡孫が直接に祖父から家督を受け継ぐこと
長崎奉行を務めた遠山影普は実子である影元を養子にしていたため、一時影元が厄介(江戸時代に家族に養われている男子)の状態だった。形の上では嫡孫承祖となる。この厄介の時期に市中に出歩き、刺青の伝説の根拠となった。この辺の遠山家の継承のややこしさが歴史家の遠山影元の評伝を書きにくいところでもある。ある時は水野忠邦の指示で動き、少し抵抗し実施する。株仲間の再興でも筒井政憲と遠山が協力し、制度が復活したのだがこれにも時間がかかり、さらに元の制度には戻っていない。
 江戸時代の士族の養子制度は日本史研究家泣かせで有名な人でないと途中でどこから養子に来たか不明となる。さらに女性はもっと難しく、素性隠しが通常だったようだ。
 明治に入っても、身分の低い家柄の子女は置屋の養女となって、しつけられ妾となる事例が目立つ。江戸時代でも明治でも家を維持するため、養子縁組が目立つ。
 福神漬の歴史を調べていると人間関係の文献が少なく、気にしていない所からわかることもある。築地の活版印刷の本木昌造が長崎で缶詰製造の始まりとなっている松田雅典と親族だったことをIHIを創業した平野富二の評伝本で知った。長崎の同業者間の婚姻と通詞という仕事から能力のある男子を養子に迎える等細かく見ないと養子縁組情報の流れが見えない。
 戦前は血の繋がりより養子先の家を守り、次に生家を守ることを期待されていたようだ。戦国時代の女性は人質として出された記録が目立つ。明治に入ってもその考えが残っていて正妻があっても、子女の致死率が高いため、妾を持つことが普通だった。これを蓄妾(ちくしよう)という。公的に複数の妻を持つことが許された制度は明治の初めに10年ほどあって廃止されたが気風は戦後の新憲法の制定まで残り、今でも残滓が感じられる。これは中国から来た戸籍制度から来ているようだが、男系が優先され、よく中国では○○の子孫と系図を出されるが男子の継承図のような気がする。韓国も同様。従って今でも中国の農村では男子が尊重されるのか出生数で男子が不自然なくらい多い。女子と出生前診断で解ると間引きされていると考えられる。今の時代から見ると大人まで生きる率が低く、多産多死だった。
 中国から戸籍制度を輸入したのだが、やはり日本では改変したようだ。将棋が中国から来ているが取った相手の駒を再度使えるのは日本独自だと思う。中国将棋やチェスは取った駒は使えない。戦で負けると奴隷になるか勝者の先兵になるか死ぬだけである。

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ブルシット・ジョブ  -クソどうでもいい仕事の理論

2020年09月26日 | 宅老のグチ
ブルシット・ジョブ  -クソどうでもいい仕事の理論 
エッセンシャルワ-クという言葉を調べていたら反対語としてブルシット・ジョブという言葉が出てきて、図書館へ本の予約を入れたら7冊あって20番目だった。
 8月の終わりに予約入れ、一月ほどで届き、パラパラ読みする。何かしっくりしない。どうも労働に関する価値観が著者と不一致感がある。ここに今の日本の長期低迷の謎があるように思える。
 今度のコロナで自宅待機で仕事をする人が増え、街を昼から子供を散歩させる男性を多く見かけた。通勤とは何だったのだろうか。一時的な買いだめ騒動も今自宅では賞味期限が切れそうだ。近所を走り回るウーバーの自転車は良く目立つ。
 基本的な仕事(エッセンシャルワ-ク)は配送とか看護の仕事なのにコロナで彼らの仕事が感染リスクがあることを知らないで、昔ながらの消費者は神様という考えが消えない。デジタル化が進めば、現金は汚染リスクがあると考える時代になった。
マイナンバ-が普及し、非接触決済で人との会話が減る。コンビニやス-パ-への強盗も減る。特に密室のタクシ-は安心感が出るだろう。そして余った人員は介護現場で会話要員の仕事が増えると思う。コロナで面会禁止で老化が促進された。一つの仕事が消えても新しい仕事が増える。エッセンシャルワ-クは時代が変化することで内容が変わる。日本は消える仕事の転換政策が今は不得手と思う。明治の時に武士は仕事を失い、大変苦労した。刀の時代から銃の時代と認識し実践したのは土方歳三だった。彼の洋装の遺影は刀の時代が終わったことを示している。
 コロナが終息しても、10年に一度ほどの未知の感染症が海外からやってくる。幕末明治の歴史は蒸気船黒船の衝撃であった。学校ではあまり教えなかったが不平等条約の問題の中には日本人の検疫問題があった。明治の検疫思想がダイヤモンド・プリンセス船に繋がり、安倍前首相の評価を下げた。明治日本は病気を国内に入れないことから始まる。感染症の広がりは港町から始まり秋口に終わる。スペイン風邪もワクチン無しで2年で落ち着いた。中国のワクチン無しで治まっているがインフルエンザのように変異して繰り返し流行することもある。
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市場前駅(ゆりかもめ)の読み方

2020年09月25日 | 宅老のグチ
市場前駅(ゆりかもめ)の読み方はしじょうまえ・と読む。いちば前では無い様だ。大江戸線築地市場は電車内の案内放送ではツキジシジョウと放送されている。 
卸売市場ではない市場は「いちば」と呼び、卸売市場である市場は「しじょう」と呼んで区別したほうがいいようです。
 ところで東京都中央卸売市場築地市場が移転して2年になろうとしています。東京都の関与のある大江戸線とゆりかもめ線の駅名変更を考えたらどうでしょうか。
大江戸線築地市場は築地場外市場(つきじじょうがいいちば)とか元築地市場へ、ゆりかもめ線の市場前は豊洲市場前に変更をした方が費用は少しで済む。
コロナで東京都の財政の余力がなくなったのでチョット思いついた。でも駅名変更は金がかかる。 駅の改名と言えば練馬大根の由来を調べていたら、その種子の源流は秦野大根ということで、今は富士山の宝永噴火で秦野付近が広く火山灰に覆われ、近年まで絶滅したと言われていました。小田急線東海大学前は昭和62年に大根駅(おおね)から改名になりました。そこでも練馬と同じように、大根の素性隠しがあって、一般人には大根の地名は(相模)大山の根に位置する事からついたそうです。(大根の産地だったという事では無いようです=種子の由来とは知られていない。渡来人の里である)
秦野市に合併するまでは大根村でした。駅は改称されましたが、小学校や公民館には名前が残っています。練馬区が戦後に板橋区から分離独立した時、区名の候補に練馬が選ばれたのは、漬物大根の産地として別格で広く都民に知られているのに、今では徳川将軍の練兵の地として地名の由来とされています。今は徳川が消え、石神井公園の隣にある、郷土資料館には一番目立つところにタクワンの樽が設置されて、小学生が不思議そうに見ていました。
 やはり練馬区は練馬大根からくる。大根の別名は春の七草のスズシロで、神話で粂野仙人が雲上から落ちだのは女性の大根足の白さでからです。このことが誤解され伝わり、女性の足を大根足というのは誉め言葉だったのに今は真逆になっているようです。

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荒川放水路・今は荒川に

2020年09月24日 | 宅老のグチ
昔と言っても昭和40年まで荒川放水路と呼ばれる川があって、いつの間に荒川という名前に変更されていた。
 荒川放水路物語・絹田幸恵著という本を今読んでいる。明治44年に水害を防ぐ目的で南葛西の土地が収用され、工事が始まり、昭和5年まで工事が継続した。この地に住んでいた多数の農民が川となった土地から追われた。この本で最後まで移転問題で残ったのは住民の心の拠り所となっていた寺院の移転地だったようだ。葛飾区四つ木の「木下川(キネガワ)薬師浄光寺」が今の姿となる。地元の 人以外は読めないので大抵はフリガナがある。
 この本の中身は築地市場の移転問題と通じることもある。ただ戦前では報道されることも少なく、安価で買収されたようだ。散りじりとなった住民から明治以前の記憶と記憶が消えたようだ。福神漬のナタマメの産地として物産記録にある上木下川村はこうして消えた。
 江戸幕府の利根川東遷工事が最後に昭和の荒川放水路工事で終わった。同様に印旛沼干拓工事も昭和に終わった。
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漬物御殿・今は昔の話

2020年09月23日 | 宅老のグチ
一般には聞きなれない漬物御殿という話題が出てきた。梅宮辰夫 さんが死去して一年過ぎて、相続した子孫が豪邸を残すという。この家は俳優業で得た金でなく漬物事業で得た金を使っていたと言われ、漬物御殿となったようだ。この手の話は戦後の日本に多数あって、特に大根系の話がよく聞く。
 愛知県渥美半島の農家は名古屋の都市圏の拡大で畑が減り、愛知用水で渥美半島の水がいきわたると、急速に蔬菜農業が発達した。野菜は収穫が一時的だが漬物とすれば一年中仕事が出来る。農家はお金が出来ると豪邸を建てる。村落で見栄を張り競争のように漬物農家が家を建てる。大根は連作障害があるが渥美半島は他の土を運び、30センチ以上盛土して障害を防いだ。しかしトヨタ自動車が渥美半島に工場を建てると、週休二日でアッという間に農業は衰退した。
 農業振興と政府と政治家は叫ぶが金を撒いて建物を作っても農家の夢は作れない。
 もう20年以上の前の話だが、熱海の大観壮という旅館で暮れの忘年会を開いていた時、平日だったので無人のホールで梅宮辰夫 さんが打ち合わせをしていたのを近くで見ていた。漬物関係者の宿だった。
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家族の言い伝え 父の徴兵検査

2020年09月22日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
母からの言い伝えの中で父の徴兵検査の話がある。明治43年生まれであった父の徴兵検査は大正の終わりか昭和の初めにあったと思われる。まだ日中戦争が激化する前だったので、父は徴兵検査で落ちた。落ちた理由は偏平足だった。陸軍は長い行軍に耐えられないと判断したようだ。
昭和の戦況悪化で運転免許があったため、昭和20年2月1日に横須賀海軍に入隊した。物資を車で運搬する仕事だったようだがすぐに軍隊虐めがあって、特攻に行った弟が陸軍航空士官の資格で面会があったのち、横須賀での上官の理不尽ないじめが無くなったという。今はこの話の詳細を覚えていた母も触れたくはないようでこちらからも質問することは無くなった。
 日中戦争が拡大しなければ・・・・・・叔父は埼玉県の教員であったと思われる。卒業後の新聞辞令が今は空しい。たった一か月の小学校教員だった。
  
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木根川橋 さだまさしの歌から

2020年09月21日 | 福神漬
明治の初めに東京府の物産調査があって、福神漬のナタマメの産地として唯一の記録として上木下川村があった。墨田区の資料だと1914年(大正3年)4月1日 - 荒川放水路設置に伴い、押上の町に住民が吸収されたような記述となっていた。この上木下川村はカミキネガワムラと読む様だ。この重大な見落としで、墨田区のひきふね図書館 の人たちの協力もむなしく所在地が不明で終わった。コロナで外出できないので検索していたら、木下川村と検索していたら、東京都の木下川排水機場が出てきた。
木根川橋(さだまさし・作曲)という歌もあるようだ。歌詞にもあるようにすっかり風景も変わり、地名も混乱していて、キノシタとかキネガワとか呼び名と漢字表記もマチマチとなっている。
 調べているうちに、上木下川村は今では幅400Mもある荒川放水路で消えた村で住民が散り、押上の町にも一部移転したようだ。従って古地図にも変遷の跡が消えていた。ダム湖に消えた村のようである。ここから刀豆の産地記録が消えてしまったと思われる。住民が散って移転すると歴史は消える様だ。刀豆の言い伝えが無いのはこの様なことから来ているかもしれない。
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事件があった方が改革は進む

2020年09月20日 | 宅老のグチ
今の世間の4連休は築地場外市場は無関係で豊洲は変則となる。東京都中央卸売市場の公式ペ-ジでは水産と青果は少し休日が異なっていた。これも昨年コロナ以前に決めたカレンダ-なので結構今となっては実験と感じる。
 5月8日の改定で秋は2連休となった。そしてコロナ患者の東京都のお墨付きによって、市場関係者がコロナで休めるようになった。インフルエンザで市場事業者が休んだ例は聞いたことがない。
 今度の内閣は前例打破を標ぼうしているが市場の取引は前例が無いことを理由とて旧態のままが目立つ。何しろ幹部〈患部)は年寄りが多く、先端の情報は取り入れない。
 事件が起きないと批判される前例を作りたがらない。
アベノミクスで人手不足となり、大学生の就職難が消え、高校生まで不足が及んだ。さらに転職希望があっても、次の就職に自信が無かった人も転職できた。最近のスーパ-のパ-トの募集の掲示は夜間は1300円ほどの時給が増えてきた。高校生でも1000円は超えた。当然、転職しない人も賃金は上がったと思われる。労働組合の弱い日本では人手不足による給与改善が進む。今度のコロナで行動自粛で廃業する事業が増えるが少し前は必要な仕事であったのでいずれ復活するが前と違う形態になる気がする。東京都には休業補填の資金は無いと感じる。
 歩いて5分以内の所にス-パ-・コンビニが10店ほどある。その中の店で時給の高いところに移った人が目立つ。即戦力となるパ-トを引き抜いているようだ。コロナはパ-トの需要を増やし、給与改善もあったようだ。不特定多数の接触があることで命の危険性があるということをレジの人たちが知ってしまった。お客様が神様思考の消費者はマスク無しでレジの人を威圧する。そして時間が経って、商品の価格に転嫁される。
 政府がいかにお金を給付しても物価上昇につながらない。人手不足が最も給与上昇につながり、将来の不安が消え、高齢者の消費自粛も弱まる。日本の百円ショップは海外の人からは激安とみられているようだ。もう少しコストが上昇しないといけないと感じる。それには廃業を促進させる政策もあるだろう。
 そこで生活保護の人たちの問題だが情報弱者が多いのでうまく利用していない。かえって反社会人がうまく利用している。弱者保護の政策を表明している政党も自己の支持者に利用方法を教えている。
 人間が作った仕組みは時間という自然淘汰で排除されるまで欠陥が残り、気が付いた人によって搾取される。
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国勢調査1920

2020年09月19日 | 宅老のグチ
日本の厳密な国勢調査は1920年10月1日から始まった。今年は100年となる。大正9年の生まれた人で生き残った母は2%の人となった。統計上これから半分くらいは毎年亡くなって、10年経てば男性は全員消え、女性は数人生き残ることになる。既に明治43年生まれの110歳の男性の最高齢で女性はそれより数歳長寿で世界一という。でも120歳までは無い様だ。
 この百年の騒乱の中で生まれて3年目に関東大震災を経験し、竹やぶの中で余震をしのいでいたという話は聞いている。戦時中はさらに大変で空襲の話はあまり聞かない。つらい思い出があったのだろう。戦後に男性が極端に少ない状態で父と縁があって、さらに苦労したようだ。
 国民すべてが将来の不安があったが理不尽な戦争が終わって、子供が多数生まれた。今より3倍以上出生した。戦後の数年の人数の多さは団塊の世代と言われる。このような事象は諸外国でもあって、騒乱・動乱が終わって平和になると出生数が増える様だ。そこに医学の進歩があると、若い人が急増し、その結果で仕事が増えないと、若者の失業者の騒乱が増え、内乱となる。多くの発展途上国は人口の増えることと同時に仕事が増えないので移民思考となる。
 大正9年の国勢調査の出生数は台湾とか朝鮮の数が入ってるかもしれないので生まれた人数は純粋に日本と言うわけでは無い気がする。冷静に考えると、朝鮮の動乱で、日本は安定した。米軍の戦車等の兵器修理の工場を見て、活気があるなと感じていた。食が足り、経済が回復すると生活向上に金が回り、三種の神器と言われる家庭用の電化製品が売れた。今のJR駅前に街頭テレビが設置され、帰宅前のサラリ-マンの消費意欲を煽った。今から思うと17インチ位のテレビを50M近く離れて見ていた気がする。人気番組は力道山の活躍したプロレスで父は興奮し、昭和30年12月23日金曜日のプロレス後に脳出血で12月25日日曜日に死去した。その後家族では10年以上クリスマスは祝わなかった。
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ios14で

2020年09月18日 | 宅老のグチ
携帯等のアップル系端末のOSが変わった。IOS14という。夜中の変更なのでまだ慣れない。何か予告の案内でまとめの機能があるようだ。チョット見ただけではWIN10のタブレットモ-ドに似ているが、どう使いこなせばよいのだろうか。ユーチュ-ブの動画待ちになりそうだ。
 いつも思うのだがこの件で聞くことが出来る子供が遠くにいて不便だ。年金生活は携帯のトラブルでも仕事に支障はないので当分情報収集で対処するしかない。

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一回始まった行事はなかなか中止できない

2020年09月17日 | 宅老のグチ
今度の首相はトラブルのあった(桜を見る会)を中止となることを発言していた。公共の行事も始まった時の趣旨から外れて延々と続いているものを感じる。国体の点数表彰、コロナで小学生が学校に行っていないときに全国交通安全運動が行われていて、惰性で参加していた人がテントの下でお茶を飲んでいた。始まりは交通戦争で子供が多数犠牲者となっていたことから始まった記憶がある。これなどは朝の通学時間に学校周辺の規制している所に監視員に補助金を出した方が良い。
 今度のコロナで無駄な行為がはっきりした。そして新しいことを出したところが生き残る。
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介護疲れ

2020年09月16日 | 宅老のグチ
百歳になる母の介護も疲れが目立ち、介護される母のボケもあって、投げやりになりつつある。虐待手前に来ている感じがする。これも仕事でないのでかえって気分転換が出来ないかもしれない。日々劣化している母の体力・知力だが言動の劣化が遅く、さらに排泄物を所かまわずするため、イライラが増す。それでも比較的多い兄弟で介護を回しているので救われている。
子供の数が少なくなっている今。将来の介護は外国人頼りとなりそうなのに元気な右翼の発言者は日本人による介護が将来高額なのを知っているのだろうか。
 介護施設を多数経営している人の投書を日本経済新聞で読んだ。介護の人手不足は給与の問題もあるが預け入れる親族の言動で傷つき退所する例が多いという。多くの乱暴な言動をする人は高額な利用料に見合うサ-ビスを受けていないと感じ、暴言となるようだ。投書した人の経験から、施設に入る前に数か月でも介護をした人は暴言が少ないという。介護は時期によって異なる。自宅では不満が無くとも施設では不満となる。広告の金額を見ていると、施設で不満を言う親に対して、暴言しか言えない気持ちもわかる。ボケた母にもう何回もデイサ-ビスへ行く前に殴られた。そして帰ってくるとニコニコしている。
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