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その教派の教義と、歴史的因縁

2015-06-30 11:56:31 | 日記



  僕に述べられるような事ではないが、書こう。

  僕もそこで「愛=従順」だと教えられた。そこでは、断定的にそのように伝えられているようだ。しかし、パウロも実に愛について多くを語っているように、多様な面があり、「従順」だと語り切れないわけである。後年の福祉キャンプの経験から、むしろ、「愛=生かし合い。お節介にならない程度に、積極的なものではないか」と思ったほどだ。

  今の僕は「愛」には程度があり、従順も愛には違いないが、弱い愛だと解釈している。確かに、従順にこだわると、各自が消極的になり、他人や上の人に言われた事をする事しかしない。自主的な行動や勉強はしなくなるから。又、弱い愛の観念ならば、自分のエゴや欲望も抑えられないだろう。「性的虐待」の欲望が出ても、抑えられないものかも知れない。

  とにかく、その教派に深入りした人たちは自主性が弱く、他人や社会にも積極的に関わろうとはせず、内輪話や、内輪でふざける事を好む人ばかりだった。
  その教派が日本に伝えられたのは明治時代=19世紀後半。世界はまだ植民地化の時代だった。その教派は本国政府や商人、資本家たちと一緒になり、アフリカやアジアなどの地の植民地化に協力した。現地の人たちには、聖書の一部にしか過ぎない「従順」を強調して教えて、文字通り、従順に働かせて、経済や自然資源を搾取していった。何もその教派に限らず、多くのキリスト教派が植民地化に協力したようだが。一方、19世紀後半の日本も後進国には違いなかった。それで植民地用の教義を教えられ、以後も伝えているという推測が成り立つ。とにかく、人間は内輪の事ばかりに目が向くと視野も狭くなり、活力も出ず、小さな生き方になってしまうものだから。心が奪われたようになる。近代期、アジア・アフリカ・中南米の植民地支配が長期に渡ったのもわかる気がします。

  こんな比較はおかしいかもしれませんが、植民地支配は戦争よりも悪いかもしれません。侵略戦争でも自分の国の兵士がたくさん死にますね。血が流れる。でも、植民地支配は自分の国の兵士の血も流さず、相手の国の経済を根こそぎ搾取して、自分の国は栄え、相手の国は心身共、飢える。悪魔のする事です。今は植民地支配は許されない時代ですが、その歴史は誰もが心に刻まなければなりません。

  調べてみると、被害少女は何人もいて、長期に事件が渡ったようですが、近代世界の汚点である植民地化の重圧が少女たちに負いかぶさったと言わざるを得ません。

  又、日本国内の事ですが、宗教法人法の査定を厳しくした方が良いと思います。それが日本では、甘すぎます。そのような事も出てきます。

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