雨曇子日記

ご近所散歩日記です。だけのつもりでしたが、だんだんカテゴリーが増えました。

昨日に続く今日なれど・・・

2017-12-31 21:46:28 | 神社仏閣

              (柏市塚崎の神明社、伊勢神宮の方向を向いている)

 

今日は、一年 365 日の最後の日。大晦日。

一年間私たちの身に知らず知らずの間にたまった穢れを祓います。

 

 

千年以上もの昔から、人々が尊崇してきた産土の神様。

現代の私たちはおたがいにあまりにも多くの情報に囲まれて、ついつい神様の存在を忘れがちだ。

でも、どうにもならないと感じたとき、最後に頼るのは神様だ。

 

 

来る年も、何より平和で、豊かな年でありますように!そして、私たちが元気で楽しく過ごせますように!!

神様よろしくお願いします!

 

 

お参りを終えて神社を出ると私たちの住む村が昔からのたたずまいで静かに広がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017   暮れの中山法華経寺にて

2017-12-28 21:16:04 | 神社仏閣

12 月 27 日(水)中山法華経寺に来ました。

赤門と呼ばれる仁王門は大掃除の後で、とてもすっきりしていました。

 

 

境内もなんとなくすがすがしく、新しい年を迎える気分に満ちています。

 

                         (鬼子母神を祀る本堂)

                        (境内の五重塔を望む)

 

日蓮自筆の、国宝「立正安国論」などが保存してある聖教殿へ行ってみました。

 

    (築地本願寺の設計などで有名な伊東忠太氏の設計により昭和 6 年に建てられた)

                      (隣接する荒行堂の大屋根の鬼瓦)

 

大荒行堂では、今しも百日間の世界三大荒行にも数えられるすさまじい“行”が行われていました。

 

              (おそらく面会にでも来られた修行僧の身内の方でしょう)

              (全国から来られた修行僧の名前が貼りだされていました)

                   (絵馬堂にあった額の一つ)

 

鎌倉松葉ヶ谷の草庵で執筆した「立正安国論」を執権北条時頼に提出し、その中で邪教と極めつけられた浄土教信者によって襲われ、草庵は焼き払われました。いわゆる日蓮四大法難の一つです。このとき、白猿が現れ日蓮の衣の袖を引いて危難を救ったといわれます。また、当時千葉氏に文官として仕え、日蓮の庇護者であった、富木常忍が、下総国中山の自宅に避難させ、同時に教えを受けたとされます。それが、この法華経寺に発展し、常忍は出家して日常となり日蓮宗の教えを広めることになります。

 

 

平成 25 年、赤門の右手に建った日蓮像の台座には「立正安国を説くお祖師様」と刻んであります。

法華経寺は訪れるたびに何か発見があり楽しめます。

 

 

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福寿院・観音堂の紅葉

2017-11-30 13:23:44 | 神社仏閣

11 月 29 日、柏市高柳字中島にある真言宗の寺、福寿院に来ました。

私は自転車で来ましたが、徒歩なら、東武アーバンパークライン高柳駅東口から北へ 20 分です。

 

 

境内の大部分がお寺の経営する“沼南幼稚園”となっていますが、部分的には立派な紅葉が見られます。

 

 

江戸末期建立の茅葺の観音堂には、秘仏の十一面観音が祀られています。

 

                   (海老虹梁と呼ばれる化粧梁)

                     (向拝にある龍の彫り物)

                     (観音堂の裏手で見つけた烏瓜)

 

観音堂の境内から大津川越しに県道“船取線”が通る台地を眺めました。

 

 

 

 

 

 

 

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鎌倉の日蓮宗の寺

2017-10-10 21:12:31 | 神社仏閣

 

JR 鎌倉駅東口を出て徒歩 3 分にある本覚寺は「東身延」と呼ばれるのは、この寺の二代目住寺の日朝がのちに身延山久遠寺の住寺になった時、日蓮の遺骨を本覚寺に分骨したことがきっかけという。

 

 

梵鐘はもと上総木更津の八幡宮別当寺にあったもので、日出が法論に勝ち、従者の石渡新造左衛門が一人でこの鐘をかついできたという。

比企ヶ谷にある妙本寺は、この寺から南へ 5 分だ。東京池上本門寺とともに日蓮宗の大本山だった。

 

 

妙本寺を出て道しるべに従い路地のような道を抜けて常栄寺に出た。

 

               (この絵から「牡丹餅寺」の謂れが分かる)

 

大町のバス通りを名越方面に進むと安国論寺がある。日蓮が「立正安国論」を著した場所とされる。

 

                   (東京増上寺から移されたという石灯籠が並ぶ)

 

熊王殿わきの石段を上り、日蓮上人が日々富士山に向かって法華経を唱えたという富士見台に向かった。富士山は見えなかったが街並みと材木座海岸の海が見えた。

 

 

これは、私には少々きつかったらしく、家に帰ったら血圧が一気に 180 と上がって目まいがした。桑原桑原。

 

 

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柏 鷲野谷の 医王寺

2017-07-18 20:44:17 | 神社仏閣

手賀沼緑道から、鷲野谷の城山墓地脇の坂道を上って、医王寺の裏手に出ました。

 

 

境内に入ると、寺は、お盆の時期らしいたたずまいでした。

 

 

境内には、浄土宗の名僧、徳本上人( 1758 ~ 1818 )の念仏塔があります。

 

 

徳本上人は、紀州の人で難行苦行の仙人生活を経て庶民の熱狂的な信仰を集め、全国的に、最も多くの名号碑を残していると言われています。私は、東京の二つの寺で、この碑を見つけました。柏市沼南地区だけで、3つあります。

名僧といえば、この地鷲野谷生まれの弁栄(べんねい)上人です。

明治から大正にかけて全国を精力的に布教活動し、「大正の法然」と称えられました。

 

              (弁栄上人の顕彰碑 医王寺薬師堂境内に建つ)

 

弁栄(べんねい)上人略歴

安政  6 ( 1859 )  鷲野谷に生まれる。父山崎嘉平 母なを

明治 12 ( 1879 )  小金東漸寺住職大谷大康上人によって得度

明治 15 ( 1882 )  鷲野谷医王寺薬師堂に断食参籠

明治 27 ( 1894 )  インド仏跡参拝

明治  30 ( 1897 )  訓読・阿弥陀経図絵を出版

大正 元 ( 1912 )  光明主義を唱える

大正  5   ( 1916 )  京都知恩院にて教学を講義

大正 6   ( 1917 )  朝鮮・満州を巡錫

大正 7   ( 1918 )  時宗無量光寺住職となる

大正  8   ( 1919 )  光明学園開園

大正 9   ( 1920 )  柏崎極楽寺において遷化  62 歳

 

(「沼南風土記」昭和 56 年発行より)

 

 

 

 

 

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寿量院で写経

2017-06-18 20:57:06 | 神社仏閣

 

寿量院は柏市塚崎 815 番地にある真言宗豊山派の寺です。

毎月第三日曜日の午後 2 時から写経教室が開かれます。(受講料 1,000 円)

葬式や法事などが突然入って中止になる場合があるので事前に確認が必要です。(フリーダイアル 0120-471-003 )

 

 

蓮の花びらを模ったコンクリートの屋根に特徴がありますが、本堂の内部は木造です。

写経は本堂と別棟の部屋で行われます。

 

 

茨城県での葬儀に出かけておられたご住職が戻られ、講話をいただきました。

 

 

最澄と空海が遣唐使船で中国に渡り、密教を日本にもたらす話で、大変面白く分かりやすく話して下さいました。

 

 

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五条天神社&花園稲荷神社

2017-03-18 18:59:03 | 神社仏閣

 

この神社が上野山にあるのは、何か不思議な気がしましたが、ネットで由来を読んでみると、こちらの神社の方が寛永寺より歴史が古いということが分かりました。

稲荷神社については、上野の山の主である、弥左衛門という狐が巣穴の保護を天海上人に懇請したという話が出ていました。

 

 

五条天神社は、日本武尊東征の際、この地を通り、大巳貴命(おおなむじのみこと・大国主命)、少彦名命(すくなひこのみこと)を祀りました。しかし、その後上野のあちこちに遷座し、もとの地に落ち着いたのは昭和 3 年だったそうです。

五条天神社の境内に稲荷社がある、といった感じです。(社務所は共通です)

 

                         (五条天神社の桜)

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上野寛永寺清水堂

2017-03-17 17:17:50 | 神社仏閣

 

上野寛永寺の清水堂は、寛永 8 年( 1631 ) 天海僧正が京都東山清水堂を手本として建てました。

 

 

舞台造りの柱についた擬宝珠に「寛永 13 ・椎名兵庫」などの文字が読み取れます。

この人は、江戸初期の鋳物師だそうです。

 

 

歌川広重の江戸名所百景に描かれている「上野山内・月の松」が復活しています。

足立区の造園業者の方が 3 年がかりで作られたとか。

 

 

観音堂の秘仏十一面観音が与えて下さる力は「施無畏」(何物にも畏れない力」です。

 

 

 

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亀戸天神の鷽替え

2017-01-25 20:00:46 | 神社仏閣

             

 

亀戸天神の鷽替えは毎年たいそうな賑わいです。

昨年求めた鷽(うそ)を持参して、新しい鷽に取り換えてもらうのです。もちろん有料で、7 .5 cm ぐらいのもので 1 ,000 円です。

( 1 ~ 10 までのサイズがあり、7 .5 cm のものは 3 のサイズで、高いランクのものから求められていくそうです)

家人によると、何万人という人出で長い行列ができ、時間帯にもよりますが 2 時間ぐらいの行列は覚悟が必要とのことです。 

 

             

             

                     ( 2015. 3 . 4 撮影)

 

昭和 48 年 11 月発行の、中村汀女監修の“現代俳句歳時記”には次のような記載があります。

「一月七日の夕刻から、九州大宰府の天満宮でおこなわれる神事。参詣者は木製の鷽を持って集まり“替えましょう、替えましょう”と唱えながら、つぎつぎに他の人の鷽と交換する。中に神社から出す金の鷽がまざっていて、それを換えあてれば幸運が授かるというのである。

東京の亀戸天神でも一月二十五日の初天神にそれに似た行事がおこなわれる。」

そして、次の句が載っています。

 

          鷽替に楠の夜空は雪こぼす         野見山朱鳥

          鷽替やまこと顔なる古帽子         岡野 知十

          人の世の袂に替へし鷽はあり      福田 蓼汀

          鷽替の鷽の小ささ守護(まもり)とす   草村 素子

          友ら遠し立身の鷽替へもせず      小林 康冶    

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禊盥(けいかん)

2017-01-23 19:53:44 | 神社仏閣

        

        

 

墨田区小村井の香取神社です。

本殿に向かって左の支社諏訪神社に置かれている手水鉢は、区の文化遺産です。 

 

        

              

 

「禊」(ケイ)は“みそぎ”「盥」(カン)は“たらい”

神社にある多くの手水鉢が「奉納」「奉献」「盤水」「水洗」と書かれているなかで、「禊盥」はめずらしいと思いました。

でも、「身に着いた罪や穢れを祓って清純な心身で神様に向かおう」という気にさせてくれます。

 

        

             

 

コンパクトな境内ですが、香梅園があって早くも花を咲かせていました。梅まつりは 2 月中旬です。

 

             

              

             

             

        

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