年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

仮設通路の舗装工事

2018年07月29日 | 築地市場にて

浜離宮と築地市場の間の仮設通路が舗装し直し。ようやく前に進み始めた。週明けには豊洲市場の地下の工事の評価が出る。この結果で都知事が安全宣言を出し、築地市場関係者の望みである都知事による安全宣言が出る。儀式の次第はこの様な予定でその結果農林水産省に豊洲市場の認可を得る。農水は反対はできない。なぜならオリンピックという御旗に逆らうことはできないだろう。

後世に築地市場移転史というのが編纂されたら副題は東京オリンピック開催で無理して移転したとなるだろう。戦前の日本橋からの移転も関東大震災となっているが良く調べれば震災ではないことがわかる。関東大震災は大正12年で、築地市場が出来たのが昭和10年2月である。この間の複雑な経緯は市場史に簡単に載っているがべったら市の時に読んだ昭和初期の新聞報道ではかなりの論争があり、疑獄もあった。震災ということで天災扱いのテレビ報道では日本橋魚河岸の移転史を語ることはできない。昔も今も食の世界の旧勢力と新興勢力の争い市場の移転の陰にある。

梅干し騒動が世間にも広く知られ始まった。旧盆休みが終われば移転ム-ドとなる。

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