トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

今の腰とひざの様子

2019-02-28 11:36:38 | 日記
  右ひざだけが悪いです。疲労性脱力。1月から左の腰とひざが悪かったので、体重を右足にばかり掛けていたからですね。冷えはないですが、そこをカイロで暖めています。


  時間はかかりますが、治るわけです。もう春ですね。

S園の小説が僕に書ける理由2

2019-02-26 11:40:46 | 日記
  3人の身障園生と個別的に恋愛や結婚の話をしたからである。内、一人はいつも述べているように、寝たきりの方であった。寝たきりの人がいる事は知っていたが、そのような状態の人からこの種の希望話を聞くとは、知り合う前は思わなかった。園生の中でも、非常に意外に僕には思われて、深く考え込んだ。室内移動ができる重度脳性まひ者の結婚例はそれまでも光明養護学校関係の話から色々聞いていたが、寝たきりの人の結婚例は僕はそれまでは聞いた事もないから。1977年当時はまだ障害基礎年金はなかったが、生活費は生活保護で可能としても、その他の生活面はどうなるのか。その点については本人は何も言っていないし、当然ながら、僕には判らなかった。でも、その希望を詩や随筆文にして書き続けた。尚更、僕の心を打った。また、他の二人もそれなりにその事を話してきた。


  当時の日本においては、在宅身障者の結婚状況は非常に厳しく、ましてや、S園の園生たちのその件は絶望的だったわけだ。それから数年後にS園を訪れた別の身障者の一人は、その状況を嘆き、「人間、何の為に生まれてきた。男は女の為に。女は男の為に。私はそれ以外の目的を信じない」とミニコミ誌に書き残している。この文も僕の心を打ち、非常に共感したわけである。(旧約聖書にも「男は女なしに、女は男なしにあり得ない」という文言もあるそうだ。その人は聖書は読んだ事がなかったが、偶然にもほぼ同じ事を述べた面も僕には興味深い。また、そのような言葉が出る以上、S園も、男女の関係も聖書に通じるだけの根が深い問題がある事になろう)。

  今思うと、3人の園生も、僕も、恋愛と結婚を混同していた。恋愛=結婚と短絡的に考えていたわけである。実際は違うし、結婚の場合は「イエ制度」という厄介な難問もあるわけだが、3人の園生はそれを知らなかったし、僕も軽く考えていたから、彼らにその事は話さなかった。とは言え、そこから僕と彼らの間に深い絆も生まれたし、いつまでも印象に残った。以上の話をしなければ、3人とは友人になっていないはずだ。S園の事など、とっくの昔に忘れたろう。例え相手がいなくても、恋愛の延長が友情なのかもしれないと。現に、同時期、下町の在宅身障者用の作業所にも福祉会の関係で行ったが、何故か、そこの人たちは身障者も、ボランティアもそのような事は一切話さず、僕も話が合わず、1、2回で止め、その様子はその建物の事しか覚えていない。

   もう一つ述べると、もし、僕がS園の園生だったり、逆に彼らが在宅身障者で何かの身障会や福祉会の仲間として出会ったら、これまた、関係は難しかったと。現に、その3人の園生同士は仲が悪かった。また、かつて、僕が入っていた身障会も早くにケンカ別れになっている。福祉会、身障会と内紛が多いし、歴史を見ても、宗教関係にしろ、何かのセクト関係にしろ、仲間関係を作ると必ずと言っていいほど、内紛とか、他のグループと争う事になっている。その件は別の機会に書くべき事だが、少なくとも、仲間関係・仲間意識から友情も、恋愛や結婚もできないと言わざるを得ない。仲間関係でなかった事も、小説として書ける要因にもなっている。

S園の小説が僕に書ける理由推察1

2019-02-25 13:44:45 | 日記
   先日公表した第7章を読み返して気が付いた。僕の想いとか愛みたいなものは付き合った3人の園生だけでなく、職員たちにも広く及んでいる点である。しかも、尊敬の気持を職員たちにも持っている点である。今までは僕の想いは身障園生に限定していたと思っていたが、それは間違いだった事に気が付いたわけである。そうだろう。小説名.シマハタの事は職員たちの事を書かなければ成立しないわけである。特に、創立期は身障園生も小さかったため、大したドラマもなく、 余り書けないわけだし。対象への愛がなければ書けない。園生だけの愛ならば、断片的な随筆文になるわけである。


  では、何故、職員への敬愛の念が生まれたか、思い出して考えてみた。付き合った身障園生の内の野口栄一君絡みだったようだ。対職員への気持ちは他の二人は冷淡か悪口が多かった。でも、野口君だけは悪口などは言わなかった。今の僕は「筆記方法」にも関係しているかもしれない。他の二人は電動タイプを使って書きたい事を書いていたが、野口君は寝たきりで、手も全然動かせないから、代筆してもらうしかなかった。代筆するのは職員さんである。その場合、非常な協調関係になる。そうなれば、職員への悪口も思わなくなるのではないか。更に、そこで野口君が職員の代筆で何かを書いている場面も見た事がある。野口君は元々声量が小さかったが、それを非常に真面目そうな男性職員が一生懸命聞き取り、書いていた。野口君も一生懸命話し、職員さんも一生懸命聞き取り、書く。若かった当時の僕もその様子に心打たれて、両方に尊敬の念を持ったわけだ。そして、その念は時を経て、いつの間にか、他の職員たちにも広まり、職員たちの事も書けるようになった。時間はかかったが。

  もし、S園に野口栄一君なる人がいなければ、以上の場面も目撃できず、職員たちは「身障園生を子供扱いした」と言った面しか見る事ができず、敬愛も持てず、小説は1行も書けなかったわけである。僕もそこでトラブルもあったから、単にイヤな思い出になり、断片的にしか覚えておらず、何も書けないまま、「行かなければ良かった」と過去否定の気持ちさえ持ったと思われる。

  かつて、野口君と以上の一職員は「協調の大切さ」を僕に教えてくれたし、今も野口君は天国から僕をサポートしてくれて、一緒に小説を書いているわけです。ありがたい人です。

  更に、もう一つ理由がありますが、それは次回に書きます。

実録小説・シマハタの光と陰・第7章・シマハタ初期の日常

2019-02-23 14:20:07 | 日記
   ♪ 上を向いて歩こう。涙がこぼれないように...。年は明けて、1962年。シマハタにある白黒テレビからも、坂本九の明るい歌が流れている。医者も、職員も、園児たちもこの歌と坂本九が大好きだ。ここのだれもが口ずさんでいる。


  

  職員たちは忙しい。朝は6時に職員寮で起き、朝食後、7時に夜勤明けの職員たちと交代し、園児たちを起床させ、着替えやトイレ、洗面、朝食の介護をする。あと、半数は園児たちに付き添い、歩ける知的障碍児の散歩の手伝いなどもする。もう半分は昨日・昨夜の園児たちの着物や、シーツなどの洗濯。当時の洗濯機はまだ脱水機能も付いていなかった。まず、水道からホースで水を入れ、粉石鹸も一緒に入れ、次いで、そこに汚れた着物などを入れ、タイマー・スイッチをひねると、その時間だけ、洗濯ができる。後は、石鹸水を捨てて、そこにまたホースで水を注ぎ、タイマー・スイッチをまた押し、すすぎをした後、手動脱水装置で、着物を脱水する。腕の力を振り絞って、するわけである。さらに、少し離れた場所に全着物を運んで、物干し竿に一つ一つ干していく。時間も、労力も要する。しかも、園児の数は多いから、膨大な洗濯である。冬の水は冷たく、それで洗濯を担当する職員の中には、手や肩の所が冷えて神経痛を起こす例も出た。また、雨が多い梅雨時は洗濯しても干せないから、非常に困ったわけである。更に、もろもろの介護。特に、入浴の時は大変である。体の動かない園児たちを抱きかかえ、一緒に入り、溺れないように注意を最大限に払わなければならない。その介護の後は職員たちは精魂尽きたように、疲れ果てるわけである。また、夜勤の増加からの体調の乱れもある。


  「最近、私は右肩が痛むようになったけれど、がんばって、子供たちのお世話をするの」。

  「私は、子供たちをいつも抱き起すことが多いせいか、腰が痛むの。でも、歩けない園児たちよりは恵まれているから、一生けんめいやるわ」。





  そのような会話が職員の食事時間でも次第に増えてきた。かなりの職員が腰痛と肩痛に襲われていった。でも、人手不足なので、発熱でもない限りは休ませるわけにもいかない。明らかに無理を重ねている職員が目立っていった。




  林田博士は「このままでは園児と職員が共倒れになる。マスコミを通して、世間に働きかけ、職員を増やさなければ。資金繰りは苦しいが、何としても、増やさなければならない」とつぶやき、NHKや新聞各社に大規模に職員募集をすることを思いついていた。世間は翌年の東京オリンピックの話題が席巻していた。それは華やかなことだが、その陰に取り残された人たちも日本にもたくさんいた。シマハタもその一つであった。








はやぶさロケットのリュウグウ着陸

2019-02-22 13:12:07 | 日記
  着陸しましたね。詳しい画像がやがて送られてくるし、3月にはNHKも特集番組をすると思いますで、宇宙ファンの僕として、楽しみにしています。


  そのリュウグウ星の土を徹底的に調べるそうです。アミノ酸みたいな生命の素材が確認されないかと。もし、見つかれば、非常に大きな発見になります。何故ならば、生命の素材は地球外にもある事になり、恐らくはこの銀河と言わず、百二十億光年の広さの宇宙のかなりの地域に生命の素材があり、生物は宇宙至る所にある事にもなるわけだから。科学観は勿論、全地球人の意識・気持も広がるわけです。天動説から地動説に代わった時も、当時はヨーロッパに限られていましたが、同様の意識の変化があったから。今回は全世界的にそうなるわけであり、人類の気持ちが広まれば、高い所から世界を見る事も出来る人が増え、世界平和や人類福祉、動植物との共存、エコの推進が進むわけです。

  世界観の事は大きいと、かつて、放送大学で科学史の村上陽一郎教授も講義で述べていたのを思い出します。皆さんも空を見上げて、宇宙生物の事を思って下さい。気持も広まりますから。