トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

今日の公開から想う

2022-02-28 16:40:05 | 日記
子供向け文の公開は予定通り。24日に書いた後、TVで開戦を知りました。1868年江戸。上野で幕府軍と新政府軍が戦闘しましたが、福沢諭吉は予定通り、慶應義塾で学生たちに学問の講義をしました。その気持ちもわかる気がします。世界が戦争やコロナで揺らいでも、学び続ける・文を公表する事が、後の世を作るわけだから。福沢諭吉の足元にも及ばない僕ですが、それに通じることが出来て良かったと思います。

子供向け随筆

2022-02-28 10:58:25 | 日記
 佐久のみなさんへ.            ⛷
                      2022年2月

 2月4日から20日までの北京オリンピックのお話をします。
 
まず、いろいろな国の人たちが来て、試合をしましたね。世界地図を見て下さい。暑い国のジャマイカやサウジアラビアから来ました。ジャマイカの選手はボブスレーという、雪そりのスピードを競う(きそう)試合。結果はともかく、「やってみる」というチャレンジの気持ちはすばらしいですね。そのニュースを見ながら、ぼくも感激(かんげき)しました。
 それはフィギアの羽生選手にも言えます。ころびながらも、4回転半のジャンプをしようとした。メダルは取れませんでしたが、その気持ちも素晴らしく、日本はもちろん、テレビを見ていた中国の人たちも感動して、たたえてくれました。良かったと思います。
 
ぼくが一ばんおもしろく思った試合はカーリングです。試合自体が変わっている。コマを置いていく。中国や日本に昔からある囲碁にも似ています。交互に置き、点数を各回ごとに付けていく。点数表は野球にも似ていますね。日本チームは準決勝で勝ち、決勝では強いイギリスに敗れましたが、「銀メダル」は立派です。見ていて、一ばん力が入ったのもカーリングでした。
 そのほかにも、スキーのジャンプやノルディック、スピードスケートなど、試合がありましたね。みなさんもそれぞれ心に残っていることでしょう。
 3月4日からは同じ北京でパラリンピックがあります。そちらも見ましょう。楽しみですね。


この戦争についてなど

2022-02-25 10:53:31 | 日記
  我々にできる事は、戦争にまで至った因縁を広く、深く、歴史的に長く、徹底的に知り尽くすことですね。ロシアという国ができる前の事まで。両国に影響を与えているキリスト教の事も含めて。因縁の中には、必ず日本や世界に共通する問題も出てきます。

  それと思うことは、今のロシアはプーチンしか政治家はいない事です。そうですよね。ならば、政権も多角的な見方ができず、戦争という短絡的な方法になってしまうのではないでしょうか。1979年の旧ソ連も当時の体の弱ったブレジネフしかまともな政治家はおらず、同様にアフガニスタンを攻めて大変な事になりましたが、その繰り返しかもしれません。例えば、満州事変から敗戦にかけての日本よりも、政治家欠落が目立つかもしれません。

  仲良し主義は合わない考え方の人たちを切り捨てる。失脚させる。いくら有能な政治家でも失脚。日本では1945年で教育勅語の仲良し教育は廃止されましたが、ソ連・ロシアでは1991年まで続いた。ならば、日本よりも長く洗脳され続けたわけで、今もその影響がロシアに残っているとも言えるわけです。それには僕は狭さ、甘さなどを感じます。切り捨てられた人たちは心の痛みを後年まで持ち続けます。むしろ、考えや立場の違う人たちと付き合う方が個人でも、社会や国全体でも伸びます。

  我々に通じる因縁が見つかれば、反省して戦争の芽を摘んでいきたいものです。


ウクライナ紛争と仲良し問題

2022-02-24 13:28:23 | 日記
  ウクライナが風雲急を告げている。流血になれば、どちらも死傷者は免れないし、穀物や燃料も高騰し、世界的に餓死者も増えるわけで、大変な事だが。自分なりに両国の歴史を見てみた。

  まずは、1917年から92年の旧ソ連時代。ウクライナも早くからソ連に組み込まれた。ソ連邦は多くの共和国で成り立ち、非常に広く、多くの民族や宗教が併立。それらの関係は元々険悪。ソ連時代のモスクワ放送で、「レーニンが、異なる宗教信者たちも寛容であれ、と革命直後に呼び掛けた。ナゴルノのキリスト教徒とイスラム教徒も、それに立ち返って和解をしなければならない」と聞いた事がある。レーニンも頭を痛めていたわけである。そのレーニンか、スターリンの時かは知らないが、これも早い時期に当時の日本の教育勅語を翻訳し、教育指針は勿論、各民族や階級間の和解の指針にしたとラジオで右寄りの知識人が伝えていたのを聞いた事がある。つまり、「仲よくしましょう」と。指導者の神格化など、旧ソ連社会は戦前の日本と共通する面があるし、ラジオ放送ではいい加減な事は流せないので、それは事実だろう。スターリン後も指導者たちはソ連内を仲良くさせようとしたが、できず、1988年ごろは述べた通り、ナゴルノ地方でキリスト教徒とモスリムの戦争さえも起きている。

  少し考えれば誰でもわかるが、人間は価値観や立場の近い人ほど、仲良くでき、異なる人たちとは

仲良くできない。仲良しを柱に据える社会は本当に価値観や立場ごとのグループを作り、異なる者たちは排斥してしまうわけである。旧ソ連も時がたてばたつほど、そうなり、国家も成り立たなくなった。ロシア人とウクライナ人も険悪化して、そこに経済利益も複雑に絡み合い、果ての姿が今のウクライナ紛争と考えられる。そう言えば、仲良し主義の本家の戦前の日本も、日本人と朝鮮人やアイヌと仲良くできたのか。日本人同士も地主同士、小作人同士、資本家同士、同じ政党同士、陸軍同士、海軍同士しか仲良くできなかったではないか。

  さて、ロシア人とウクライナ人は同じキリル文字を使うなど、根は同じ民族だが、ロシアは東方正教、ウクライナはカトリックが多いなど、信仰面でもともと合わないとニュース番組や新聞で最近僕も知った。同じキリスト教なのに敵対さえする。おかしいわけである。新約聖書によると、すでにパウロの時に分派争いがあった事が記されている。さらに過去のイエスご自身はどう思っていただろうか。当時は分派はなかったが、興味深いイエスの言葉があるから、紹介する。マタイ10章31以降。

  「私が来たのは地上に平和をもたらすためだと、思ってはならない。平和ではなく、争いをもたらすために来たのだ。わたしは反抗させるために来たのだ。息子を父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵になる」。

 何だろうと。当時のパレスチナの一番の仲良し関係は言うまでもなく、家族。もっと大きな愛に目覚めなさいと語り掛けたわけである。また、殺すなと述べたイエスが反戦に反対するわけもなく、以上の平和は日本流に言えば、仲良し関係に当たらないだろうか。後世の分派問題も含まれると。そのキリスト教も後世はその名を使い、仲良し関係ができたから、皮肉である。

  ウクライナ問題だろうが、パレスチナ問題だろうが、日韓の真の和解だろうが、解決の手がかりは仲良し関係をはるかに越える大きな愛だけである。

  (戦後の日本に国内の障碍者問題などを見ても、仲良くする方式では差別などは解決できない。むしろ、ケンカになる例が多いようです。夫婦にも言える。離婚も多いし。 また、大きな愛を持たない限りは人々は心が不安定のまま。幸福にはなりません。)

人間は同居を嫌う性質があるかもしれません

2022-02-21 13:28:04 | 日記
  第二次世界大戦前の日本。多磨全生園などのハンセン氏病療養所は個室がなく、男女に分かれての同居生活。一元患者から「ケンカばかりしていた。煩わしくて、誰もイヤだった。戦後になり、個室と夫婦室作る運動して、良くなった」と証言を聞いた。また、それとは別に、「結核療養所は個室がないため、ケンカが多かった」と聞いた事がある。やはり、個室がない軍隊生活のイジメ。

  時は経て、1970年代。首都圏の身障者たちは施設入所を嫌い、反施設運動。ただし、嫌う理由は、結婚できないからか、自分でも判らないかに大別された。前者にはかなりの結婚例があったが、大体は離婚した。当時の身障施設は個室はなかった。島田療育園でも、身障園生たちはケンカをよくしていたし、一時文通した板橋区の身障施設の一園生も「ここもケンカばかりだよ」と述べていた。また、同様だった高齢者ホームもケンカが多いと聞いた事がある。

  話は少し変わり、離婚。実際は明治から多かったそうだが、その情報は伝わらなかったため、注目されなかった。夫婦不和になっても女性が耐え忍ぶ例も多かったし。でも、実際はかなりあり続けた。夫婦だけでもない。親子や姉妹が同居生活をしてケンカになり、殺す事件が後を絶たない。何も経済トラブルがなくても、一緒にいると相手の顔も見たくなくなるという話をよく聞く。どんな愛も冷えるらしい。

  ならば、これから心理学的な解明が期待されるが、人間には同居を嫌う性質があるのではないかと思いたくもなる。70年代、僕や島田身障園生含め、身障者が施設を嫌った理由もそのような事かも知れないし、軍隊の問題にも通じる以上、日本の徴兵制も復活させては、この面からもならないと思うわけです。