雨曇子日記

エイティライフの数々です

ひいきの宿 3

2015-01-31 17:28:42 | エッセー

昭和 58 年頃週刊朝日が連載した有名人の「ひいきの宿」である。103 人 103 宿の 6 番目に掲載された、塩月 弥栄子さん(茶道家)の「ニュー錦水国際ホテル」である。

          旅の宿               塩月 弥栄子

新幹線福山駅の改札口を出ると、心なしか塩の香りがする。「塩」と記すといかにも人工的だが、福山駅のそれは心底、口にふくんでしまいたくなる自然そのものなのだ。

福山駅から車で20分。鞆(とも)の浦に着く。瀬戸内のおだやかな海に、ポッカリと浮いているような小島が点々。そのひとつ。仙酔島が私の安らぎの島である。焼玉のエンジンがガンガン音をたてる小船に揺られて5分も乗れば、仙酔島の船着場。ピンと張りつめた三弦の糸のように、正確な間隔でヒタヒタと小波が打ち寄せる浜に立つと、いつしか、私は平安時代を遡り、遣唐使の訪れを待つ乙女の心境になる。これも旅情、シルバーエージのたわ言とお笑いなさらないで。

この仙酔島に縁あって、私の弟子にあたる女性が経営するホテルがある。ニュー錦水国際ホテルといい、見事な造りの茶室もある。

海の幸に恵まれた料理の巧みさ、おいしさは当然といってしまえばそれまでだが、錦水旅館の料理はやはり格別といえるだろう。瀬戸内海に浮かぶ小島、という舞台もさることながら、吟味された材料、ていねいなつくりはやはり心のこもったものだ。

食後、茶室にこもり、思いの流れそのままに一服を楽しむひと時は、これまた格別。

大海の波に漂うごとく、私の心は海へ、空へと溶けこんでゆく。

「現在のニュー錦水国際ホテルは?」と HP を開いてびっくり。(大発展おめでとうございます)


ひいきの宿  2

2015-01-30 13:40:51 | エッセー

昭和 58 年( 1983 )ごろの週刊朝日が連載した有名人の「ひいきの宿」です。連載は 103 回つづきました。

11 番目は、山田洋次監督の「油屋」(高梁市)です。

          つつましやかな品のよさ               山田 洋次

「四方を山で囲まれて、ひっそりと息づくように城下町の面影を残している備中高梁。

12 年前に滞在したことのあるこの町に、昨年秋“男はつらいよ”のロケーションで久々に訪れたら、町の面影がほとんど昔のままだったことにホッとした。もちろん、油屋の古風な建物もそのままだった。ただ、高梁川のせせらぎの聞こえる静かな場所だったのに、川べりにバイパス道路が出来てしまって、自動車の騒音が窓越しに聞こえるのが痛ましかったが。

この宿は料理が自慢で、端正な顔立ちの跡とり息子の包丁の腕はなかなかのものである。特に目の前を流れる高梁川で釣り上げた鮎の焼きたてを、おかみさんに、“さあ、熱いうちにどうぞ”とせきたてられながら、フウフウいってかぶりつくのがたまらない。このへんは松茸の名所でもあって、黄葉の色づくころに行けば松茸をふんだんに使った料理を出してくれる。品の良いおかみさんの采配の下で、ベテランの女中さんたちのチームワークも大変心地よい。

京都や金沢のようなところなら、金持ちや有名人だけが泊まるような贅沢な日本旅館がいろいろあるだろうが、誰でも気楽に泊まれて、しかも昔ながらの格調をきちんと守っている宿が、高梁のような小さな町にさりげなくあるということで、私はなんとなく救われるような気持ちになる。」

ここで、12 年前というのは、昭和46 年(1971 )の第8 作“男はつらいよ 寅次郎恋歌”です。妹さくらの旦那、博さんの実家が高梁にある設定です。

ちなみに、12 年後の第32 作は“男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎”、このときのマドンナは竹下景子(お寺の娘)です。

「油屋」を、高梁市の HP で調べたら現在も立派に営業されているようで安心しました。(生きているうちに訪ねねばとあせっています)

 

 


ひいきの宿

2015-01-29 15:49:09 | エッセー

私の「ひいきの宿」ではない。

30 年ほど前の週刊朝日に連載された有名人の「ひいきの宿」である。

この連載は 103 回で終了しているから 103 の宿が紹介されたわけだ。

当時 50 近かった私はこの記事が楽しみで、いつかこのうちの一つにでも行ってみたいと思っていた。

その 57 番目の連載は、佐々木久子さん(雑誌「酒」編集長)の推す「田事」(たごと・会津若松)だった。

          囲炉裏を囲んで酒宴を結ぶ          佐々木 久子

「一年のうち 200 回くらいを旅で暮らす私は、自分の家以上に、旅先ではくつろぎたいと願う。高度経済成長を遂げた日本は、日本旅館よりもホテルがいいとばかりに、猫も杓子も、木組みのしっかりした江戸時代から明治初期の素晴らしい建築物をこわして、正体不明の旅テルを氾濫させた。

そんな中で畳や障子はむろんのこと囲炉裏までも残した田事のような宿にめぐり逢うと、もう嬉しくて楽しくて仕方がない。

会津若松の冬は雪に埋もれる。私は冬が大好きな女で、特に雪がしんしんと降り積むころ、あかあかと燃える囲炉裏の傍に座って、静かに地酒を酌むのは無上のよろこびびである。

この宿は、息子さん夫婦とお母さん、それにお手伝いの人が2,3人という、ごく小さな宿なのだが、しゅんのものを大事にした手作りの料理が出される。

旅人はすべて、この囲炉裏のぐるりに車座に座って、暖かい味噌汁や炭火で焼いた川魚を食べる。つい先日も、定年退職をして初めて奥さんを連れて旅行に出たという、お酒好きの熊本県の男性と意気投合した。向こう側にいた埼玉県の人も加わり、酒と話がはずんで忘れ難き酒縁を結んだのである。」

 

現在の「田事」をblog で調べてみると、料理旅館として健在。食べログの評判もいい。

メモ  料理旅館「田事」(たごと)  tel  0242-24-7500  会津若松市城北町5-15  七日町駅から徒歩 7 分    


赤坂 日枝神社 2

2015-01-28 20:23:35 | 東京散歩

       

               

 

赤坂 日枝神社、合掌造りの屋根と足許に根巻きを持つ、これぞ山王鳥居です。

明暦 3 年( 1657 )の大火のあと、この地に移って、今日に至った社は、江戸時代造営で国宝だった権現造りの社殿こそ昭和 20 年 5 月の空襲で消失しましたが、立派に再建されています。

 

       

               

               

               

 

エスカレーター付きの新しい石段を上ると、この入り口から入ります。

 

       

               

                (神棚は 5000円ぐらいからありました)

       

       

                   

                  (この神社では猿は神様のお使いです)

 

日枝は比叡、延暦寺の守護神、坂本の日吉神社が、川越喜多院に日枝神社として勧請されそれを太田道灌が江戸城に勧請したのが、赤坂日枝神社の起源だそうです。

末社には、赤坂稲荷神社があります。

 

               

       

               

               

       

       

 

周りはいくら新しくなっても、江戸の雰囲気が色濃く残っている神社です。

 

               

       

 

 


赤坂日枝神社から日比谷公園へ

2015-01-27 20:53:40 | 東京散歩

Nさん、Kさん、私(K)のNKK散歩は、もうかれこれ 15 年も続いています。

全員が、アラ 80 になる今年は、 1 月 27 日(火)赤坂日枝神社から日比谷公園へ歩きました。神社の石段の下に私の生年の年号を見つけました。

 

     

     

 

山王坂を登って国会議事堂の裏手に出ました。議員会館が並んでいます。

 

             

             

             

             

 

参議院の角を曲がって議事堂正面に出ました。

その道を隔てた向かい側に憲政記念館がありました。

尾崎記念公園とも呼ばれ、尾崎行雄氏の像が建っています。

 

     

     

 

庭園の南の端は昔の参謀本部陸軍測量部で、「水準原点」を納める石造りの小さな建物があります。

この地の 24,140m が日本の高さを定める出発点となったそうです。

庭園の時計塔はまだ新しく目立っています。また、間近に警視庁が望めました。

 

     

     

     

 

三宅坂から国会議事堂を眺め、桜田門に下りました。

 

             

             

             

             

 

そして、法務省の建物を横目で見て日比谷公園に入りました。

 

       

             

             

       

 

日比谷公会堂の前を通った時、Kさんが 9 歳上の兄に連れられて、ここで音楽を聴いた思い出を話しました。

航空兵で戦後英軍の捕虜になったとのこと、 9 歳の違いでもうそんな年代だったんだと改めて思いました。

 

                

 

             

 

 


林鶏肉店

2015-01-26 17:01:55 | 

     

     

 

柏市塚崎にある寿量院門前の「鶏魂供養之碑」を見て、林鶏肉店に興味を持ちました。

blog で調べるとすぐ分かりました。

国道16 号大島田交差点を、船橋方面へ入ってすぐ、大きなバイク屋さんの前でした。

 

     

             

 

私がお邪魔した 1 月 26 日(月)は休業日でしたが、2 代目・ 3 代目さんにお会いできました。(碑を建てた初代の林さんは亡くなっておられました)

 

             

                      ( 2 代目の林さん)

             

                      ( 3 代目の林さん)

 

案内していただいた店の様子です。

 

     

     

 

家の中には、パーティ用のカラオケルームがありました。

 

     

             

 

外来者用のトイレ、・駐車場も設置されています。

 

                   

             

 

ネギ間を焼いてもらいました。ボリュームがあってジューシーです。

 

             

 

「おいしく、楽しく焼き鳥を味わってもらおう」と、2 代目・ 3 代目さんが工夫をこらし、アイディアを実現させている姿に、この店の発展を見たように思いました。初代の林さん安心して下さい。

 

             

              

             

   


福寿院  2

2015-01-25 19:56:08 | 柏(大津川流域)を歩く

             

 

福寿院は真言宗豊山派の寺ですが、寺らしき建物は、茅葺の観音堂だけです。十一面観音像は秘仏で、開帳されません。

幼稚園の場所が寺だったのかな?

 

             

                  

             

 

観音堂の境内で一番大きな石塔です。

 

             

                  

             

 

「光明真言講」とか、いろいろな講があって、昔の人はそれだけ強く仏の力にすがっていたのだろう。

立派な供養碑は養豚業の酒巻孝之さんが昭和 63 年に建てたものです。

 

     

 

小さな祠は、今も柏市では 5 月 1 日から 5 日間行われている「送り大師」の札所です。

 

             

     

     

                  

  (石碑から、この四国八十八箇所めぐり地方版の行事が昔から行われていたことがわかります)

 

成田山新勝寺月参りの記念碑は、明治 11 年の造立です。

後ろの小窓はどう使ったのでしょうか?

 

             

              

         

 

また、いろいろな神様の石碑が置かれていることにも気づきました。

 

        

         (大杉神社・待道大権現・春日大神宮・天照皇大宮・八幡大神宮)

 

 

     

 

             


柏・福寿院

2015-01-24 19:01:13 | 柏(大津川流域)を歩く

             

     

             

 

鎌ヶ谷市に発し、柏市南部を流れて手賀沼に注ぐ大津川が作る谷津田です。

この一隅に建つ古風な茅葺のお堂は、柏市高柳字中島にある真言宗の寺福寿院の観音堂です。

 

     

             

             

             

             

 

三間半四方の濡れ縁をめぐらせた回廊造り、向拝の中備(なかぞなえ)には竜の彫刻がみられ、母屋(おもや)との間には二本の海老紅梁が渡されています。

この観音堂は、前の建物が安政 2 年( 1855 )に雷火で消失したのちの再建ですが、再建年度も棟梁名も判っていません。(沼南風土記・昭和 56 年発行)

 

             

             

             

     

             

             

                  (安政 2 年に焼けた大欅の跡)

 

 


筑波へ

2015-01-23 19:59:33 | 関東の小都市歩き

             

             

 

1 月 23 日(金)筑波山の南麓にある“北条”に来ました。

昔からの“つくば道”は、ここから筑波山神社を目指します。

 

      

             

                   (ハイキングコースの宝キョウ山)

 

風が冷たく散策は中止にしました。

 

昼食は、牛久“森のレストラン”です。

 

     

             

 

最初に、牛乳、米のジュース、パンを取りました。米のジュースは甘酒の味でした。

メインはハヤシライスです。

 

     

             

 

デザートは、ピーチ、ヨーグルト、おしるこです。

 

               

 

筑波の高い街路樹の道を通って帰りました。

 

             

             

 

           


我孫子・崖(ハケ)の道にて

2015-01-22 20:39:32 | 我孫子さんぽ

     

 

 1 月 22 日(木)手賀大橋北詰の四つ角を西に、崖(ハケ)の下の小道を歩きました。

少し進んで、子の神大黒天の長い石段を上り本堂に出ました。そして、境内を出ると、「旧村川別荘」の台地側からの門がありました。

 

     

     

             

             

 

こちらは、村川堅固が大正14年(1926)の朝鮮旅行の印象をもとにデザインした新館です。

 

     

             

             

 

ボランティアガイドの染野さんに館内を案内してもらいました。

 

     

             

             

 

次は、志賀直哉邸跡です。

 

             

     

 

道を隔てて、白樺文学館があります。

 

             

             

 

2009 年からは、我孫子市の施設で、昨年10 月よりボランティアの演奏家によるピアノ演奏会が毎日開かれるようになりました。

このことを 1 月 22 日の朝日新聞千葉版で知り、演奏時刻  13:00 に合わせて訪れました。

 

     

 

聴衆は私一人。

童謡メドレー等の演奏に続いて、今日の天候に合わせて「シェルブールの雨傘」を演奏して下さって、とても贅沢な時間を過ごすことができました。

ピアノは、アルト声楽家の柳兼子さん(宗悦夫人)が晩年愛用されたものだそうです。