徒然にふる里を語る

 一市井の徒として、生まれ育った「ふる里」嬬恋村への思いをつづります。

禍根

2013-11-28 13:47:33 | Weblog
 議会運営委員会が10時20分頃終わった。開会日12月3日、中日6日、閉会日12日と決まった。提出議案などはスムースに決定したが、例の「こども園」の件では黙っているわけにはいかず、議論の口火を切った。22日から得ていた情報と若干変わってきたが、議会としての対応、当局の入札中止の経緯に関して説明を求めた。

他の委員からも意見が出され、問題の方向性が見えてきたことは前進だと思っている。今朝の上毛新聞に建設資材や労務費の高騰が載っていたが、この4ヶ月間の停滞は禍根を残すものとなった。

これから地域や保護者にどう説明していくのか、当局の対応を見極めたい。無論議会にも責任はあるが、結局、そうなるのだ。先ほど会った知人が孫は鎌原に行く気でいる、と話していた。

中止

2013-11-25 16:43:42 | Weblog
 10時から嬬恋資料館の運営協議会に出る。議会の職責で委員長を仰せつかっている。その前に議会事務局により「こども園」の一件について確認する。たまたま、責任者もいて直接話を聞いた。結局、29日の入札は中止ということだ。自分が得た情報からすれば、そうなるだろうと思っていたが、私には理解できない。7月からやってきたことは何だったのか、自己否定にならないのか、と問いたい。

所管する常任委員会の委員長としての責任も感じる。だが、重要な方針の変更をこちらから動かなければ知らされない状況が正当とは思わない。この大切な時期に首長が不在ということも含め、キッチリ検証が必要だ。そして、住民に情報を公開していくことが肝要だ。

資料館の運営協議会はスムーズに進んだ。

結果

2013-11-23 16:12:33 | Weblog
 経口腸管洗浄液を2リッター飲んだ。1時間かけてだ。味も素っ気もない。もう4,5回挑戦している筈だ。人間ドックの結果にかかわらず、2年に1度は大腸の内視鏡検査を受けている。前橋のクリニックで受けているのだが、非常に手慣れている。殆ど苦痛もなく20分弱で終了する。

大変なのは排便だ。洗浄剤を飲んで30分くらいすると排便が始まる。これが2時間くらい続く。この時間が一番苦痛だ。便器に座りこみたくなる。排便の時間はその時々によって違うようだが、今回は比較的短かったような気がする。まじめに、食事を控え2日間下剤を飲んだ効果があった。

結果は異常なし。また、2年後に受けましょう、ということだ。大腸は2年に1度内視鏡を入れていれば大事には至らない、と言われている。

朝「こども園」のことで情報が入り、数本電話をして真偽を確認する。いずれにしても、これには問題がある。論点を整理しなければ。

福祉

2013-11-21 14:50:19 | Weblog
 昨日は安中市の「障害福祉サービス事業」を視察してきた。生活介護事業、就労移行支援事業、居宅介護事業、放課後デイサービス事業などを実施している「光の里」の施設を訪ねた。一緒の保護者たちが感嘆するほど充実した施設で、障害福祉のあるべき姿を見たような気がしたが、35年間の歳月をかけて此処までたどりついたということだ。多くの苦難を乗り越えてというところだろう。

保護者の熱意、地域の理解、行政のバックアップが無ければ難しい。嬬恋あるいは西吾妻で今何ができるか、議論するきっかけができたような気がする。心やさしい社会の実現。永遠のテーマだが、挑まないことには始まらない。

展開

2013-11-18 17:13:54 | Weblog
 午後からの全員協議会、想定していたような展開となってしまった。「東部こども園」に対する説明を受けたが、資料なしでノートに書き留めるに苦労した。以前から、全協に提出する書類は精査して出して欲しいと要望しておいたが、資料そのものが出なかった。性格で黙っていられず直ちに苦言を呈した。ここが抑えられないのだ。

我々にも責任があると思っているが、ここに至ると妙案がなかなか浮かばない。ボタンの掛け違いは最後まで修正できないということか。自分としては思うこともあるが、ここでは書かない。

終了後、同僚と1時間ほど話をした。


電話

2013-11-17 16:29:23 | Weblog
 早速、馬鈴薯が届いたという電話が入った。元農林省の職員氏は必ずキャベツの相場はどうだったか尋ねてくる。退職しても嬬恋のことを気にかけてくれているのが解る。私もおかげさんでまあまあの相場です、と答える。ついでに、財政悪化の原因と言われた「国営事業の借金は返済しました」と付け加える。

嬬恋のパイロット事業とは最後まで縁が切れそうもない。昨夜も農家から電話があり、配分を受けた畑の地番を聞かれた。電話で話しながら頭をめぐらし、小字と親番までは思い出したが、流石に枝番までは無理だった。それでも朝電話があり、役に立ったということだ。

国営事業に2回も関わった人間はそうはいないだろう。それは私の小さな誇りでもある。こんなことを改めて感じた2本の電話でした。

午後は嬬恋村の福祉大会に出席する。

恒例

2013-11-16 17:27:51 | Weblog
 昨日の続きのような話だが、東京の仲間に馬鈴薯を送りだした。私にとっては毎年恒例の行事で、中止するきっかけもない。年賀状と同じで、私が群馬の田舎で元気でやっている、という挨拶みたいなものだ。それでもここ数年何個か数が減った。訃報が届いた分だけ少なくなるということだ。そう考えるとこれからも続けていきたいと思う。明日の夜には久し振りに多くの仲間の声が聞けるだろう。

18日の全員協議会で説明を受ける「こども園改修工事」について、頭の中を整理した。4か月も請負業者が決まらなかった原因がどこにあるのか。併せて、専決でどこまで進められるのか、説明を聞きたいと思っている。

出身

2013-11-15 16:23:30 | Weblog
 万座温泉で学生時代の友人と旧交を温めた。2人とも万座が初めてということで、良質の温泉に感動していた。今朝も4時半には起きだし1時間ほど浸っていたらしい。昨夜、同僚から万座温泉の効用を聞いていたので、精神的にも効果を高めたに違いない。学生時代もっとも付き合いの深かった2人なので、アルコールが入ると時間の経つのを忘れてしまう。それでもお互い年は隠せず、11時前には就眠。

1人は鹿児島のR学園出身なのだが、どういう訳か僕らと一緒になった。高校卒業時には日常の英会話はマスターしたと言っていた。年は3歳上で兄貴のような存在だが、目標は一橋大学だったらしい。家庭の事情で、学生時代から新聞販売店に住み込み、最後は経営者のような立場だった。新聞に折り込みを差し込む作業を手伝わされたが、そんな些細な話で盛り上がった。

一時が過ぎ、馬鈴薯と白菜を積み10時前に帰って行った。また日常だ。

母校

2013-11-14 08:19:31 | Weblog
 学生時代の友人が2人やってくる。最初は3人の予定だったが、仕事が入ったらしい。何しろ住職なので休暇の計画は難しい。数日前に電話が入った。最終年、一部の授業が八王子の山中に移り、通学に時間がかかるようになり、福生にあるこの寺に時々泊めてもらった。八王子校舎には交通の便が悪かったくらいの記憶しか残っていないが、母校斜陽化の原因がこの移転にあったことは間違いない。

今ではモノレールが開通し、便利になったとはいえ、田舎の高校生が都心を離れた大学に特別な興味を示すはずがない。以前、雪だるまフェアで商店街の方と話した折に、母校の失敗はお茶の水を捨てたこと、と言われた。地元商店街からそう言われても仕方がない。明治の躍進はあの高層ビルにあるのだ。

まあ、こんな話でもしながら万座の名湯に浸る予定だ。

追記
 11時過ぎに事務局に顔を出した。同僚と18日に召集された全員協議会について話した。こども園の改修工事の説明のようだが、キッチリと説明ができないと、短時間では終わらないだろう。いわくつきの事業だ。私も何点か質問したいこともある。それに、担当委員会では先日「中条こども園」を視察した。そのイメージが頭の中に残っている。

友人の到着は午後3時の予定だが、万座に上るには冬支度だ。

軌道

2013-11-13 08:39:17 | Weblog
 2日間の調査、視察を終えて昨日は午後6時半過ぎに嬬恋に戻る。埼玉県秩父地方から山梨県の西沢渓谷、富士山へ至る強行軍でした。県立山梨環境科学研究所で荒牧先生と懇談し、富士山5合目まで案内して貰いました。懇談の中で、浅間山に嬬恋側から登山道を作りたいという話をしたところ、理解を示してくれたのが大きな収穫でした。

西沢渓谷では木材搬出に利用した軌道敷きを歩きましたが、関東鉱産跡のチャツボミゴケを観光資源として活用するには、仁田沢からのトロッコ軌道敷きを復元できないものかと考えました。崩落個所もあるようですが検討する価値はあると思います。

朝、窓を開けると雪景色。季節の動きが早すぎる。

西沢渓谷遊歩道 木材を搬出した軌道敷き