多くの旧友たちにしろ、多磨全生園で聞いたハンセン氏病元患者たちの恋愛・結婚のことにしろ、世間のことにしろ、出会って間もなく、まだお互いによく知らない内から相手を好きだと言い合う、又は、一方的に好きだと言う。そして、少し知り合ってから「こんなはずではなかった」と言って、別れるかケンカになる例が多い。無論、ケンカの時も「別れる」わけだが。何も僕の見聞きした例ばかりでもないだろう。新婚旅行直後に離婚する例も増えている以上、それは日本を覆いつくしているようだ。
確かに、相手の顔くらいしか知らない内から「好き」とか「愛している」はおかしい。昔から僕が感じてきた疑問である。その内の一例の証言を詳しく一旧友から聞いた事がある。他人のことなので書くわけにはいかないが、後の人生にかなり尾を引いたようなので、悲しくも思う。本人は述べていないが、出会ってすぐに相手のことを「優しくて、しっかりして、オレに尽くしてくれる」と勝手に思い込んだらしい。相手もそうかもしれない。少し経ち、知り合い始め、自分の思っていた姿とは違う事に気が付き始め、失望が始まり、何かのきっかけでケンカになり、別れたわけである。映画の寅さんにも全く同じ筋書きのものがあった。自分の理想の姿の異性を相手に勝手に投影する現象である。また数は少ないかもしれないが、性の別なく、友人にも想像した姿を相手に押し付けるように付き合う例もある。迷惑するわけだ。それらは想像が過剰というべきものか。
人間は一人一人違う。自分と同じ人はいない。また、自分が想像した人と同じ人間もいないわけである。交友の目的は絶え間なく、客観的に知り合う事だが、特に何かと違う男女はそうだし、本当に好きになる、愛が生ずるのはかなりしりあってからになるわけである。映画の寅さんの恋愛は明らかに客観性が欠けているから、「男はつらいよ」になるわけではないだろうか。
確かに、相手の顔くらいしか知らない内から「好き」とか「愛している」はおかしい。昔から僕が感じてきた疑問である。その内の一例の証言を詳しく一旧友から聞いた事がある。他人のことなので書くわけにはいかないが、後の人生にかなり尾を引いたようなので、悲しくも思う。本人は述べていないが、出会ってすぐに相手のことを「優しくて、しっかりして、オレに尽くしてくれる」と勝手に思い込んだらしい。相手もそうかもしれない。少し経ち、知り合い始め、自分の思っていた姿とは違う事に気が付き始め、失望が始まり、何かのきっかけでケンカになり、別れたわけである。映画の寅さんにも全く同じ筋書きのものがあった。自分の理想の姿の異性を相手に勝手に投影する現象である。また数は少ないかもしれないが、性の別なく、友人にも想像した姿を相手に押し付けるように付き合う例もある。迷惑するわけだ。それらは想像が過剰というべきものか。
人間は一人一人違う。自分と同じ人はいない。また、自分が想像した人と同じ人間もいないわけである。交友の目的は絶え間なく、客観的に知り合う事だが、特に何かと違う男女はそうだし、本当に好きになる、愛が生ずるのはかなりしりあってからになるわけである。映画の寅さんの恋愛は明らかに客観性が欠けているから、「男はつらいよ」になるわけではないだろうか。