トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

伊藤まつさん

2023-04-24 10:55:25 | 日記
僕と親しくしてくれたハンセン氏病元患者の伊藤まつさんが今日は昇天した日です。1985年。享年77歳。今の日本をまつさんはどう見ているのでしょうか。

佐久向け

2023-04-07 11:07:21 | 日記
 佐久のみなさんへ.         ⚾

 4月。東京ではチューリップが咲いています。春ですね。
 3月にはWBC、世界野球大会があり、ぼくも楽しく見ました。一ばん感動したのは、じゅん決勝の最後、それまで打てなかった村上選手がタイムリー・二るい打を打ち、日本がサヨナラ勝ちした時です。どんなにできる人でも、ちょうしがわるくなる時もありますが、村上選手はそれでもがんばり、本当に大事なところで、打った。だれでもちょうしがわるくなる時はありますが、ムリだけはせず、コツコツがんばることは大事ですね。それと同時にメキシコ選手たちのくやしい気持ちも思いやらないといけません。
 そのほかにも、人によっては大谷選手や佐々木投手、岡本選手の活躍に感動した人たちもいるでしょう。見方もちがって当たり前だし、だからこそ、いろいろな話ができて楽しいわけです。
 なお、今回はチェコやイギリスもさんかして、野球は世界にかなり広まりましたが、ロシアとウクライナは戦争のため、それどころではなかったことがざんねんでした。それらの国も早く平和になり、野球やサッカーを楽しめるようになるとよいと思います。


多磨全生園から

2023-04-02 17:06:25 | 日記
自分の過去を変えるとしたら、80年代前半かもしれない。その時、「何しに全生園に行ったのか」の想いにとわられていた。ある福祉会の役員命令で行き、その役員たちも行った理由がわからないのだから、役員経験ない僕にわかるわけはないが。でも、その想いがあったから、伊藤まつさん昇天後、そこをやめた面が強いと。
 ハンセン氏病差別は明治からのきっちりしたイエ制度や戦後のマイホームにも根差す深い問題だが、それが僕に見えてきたのは今になって。結婚やマイホーム考察と、島田小説書きから別件逮捕的に見えてきた。感染性や政治の件も上べだけに過ぎないと。
特に、自治会の人たちと付き合わないと。
 行き続けたら、そこに来る多くのサポーターとも交流し、その多くは僕のサポーターにもなってくれ、全生園近くのアパートに時々住み、次第に独自の自立状態になったと思う。明治や戦後の結婚の件も早くわかり、自由恋愛にもなり、縁ある複数の恋人を早く持てたし、島田の根も早くわかり、早く小説にしたと。例の教会には行かず、サポーターたちに多い、無教会に行った。洗礼は判らないが。島田や全生園の延長で放送大学はは学んだ。「なぜ行った」の件は忘れたと。
 差別は悪いが、それと戦ってきた元患者たちは心の力はものすごく、敬意を僕は持つ。

日本のボランティア

2023-04-01 16:32:57 | 日記
日本のボランティアの根の一つは1960年代の全学連。彼らから福祉に興味持った人たちが個人的にそれをした。「連」とは会を作らない人たちの個人的・社会的なつながり、連帯。そこが大事だね。
 ところが全学連も、ボランティアも会派を次第に作るようになり、仲間内にしか通じない話ばかりするように。70年代にはボランティアは会としてやるのが当たり前と多くが思うように。学生運動や身障運動にも言えるが、会派を作った時点ですでにボランティアは終わっていた。
 「介護にお金が絡み、ボランティアは終えた」と聞いたが、その現象が起きたのは90年代。ボランティア会が次々つぶれたのは1980年ごろ。時間的に合わないので、お金説は否定される。