トシコロのありのままの暮らし


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多くの人たちが自分の死を自覚したら

2020-03-25 10:01:07 | 日記
人さまざまにしろ、まず自分の弱さ・はかなさを悟り、自分を愛しく思い、次いで他人にもそのようにし合うわけだから、ものすごい愛の世界ができる。努力や力みのない愛。ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞のように、究極的には国境や宗教の壁も消えるわけである。


  死を元々自覚していた一部の人たちを除き、今までは自分の精神力で多くの人たちは生きよう・愛そうとしていた。福祉や宗教関係さえもかなりそうだった。どうにもならない自分の死を自覚できないとこうなる。実はこれが世界のかなりの人たちの葛藤や不幸の原因だったのだ。人間の精神力・知力は本当は微々たるものである。誰も自分の人生を精神力で作れない。愛はもっとできない。どんなに好きな異性でも。離婚や非婚も当たり前だったのではないか。また、島田療育園が崩れていった様子も。園児たちを支えていた人たちはクリスチャンも、信仰を持たない人や仏教信者も、精神力で支えていた。限界があったわけだ。ライ予防法を作った旧厚生省役人たちも同じである。かつて一時的に栄え、すぐ内紛などで潰れたボランティア関係や身障運動も。

  むしろ、「愛そう」と精神力を持たず、「弱い人同士だ」と思い合うと、心も通じ合い、相手が必要とするケアだけを行ない合い、うまくいくわけである。何も福祉関係に限らず、全ての人間関係に言える。

  また今までの宗教。「自分の死」を自覚した人たちの信仰はまともなものばかりだったと思う。でも、それを自覚しない人たちの神や仏は何なのか。いきなり聖書やお経を読み、自分の知力で神や仏の観念を作り、精神力で愛や奉仕を実践していたのではないか。または、オウム真理教のように、宗教家が信徒たちに頭ごなしに信仰を丸呑みさせるとか。それらの神とか仏は実は「自分の姿の投影」にしか過ぎないわけである。または、教祖や宗教家とか。その他、国家を神に投影とかもある。1945年までの日本にあった国家神道とか、1979年以降のイランのイスラム体制が例として挙げられる。

  本当の神や仏も、死の自覚から「どうにもならない自分。精神力も、知力もダメ」と悟ってから、人間ではなく、神仏の方からやってくるわけである。まさに、親鸞上人の説いた「自然法爾」。

   最後に、昨日から久しぶりに「歎異抄」を読み始めている。再読。コロナから想った「死の自覚」の問題にしろ、これからの僕の生き方にしろ、GFたちの一人から出るかもしれない結婚縁や愛の作り方にしろ、カギとなるものが説かれている気がするからです。但し、これも前とは違い、知力ではなく、自然な感じで読んでいきたいです。無論、現代日本語に訳されている文を中心に読むと。今、親鸞が我々の前に現れたら、当然、現代日本語で語り掛けるわけですしね。

原罪の一つ

2020-03-24 13:22:57 | 日記
戦後の日本人などが死を忘れたり、嘲笑を無意識的にする。死の持つ重大性に気が付かない事は集合意識レベルの問題であり、ユダヤ・キリスト教で言われている「原罪」の一種だと思いました。それ故に「電気椅子をネタの漫才」とか、殺しにあふれたアニメや子供向けドラマにもなっていたのでしょう。そういえば、ウルトラマンなどの子供向けドラマは怪獣を容赦なく殺す話ですね。その影響を受けたと思われる子供が学校で、生きたカブトムシをそのままカッターナイフで半分に切り、それを見た女の先生が気絶した事も新聞に出ていました。


  意識的な罪は犯罪であり、いけませんが、無意識的にそうしてしまう事は本人が気が付かないから始末に悪い。多くの国民がそうしてしまう事は、もっと始末に悪いです。さらに、死をまともに見ない・自覚できなければ、自分の弱さ、他人の弱さも判らず、人と付き合えなくなる。付き合ってもケンカばかりとか、独り言の羅列みたいにもなるわけです。性的な興味で結婚しても続かないとか。介護関係でも、介護士と要介護者が意志疎通もできず、果てはケンカや虐待にもなる。医者もそうならば、次第に患者との距離ができ、相手を人体実験にするような誘惑にもとらわれる。島田療育園で聞いた「人体実験」もそこからきているのでしょう。そこはクリスチャンが多かったですが、やはり、死に無関心で、死を見ず、いきなり愛をしようとしていました。多磨全生園で知り合った無教会伝道師に島田療育園の話をした所、「一切の失敗は原罪の絡みから起きる」と述べてくれました。「死に無関心」も原罪だとすると、その通りですね。その他、1980年ごろに首都圏で目立った身障者同士の大ゲンカや、ボランティア活動の行き詰まりもそのような事だったと今は思います。変なクリスチャンばかりいたのも。「自分の死をまず自覚し、十字架上のイエスの死も想い、死のつながりでイエスとつながり、神の恩寵を受け、その感謝の気持をもって隣人を愛していく」がキリスト教ですが、そうではなく、いきなり聖書を読み、愛を自分の精神力でしようとするクリスチャンが多い。だから、挫折もしたり、レイプ牧師も複数輩出する結果にもなるわけです。

  因みに、「死」は自分の死に限ります。親含めた他人の死を見つめても始まらない。親鸞上人は「私は父母にも念仏した事はない。念仏は私だけのものである」と現代語に直して、語っていますが、そのような事ではないかと。その個所も僕は判ってきたかもしれません。

  「気が付かない」内は仕方ないですが、少しでも気が付けば、それまでの自分の原罪と社会のおかしさを悟り、気持ちを吐き出し、新たに心を入れ替えるとまともな生き方ができます。コロナに限らず、何かを鏡に「死」を見つめて下さい。気が付き、「死ぬ弱さ」を身近な人から話していけば、まともな関係もできるわけです。


高度経済成長期の日本にあった死への嘲笑

2020-03-23 11:23:44 | 日記
1966年。僕は小学5年。美術の時間に、その先生が絵を交えて、「お釈迦様の死」の話をされた所、僕含む、かなりの男の子が笑ったし、女の子もそれに近い表情を浮かべたので、先生が首をかしげた事を思い出した。今思うと、子供とは言え、笑う事ではないのに。変に思ったが、すぐに根が判った。当時のアニメや漫才に「死を嘲笑」するものがたくさんあり、それをいつも聞いていたから。特に、漫才で「電気椅子」を嘲笑した事は今も覚えている。知らない人に話すと、それは死刑囚を殺すための強い電気を通すイスである。アメリカでは、使われている州もあるらしい。当時の僕は単に、電気を通してシビレさすものかと思ったが、以上を母に教えられたわけだ。後年になり、それは漫才にふさわしいものかとも思う。また、アニメも、悪者が殺されるものもたくさんあった。このようなものを毎日見て育つと、死を嘲笑する子になるし、また、その漫才やアニメ自体がもっと死を嘲笑していると言わざるを得ない。更に言うと、その時期の日本は「経済力で何でもできる。死に打ち勝てる」という意識が社会全般にあり、それがアニメや漫才にも反映されていたとも思われる。


  第二次世界大戦中の日本の軍部は戦争遂行のために死を美化した。それも大罪だったが、それとは別の意味で、以上も非常におかしいわけである。

  無論、僕の関係者だけでなく、そのアニメや漫才を見た世代は後々まで影響が出ていたはず。死を深く考えない癖がつくとか。その現れの一つがオウム真理教だろう。麻原自体、死を深く考えていなかった。金儲けのために利用した訳である。信徒たちも。その他にも、交友や恋愛、結婚ができない、離婚してしまうなどの事にもつながってくるだろう。


  第二次世界大戦中の日本は軍国主義でおかしかったが、戦後も別の意味でおかしかったし、「死」を見ないで命や福祉を尊重はできないわけである。コロナに関係なく、我々は「死」を見つめるべきである。


第二次世界大戦後に特に人々が死を忘れた理由など

2020-03-20 11:11:48 | 日記
「死の伝染病」であった結核が非常に減った事が一番の理由だろう。日本に限って言っても、戦前の小説などには必ず「結核」が出てくる。子供の時から親戚や友人、知人が結核にかかった話を多く聞かされた。学友や先生が結核で学校を止めていった例も非常に多かった。ならば、どんなに体が丈夫な人でも、子供の時から「死」を意識するわけである。青年期は結核の事を更に知るから、もっと死について想う。それに加えて、徴兵や戦争、インフルエンザとたくさんあった。また、結核絡みの文学も多かった。正岡子規、樋口一葉と。結核から自分の死を強く見つめ、繊細な神経にもなり、不朽の作品を残した。やはり、結核を持っていたショパンも。結核にかからなければ、名曲も、ジョルル・サンドとの恋愛もできていなかったに違いない。


  昔、頭の良い友人が「現代よりも戦前の方が人々は優しくて良かった。江戸時代はもっと良かった」と述べ、僕も変に思った事もある。その人はどうも歴史の上べだけ学び、結核とか、死を見つめる事に気が付かなかったらしい。医学面は知らない人だったから。しかし、今の僕は言おうとしていた事は判ると。

  85年ごろ、教会関係で聞いた話。「信仰・神の力はどこから?」という題の話の時に、一神学生がアメリカのある神学者の説を伝え、「生きようとする個人の強い意志が神の介入を招き、奇跡を起こし、人生成功に導く」と。その人もその考え方に賛成し、さらに「イエスも、モーゼも、シャカも、親鸞も、生きようとする強い意志を持っていた」と述べていたのを思い出させる。当時の僕もかなり賛同した。でも、コロナを下敷きにすると、それはおかしいという見方にもなる。また、イエスや親鸞までにも当てはめたのはもっとおかしい。誤解や曲解にも当たると。むしろ、逆だが。いくら強い意志を持っても、コロナや結核、交通事故などの「死」にはどうする事もできないし、また、強い意志からは人々は結ばれない・他人をいたわれない。自分すらも愛せないが。その説がアメリカから。つまり、日本だけでない事もよく判る。世界的な現象だっただろう。でも、その思想の流れも、今回のコロナで終わりそうである。


これで一園生の恋文の事も描けそうです

2020-03-19 11:44:29 | 日記
   僕と出会う前に、島田の一人の男の園生が女子職員に恋文を書き、双方が傷ついて、女子職員は島田療育園から離れた事件が本人の手記文にあり、僕も非常に印象的だったから、小説にも盛り込みたいと思っている。本人は「恋愛」と思い込んでいたが、実際はその女子職員に優しい言葉を掛けられて、「そのまま結婚したら優しくしてくれるのではないか」と思い込み、強い期待感を持ち、「好きだ」と書いたと。察しはついている。何も身障関係に限らず、そのような期待的な異性への想いは世間・世界にはあふれているからだ。


  では、以上が期待感からくる恋愛もどきだとして、「本当の恋愛とは何なのか」と人に聞かれたら、今までの僕は返答不可能だった。判らなかったから。恋愛が判らないで、以上を書いても機械的な書き方しかできないわけである。

  本格的な恋愛も、自分の死の自覚からくるわけである。「この身もいつかは朽ち果てる。どんなに医学が発達しても、死からは逃れられない。それゆえ、自分が、与えられた現世がたまらなく愛おしい」という想いから始まり、友人や隣人たちもそう思うようになり、そこに気が合う異性が現れ、共にそのような切ない気持ちを抱き合う。これが恋愛である。「詩編」などの旧約聖書にはたくさん恋愛詩も述べられているが、それも以上の想いから初めて理解できる。親鸞上人の恋への想いも。万葉集とか、源氏物語とか。

  以上を認識するとしないでは、恋文事件の書き方もかなり違ってくる。因みに、83年ごろに書かれ、今は絶版になった島田療育園のルポルタージュ本でも、手記を再現しただけになっている。

   因みに、その園生はクリスチャンだったが、「十字架上のイエスとの死の共有」については語っていなかったし、島田にいたクリスチャンたちもそうだった。その後に僕が行った教会と変わりがなかった。コロナが流行るまで、日本でも全部のマスコミも、教育関係も、世間も「死」の事は語らなかったから、教会だろうが、島田だろうが、死の事に気が付かなくなるのは当然だったと思う。時代状況の下で誰もが生きているわけである・