トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

フェイスブック投稿から

2023-01-28 16:30:50 | 日記
どんな組織、会社、施設、宗教団体もそのチーフのコピーみたいになる。チーフがおかしなところは部下もその色に染まり、そうなり、つぶれていく。まじめな人ほど、染まりやすい。
 ならば、 闇の面が次第に大きくなった島田療育園も小林博士の持つ闇と、もっと大きく世代的な問題もあった。クリスチャンでも戦前は見合い婚が当たり前だったし。イギリスでは身分違いの結婚は戦前はできなかった。そのよう世代の人なら、園生の恋愛や結婚は想定外だと。
 今も、例えば介護会社もチーフがおかしいと部下も染まり、いい加減な介護したりする。よく聞く介護士の虐待の根の一つもその延長ではないか。
 さらに狂うと、チーフが介護士の賃金をピンハネし、ぼろもうけするわけである。かつては建設ゼネコンがそうしたように。まさに大問題。...。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

変な施設や介護会社も多い。今は良くても、チーフが変わり、狂う所もあると思う。在宅暮らしはそのような時は変な会社はやめて、ケースワーカーなどに代わりを探してもらえばよいが、施設暮らしは。施設をかえることは引っ越しだから、手間も体力もお金もかかる。そうすれば死ぬような人も多いと。その場合、利用者はどうすればよいのか。
 施設の持つ真の恐ろしさも以上かもしれない。運命はチーフ次第という。今までの僕も個室化と恋愛の自由にこだわった。それらも大切だが、もっと根本的なことがあるようだ。

島田療育園悲恋の根

2023-01-25 09:56:09 | 日記
戦前はもちろん、戦後も1960年代までは親や親せきがその子に結婚相手を連れてくるお見合いが非常に多かった。その後も平成になるまで、若者同士は多くは同窓生や会社、宗教関係の仲間や友人関係から家庭作りを目指す例が多かった。「愛は家庭作りから生まれる」と良く聞いた。
  島田療育園の役員、職員、後援会の全員も戦前、戦後の生まれの別なく、恋愛に遠い世代。当時の若者が多かった職員たちでさえ、自分の結婚のことは語っても、恋愛は語らないし、関心もなかった。ならば、園生の恋愛対策もできなかったわけだ。悲恋になったわけだよ。
 今は恋愛も社会的に認められている。知的障害施設でも理解されていると。高齢者関係でも認められつつあるし。
  この件の不理解、身障運動家たちや僕は島田療育園に怒ったが、本当の矛先は当時の日本社会だったね。島田は氷山の一角。
 軽度身障同士が家庭作りを求めて結婚し、愛もできず、すぐ離婚した例も知っています。仲間や友人関係からは愛は生まれません。また、家庭作りから愛ができるか、疑問です。



















僕が多磨全生園を去ったいきさつ

2023-01-10 13:23:08 | 日記
 先の続きだが、愛を失うと、本当に人が変わるのだね。S氏は寂しさ以上。愛妻に嫌われたから。それで僕とも付き合えなくなった。
 僕は本当は伊藤まつさん昇天後も全生園に行きたかった。でも、付き合ってくれる相手がいなくなれば、行けない。仕方なかったと。
 S氏も、嫌った元妻も非常に心傷つき、気の毒。愛の喪失はそうだし、マイホームの型に合わず、そうなる例が世界に億単位でいると思う。
 昔の島田療育園みたいに、恋愛の機会がないこともものすごく悲しいが。

多磨全生園で見た一地獄

2023-01-05 13:20:21 | 日記
   一元患者夫婦の離婚である。1977年(昭和52年)、全生園を訪問した時に出会った中年元患者夫婦のS夫妻。夫は当時は40歳くらいだったろうか。大変社交的で、東村山市の革新系無所属議員とも付き合いがあり、多くの外部者たちとも交流。僕にもその延長で声をかけて下さり、付き合いが始まった。僕に限らず、訪問者にとって印象的だったのが夫婦仲。いかにも暖かく、幸福そう。出身地は違うが、二人の愛は深かった。それが明らかに訪問者たちの人気を呼んでいた。77年の時点では、妻の夫を見る目は慈愛そのものだった。

  それが、80年ごろからその目つきは冷ややかなものになり、夫は少しずつ寂しさを訴えるようにも。何かの発明、某宗教団体への抗議運動、親睦会や医学会作り、やることをクルクル変え、精神は不安定に。いきさつは知らないが、84年離婚。夫は憔悴しきった顔して、「ものすごく寂しい」と話した。僕は掛ける言葉はなかった。S氏は閉鎖的になり、僕も付き合えなくなり、そこに伊藤まつさんが85年に天国に行き、全生園から去った...。

  当時に限らず、近年まで以上の事が判らなかった。それゆえに書きようもなかった。愛が冷えればさみしいのは判るが、深く愛し合ったのになぜ冷えたのかと。その後、世代の別なく、多くの離婚の話を聞いた。離婚経験のあるママさんとも親友にもなった。また、戦前の大家族制は愛を消し、女性に忍耐を強いたことは知っているが、ならば、戦後のマイホーム型の夫婦生活も同じではないかと思うようにもなった。さらに、全生園内の結婚も、子こそ作れないものの、世間のマイホームを模している。その型にはめるような夫婦生活。世間の型にはまらない元患者たちが。皮肉でもある。例えば、室町時代以前にあったような通い婚とか、変えたらと今の僕は思うのだ。大家族制はもちろん、マイホームも夫婦の家族化が目的。家族恋愛はあり得ない以上、男女愛もそれで消えるし、ふうっと消える場合はまだよいが、消える時に「地獄の大ゲンカ」になる例が多い。

  僕が見たS氏の憔悴した姿も、そのような地獄の跡だったと気が付くわけだ。育児の社会化と並んで、型にはまらない恋愛や結婚の多様化を望む。ちなみに、新約聖書にあるイエスの説いた結婚は「男女の魂の結びつき」。当時は封建的な大家族制も、現代のマイホームもなかった。2つに当てはめることはおかしいわけである。