トシコロのありのままの暮らし


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意思疎通が苦手のメンバーが集まった身障団体や福祉団体の様子を少し話します

2019-12-31 10:52:26 | 日記
   1970年代の東京の諸々の福祉団体や身障団体の見聞である。


   もちろん、一つ一つ違ったが、会合やコンパでも、一人一人違った事を抽象的に言うだけだった。他人に理解させる努力はもちろん、メンバーの声を聞く努力にも欠けていた。と言うより、今思えば、自分の意見を言う事も、聞く事もほとんどの者は「知らない・気が付かなかった」のである。発言も、自分の感じた事を述べるだけの会員がほとんどだった。これでは、ふれあいにはならないため、メンバーは常に寂しさを感じていた。特に、役員に当たる人たちは痛感していた。これが初期段階であった。

   「寂しさ」を埋める為、共通の話題を探したが、見つからない。他の同様な団体の情報は入るが、目的とか理念、行動は会によって一つ一つ違う。次第に他の団体を叩く発言が会員間で起き、それを通して、会員がまとまり、連帯を求めるようになった。または、内部の違った意見の者の悪口を言い合い、叩くとか。僕の旧友の身障女性運動家も、所属していた身障会の仲間から叩かれ、傷付いた事を話されている。確かに、「意見が違うから」と言って、叩くのはおかしいわけである。そのような例は非常に多かった。また、身障団体間の戦争みたいな激しい団体ケンカも多発し、当り前みたいになっていた。戦争みたいな事はなかったが、ボランティア・福祉団体も他の団体の悪口を陰で言う人たちが非常に多く、それで同様に連帯しようとしたわけである。または、内部の違った意見を持つものを叩くとか。あるいは、当時は養護学校義務制化の法案が成立間近かだったので、その関係でその法案や文部省の悪口を言って、共通の話題にムリにしようとした会もあった。あるいは、根が深いハンセン氏病差別にいきなり関わろうとするなど、ムリな行動ばかりして、会員だった学生さんたちが勉強ができなくなり、留年したり、中退する例もかなり出た。そのような会はいくらでもあったようだ。

  大体、当時の身障会は内外の大ゲンカでどこも早くに潰れていたし、ボランティア・福祉会も、ケンカは少なかったかもしれないが、意思疎通ができない為、何をしてもバラバラになり、約束も守らない事が当たり前みたいにもなり、コンパをしても、独り言の羅列ばかりで、これらも早く潰れた。

   日本の首都でこのような事ばかりが多発すれば、福祉の進展が遅れたのも当然だった。あってはならない事ばかりしていたわけである。また、身障者は勿論、健全者たちにも非婚例が多い。内、非婚身障者たちのほとんどは「健全者や世間の差別で結婚できなかった」と思っているようだが、それは違うと思う。意思疎通が出来なければ、どんな異性と出会っても、結婚どころか、恋愛も、友人にもなれないわけだから。

  以上の件は島田療育園みたいに細かく文で再現する気は僕はないが、非常に根が深い問題であり、その根本は「意思疎通欠落」以外には考えられない。今も日本では意思疎通問題が形を変えて現れている。困った事である。

  (追記すると、「内部の違った意見の者を叩く」とか、「外部に敵を作り、まとまろうとする」はファシズムである。ミニ・ファシズムという、危険な風潮が以上にはあったのは事実である。ファッショ性については当時の僕も察していた。でも、その原因が意思疎通であったことは、最近判ったわけである)


島田身障園生M氏の悲恋をもたらした大きな要因

2019-12-30 11:11:46 | 日記
以前も少し話したが、僕がそこを訪れる数年前、20代前半だった、身障園生M氏が一人の女性職員に恋愛感情を抱き、そのままラヴ・レター書いたが、女性側が受け止め切れず、そのまま退職し、双方が非常に傷ついた出来事があった。一つには、そのような事を想定していなかった島田療育園の不備である。別の恋愛事件で、身障ミニコミ紙はその不備を強く叩いている。想定すべきだったと僕も思う。


  でも、M氏の意識も問われるものがあると今の僕は気が付いている。というより、明治以来の日本の恋愛観である。「好き」と言う感情をただ相手にぶつけて、恋愛は成就するだろうか。そもそも、愛は感情なのか。M氏はクリスチャンだが、「愛は感情や優しさ」と言っていた。イエスも感情で愛をしたと信じていた。でも、すでに話した通り、イエスは「何をして欲しいか」と意思疎通を行なったわけである。後年、旧約・新約聖書を端から端まで通して読んでいる内に、M氏の「愛」のおかしさも見えてきた。意思疎通がM氏の発想に欠けていた。職員や母親からも「M氏は他人との意思疎通が苦手」と聞いている。でも、何もM氏に限った事ではない。僕の出会ったほとんどのクリスチャンたちは、M氏と同じ発想である。他に、「愛はセックス」と信じていたクリスチャンもいた。一つには、教会の礼拝が問題かもしれない。聖書のある個所をいつも断片的に読むから、体系的にイエスの事が判らず、「意思疎通」という肝心な事が読み取れないという。でも、最大の理由は、今の僕が述べている教育勅語以来の日本社会の意思疎通軽視の件である。実際、M氏と同じ事をして振られてばかりいるクリスチャン男性も多く見てきたし。また、男女共、いきなり異性に感情主体や仲良し関係を求めるクリスチャンも多いから、僕もそのような女性たちとは友人にもなりにくかった。今の僕ならば、「意思疎通」を強く求める所だが。何分、日本人クリスチャンの発想は「感情が愛であり、神」らしい。僕はその発想にはついていけなかった。実際、そのような人同士もついていけないわけである。結婚しても変わらないから、離婚にもなるわけだ。戦前は教育勅語に反対した人たちがクリスチャンには多かったが、学校社会の鋳型にいつのまにか、嵌められたと言おうか。


 とにかく、島田療育園と言う恋愛や結婚がただでさえ難しい所に、男女交際の方法を誤っていたから、悲恋になったわけである。島田だけでも、「愛は意思疎通」という観念があれば、状況はかなり変わり、寝たきりの方でも何とか結婚生活ができたかもしれない。残念に思う。

  因みに、クリスチャン女性でなくても、僕は「愛は感情」と信ずる女性たちとは今も付き合えない。「愛は意思疎通」と言う僕の考え方を理解して下さっている方とは十分に付き合えているが。日本には少ないタイプの女性だが、僕が結婚できるとしてそれしかいないだろう。M氏とは違い、愛は感情や優しさとは思わないから。今の僕がM氏と文通したら、どうなるだろうか。面白そうだが、書けない話である。わからないから。

「愛」の意味は「意思疎通」に極めて近いのではないか

2019-12-28 11:14:31 | 日記
まず、漢字(中国文字)の「愛」をじっくり見て下さい。「心を受ける」と書きますね。相手の心を受けるという意味です。でも、黙っていてはそのような事はできません。一緒に何をしてもできない。相手との意思疎通が先にあって、愛の状態が生まれるわけです。また、意思疎通する以上は、相手も同じ状況になるわけです。意思疎通なしには、愛は生じないし、意思疎通している時点ですでに「愛」とも言えましょう。


  漢字は東アジアだけのものですが、例えば、それを知らなかったイエス・キリストも、身障者・盲人・取税人・娼婦などの社会から取り残された人たちに、まず、「何をしてほしいか」と聞いてから、一人一人に合わせた事をしました。インドで生まれたお釈迦様も同じですね。日本の親鸞上人も。彼らは「意思疎通」から始めたわけです。やはり、意思疎通した時点で心は通い、それ自体で社会から取り残された人たちの心はかなり満たされたようです。それ自体が「奇跡」だったかもしれません。

  僕の文もそのような面があるかもしれません。例えば、昔、島田療育園で3人の身障園生と非常に意思疎通できたことが、今書いている小説につながっていますし、全生園の元患者おばあさんの伊藤まつさんと意思疎通重ねた事が、今になり、文にも書けているわけです。逆に、意思疎通できなかった所の人達の事は全然書けませんし、忘れてもいるわけです。

  その島田療育園の園生M氏から「愛」について話を聞きました。ただし、氏も具体的な説明はできなかった。「セックスが愛である」と言っていた人もいました。感情に愛の根拠を置く人とか。更には、日本には、愛は「して上げる」事だと思いこむ人たちも多く、対身障者に限らず、意思疎通を欠いて、相手の望まない事をして、ケンカになる例も多いです。それゆえに、「愛は否定されるものである」と言う人たちも非常に多いわけです。確かに、意思疎通を欠いた愛はおかしいし、それで他人に関わると、互いに状況が悪くなるだけです。それは止めるべきだと。

  意思疎通の究極の姿は色々あると思います。聖母マリアとの意思疎通の究極の姿の生活の人達が、カトリックの修道士ですね。でも、そのような人は少ない。究極の姿の一つが、本当は結婚生活でしょう。常に意思疎通する。だから、教会での神父などの結婚質問のように「悲しむ時も、病める時も、貧しき時も」共に暮らせるわけです。でも、感情=愛だと思えば、そのような事は不可能であり、離婚するわけですね。

  とにかく、今の日本には意思疎通が欠けている。世界もそうかもしれない。だから、戦争も絶えないのかもしれません。

  以上、問題意識を書いてみました。


1990年以降の日本社会で、恋愛や結婚以上に失われたもの

2019-12-27 11:00:11 | 日記
  それは友情・友人である。地味で誰も気が付かないが。90年以降はまず会社からそうなったようである。それまでの日本の会社は男女差別は強かったが、大らかで助け合い気風もどこでもあった。会社員だった父も証言している。会社勤めの経験のない人たちも聞いた事はあるだろう。雑談も多かったそうで、女性社員は彼氏の話を同士でする事が多かった。恋人の話をしながら、相手の気持ちをまとめて、来たるべき結婚生活の想像図を脳内で描く人が多かったわけである。男性社員もそのような事をしていた人たちも多かった。昭和の日本社会を描いた小説やドラマにもそのような事は多く出てくる。


  ところが、米ソ冷戦が終わり、経済のグローバル化が進むと、外国の企業がたくさん日本に入り込み、日本の各会社もそれを迎え撃つため、競争になり、会社内も能力主義一辺倒になり、社員同士も皆ライバルになり、雑談とか、恋人の話もできなくなった。社員同士で飲み屋に行く光景も減ったわけである。会社内の友情は次第に消えていった。かと言って、それ以上に身近な人たちのいる場は会社員にはなく、世代の別なく、孤独化がいつの間にか、進んだわけである。会社で付き合えないのならば、特に目的などない地域社会に目を向けて、友人になる事も誰もしない。専業主婦でさえ、夫の同僚やその妻と付き合う事はない。恐らくは、その姿を見てだろう、子供たちも学校で友人は作れなくなっている。僕の旧友の中学教師も、そのように証言している。

  ただでさえ、意思疎通不足が多い日本社会が、もっと疎遠になったわけである。友人も作れない人たちが多ければ、本当に恋愛や結婚どころではないし、お見合い会社のあっせんで結婚しても、結婚生活想像などはできていないから、うまくいくわけはないのである。

  2011年の大震災で、そのような問題も見直される気風もあったが、それもいつの間にか、忘れられたようてある。

  「意思疎通が元々不足の所に、会社内の友情が消え、地域や学校の友情も消えた」。日本社会が不活性になったわけである。カジノ関係の汚職も発覚したが、カジノの景気浮揚策などではどうにもならないわけである。僕はメールやフェイスブックを使って友情を端から作っているが、「友情を作っても始まらない」という考え方の人達にもよく出会うわけだし。しかし、友人が一人もいない人生は、話し合う相手もいないわけだから、例えば、悩みを話してストレスを解消する事もできないし、苦しいと思う。そのような人たちは精神病やアルコール依存症にもなりやすいわけである。精神病が増えている訳である。困ったものだ。また、助け合いをしなければ、老後に限らず、全ての人達はお役所頼みになり、国の財政赤字も増えるわけである。その流れはどこかで断ち切らなければならない。


  因みに、グローバル化を推進させた国のアメリカはもっとひどい状況には違いない。大統領選挙で見られるように、すでに国家分裂が進行中らしい。アメリカの事も見守りたい。