トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

閉鎖性の恐ろしさ

2020-09-29 10:30:52 | 日記
 恋愛、結婚、家庭、企業。この四つも「閉鎖性」の典型である。日本で1969年に流行った、「愛、あなたと二人」で始まる歌は、その事を端的に示している。そのような歌は、世界各地にあるわけである。恋愛と結婚は二人だけの世界を作る事、家庭はそれと生まれてくる子供たちだけの、企業は社長と社員だけの世界。そのように信じて、誰も疑わない。でも、それはおかしいのではないか。二人とか、グループだけの世界は極めて閉鎖的。まず、そのような所に浸かると、視野と心が極めて閉鎖的になる。他の人たちの事は気が付かなくなる。
  恋愛初期で大体二人の視野は狭くなる。それ以前の、恋愛を求める段階から、すでに視野は狭くなっている。視野と心が狭いと、相手の何かの特徴もマイナス的に見えてくる訳である。本当に、身体障碍とか、旧の子孫、在日外国系、琉球、アイヌという特徴を持っていると、視野などが狭くなっている人には、マイナスにしか感じられず、「頭ごなし」に差別される。それらの差別が今も消えない根本原因もそのような事だと断言できる。また、理解して、差別は免れても、結婚する時はその家族が同様に差別する。何十年も家庭という場にいると、同様に視野などが狭くなるから。更には、企業も同じである。
  以上挙げた日本にある諸々の差別は根が違うのに、恋愛、結婚、企業就職では、ほぼ同じ問題がある事に僕も昔から変に思ってきたし、同様に思う人たちも多い。それもそのはず、恋愛、結婚、家庭、企業の四つの側に問題があったから。例えば、障碍者問題とか、琉球の問題を深く掘り下げても、解決策なんて出ないわけである。
  ここで解決策を述べよう。最低限の個人情報は守りつつ、オープンな男女交際、恋愛、結婚、家庭を作り、企業も作る事である。それしかない。また、そうすれば、離婚・親の児童虐待、育児ノイローゼも消える。僕の知っている人たちでも、結婚して、社会との交流も減り、閉鎖的な生活になり、「寂しい」という言葉を連発した人たちも多いわけである。
  例えば、恋愛中も友人たちが絡み合う関係とか、結婚後も盛んに他人と交流する夫婦とか。思い浮かべたら、笑顔も多く、楽しい様子がよく判る。不満も持ち合わない。もし、一方にでも、何かの特徴がある場合は、仲間を通して世間にその問題を流せる体制もできるから、結婚しても、障碍があってもサポートできるし、その他のマイノリティでも、世間に偏見打破の体制もできるわけである。それなら、身障やマイノリティでも、十分に恋愛や結婚も可能になるわけである。

フェイスブックのコメントから

2020-09-19 12:55:58 | 日記
先日、福祉関係の人から「これからの世の中は(経済状態のため)今ある施設は成り立たない。グループホームや在宅介護になる」という指摘コメントを頂きました。
  「モモ』を書いたミハエル・エンデの説明番組によると、園でもそれに問題意識を持ち、ヨーロッパの歴史を徹底的に調べたら、中世の施設は町中にあったと。小規模。今のグループホームに近かったわけです。近代以降の施設をエンデは盛んに批判していますが、興味のある人は自分で調べてみて下さい。
 ヨーロッパ中世にも共生文化はあった。暗黒ではなかったわけです。「魔女狩り」は、むしろ、中世が終わり、近代の初めでした。その文化を近代科学と経済は受け継いでいる。果ては原爆にもなりますよ。ヨーロッパでは歴史の歪曲が起き、我々も信じ込んだ。
  経済関係の水野和夫氏は、経済成長が止まった後、世界は「新中世」になり、精神的に恵まれた世界になる事を予測しています。
  僕の見た島田療育園でも、一番の問題はお金でした。東大法学部のA氏が「貨幣制度を消さなければ、障碍者関係も、児童福祉関係も成立しない」と指摘していたのを思い出します。それでも、日本の経済成長期だから、何とかそこは成立したわけです。今はムリでしょう。

日本で権力によって歪められた病気2つ

2020-09-18 10:42:33 | 日記
一つは、明治後半から今もくすぶり続けているハンセン氏病である。その病原菌は結核菌に近いものであり、しかも、感染力は結核よりもはるかに弱い事が非常に早くから確認されていた。顔などが普通の人たちに比べて変わっているため、日本でも古くから嫌われれていたが、恐れられた事は元々なかった。それが明治後半から、「ハンセン氏病患者たちが世間にいるのは、文明国らしくない」という理由で、当時の天皇の名の元に強力な隔離政策と、「うつる恐い病気」という政府宣伝を徹底的に行ない、多くの国民は頭ごなしに宣伝を信じ込み、うつると思ってしまったわけである。それは2000年ごろになっても続いたらしく、元患者たちが旅館に宿泊する事を拒否される事件まで起きている。1985年、ハンセン氏病差別にも詳しい一牧師から「戦前政府により、日本国民のほとんどは、ハンセン氏病への恐怖感を植え付けられた。ナチスの対ユダヤ人政策もそうだったが、権力者たちは恐怖によって人民を支配し、自分たちに都合の悪い者も恐怖によって排除する。又、その恐怖に対して従順な人たちは権力者にも従順である事を示している。ハンセン氏病を恐れたり、感染性を気にする、同情する人たちもそうである。我々はそうなってはいけない」と聞いたのを覚えています。その通りだと思います。


  もう一つは、今のコロナ。どうもマスコミ、特に民放TVが感染の恐怖を煽っているように思えます。無意識的かもしれませんが。コロナも本当は「科学的に理解」すれば良いわけです。それ以上の報道は必要です。特に、「今日は何人患者が出ました」の報道は止めてもらいたい。何の意味もありません。同様に感染力の強いインフルエンザでこのような報道がなされたでしょうか。コロナの事を得意がって言う医者たちも民放TVに出てくる。同じ話を繰り返しているみたいです。民放TVを真に受けたら、コロナを必要以上に怖がる・嫌悪して、その結果、その患者も恐がる・嫌悪する、つまり、差別するようになるわけです。更には、コロナが回復した人とか、医者やナース、その家族までもが差別。おかしいわけです。

  以上から判る事は、戦後のマスコミは知らない内に、権力者になっていた事ですね。そして、主旨は違いますが、戦前政府が対ハンセン氏病患者たちにした事と、同じ事を対コロナ患者や関係者たちにしている事です。国民からすれば、無意識的にマスコミに魂を預けている事になります。これこそが「恐怖の正体」。マスコミは今は政府や資本家以上の権力者になっているようです。コロナ以前は、オリンピックの事を重点的に報道していた。元々日本国民は今回の東京オリンピックは反対や無関心の人が多かったから、情報操作して盛り上げようとしたのでしょうか。肝心の福祉や経済の構造改革論議はせずに。おかしかったと思います。

  とにかく、政府権力にしろ、マスコミにしろ、「魂を預ける」事はもうやめましょう。自分の真実の目で見ていきましょう。


資本主義終末にあたって

2020-09-15 13:33:01 | 日記
1972年。高校生だった僕は学校で多摩更生園を見学した。当時の東京都が大金を掛けて作り、やはり、毎年、多額の予算を費やして維持されている巨大施設である。後年、人権紛争が起きたそうで、問題になった。当時の僕の感想については、文の主旨から述べない事にするが、それは当時の都の税収が良いから作る事ができたものである。その後、それを習うように、田中角栄政権が同様の障碍者施設を作り、やがて、高齢者施設も作られた。その他、今は障碍・高齢の基礎年金の他、訪問介護や通所施設にも大量の予算が投入されている。高齢化に伴い、予算は増える一方である。ところが、人口が頭打ちになって久しいため、「税収を増やして福祉に充てる」というシステムはもうムリだろう。でも、その福祉システムで、ケア受けてきた障碍者や高齢者たちはお世辞にも幸福だったとは言えないだろう。多摩更生園よりも開かれた施設だった島田療育園でさえ、身障園生たちは「幸福ではない」と言い、寂しさを訴えていたわけだから。園生たちは当時の健全者たちのマイ・ホーム生活を夢見ていた。でも、実際は、そのようなマイ・ホーム生活も地獄だったわけである。1960年代、会社員の悲哀を歌った植木等の「スーダラ節」が物語っている。会社組織の奴隷みたいになった人達の哀歌である。「スーダラ」はヒンズー語。「奴隷」の意味である。又、主婦たちも一人で育児。夫婦共に孤立感を深め、これも「寂しい」。それが当時の現実であった。


  さかのぼり、明治以降。資本主義が発達し、それを国家が育成。資本主義と軍事も結びつき、軍需産業に予算を大量に投入。一方では、国単位の恥意識も強まり、「汚いハンセン氏病患者が各地に多いのは日本の恥」とか言って、感染性を誇張して伝え、療養所に強制隔離して、わずかな食べ物と医療しか与えられず、事実上、患者たちを殺した歴史もあった。生き残った元患者たちの中には、「何故、ハンセン氏病の人たちだけが不幸を押し付けられたのか」と激怒する例もかなりいたという。でも、考えてみれば、戦前の健康な人たちも、男は大体軍隊に取られたし、企業に搾取され、けっかくになるまで働かされた人たちも多い。女性たちも、女工になり、倒れていった例も多いし、見合い結婚させられ、子供を多く産むように圧力を掛けられた例もかなりあった。何もハンセン氏病患者だけが「不幸」だったわけでもないのである。戦争だが、何も第一次世界大戦だけでもない。日清・日露と、日本、清帝国、ロシアと敵味方の別なく、大量の戦死者を出したし、当然、従軍慰安婦もいたわけである。男だけの問題でもないと。資本主義と国家が結びつくとこうなるわけである。

  その資本主義は人口増加の時に起きる経済・社会現象である。経済成長を社会目的としたもの。中国古典にあるような「足るを知る」とは正反対の思想である。欲望こそが善という。仏典や聖書、コーランにも明らかに反している。そのような価値観の中にいると、例えば、食欲が強い人はいくらでも食べるようになるし、性欲が強い男はレイプ犯にもなるわけである。犯罪助長にもなりかねない価値観である。...。

  僕は何年も前から日本の資本主義はすでに終わった気がしたが、今の不景気でその想いは確定的になった。それゆえ、以上を書き、日本に限っても、資本主義は人々を不幸にした事を書き、さらには、新時代の「連帯愛と利他」の価値観を呼びかけるわけである。そのような価値観ならば、皆で分かち合うという意識も出るから、自然と「足るを知る」になり、欲望も自然に抑えられると見ているが。とにかく、コロナが消えても、社会は資本主義追及には戻らないわけである。歴史はすでに変わっている。


民放TVが倒産と失業を伝えない理由

2020-09-14 10:26:40 | 日記
僕なりに考えた結果を述べよう。実に、単純である。


  「民放TVの資金源の大企業に気を使って」だと思われる。民放TVは大企業のコマーシャル収入で成り立っている企業組織。その大企業には頭が上がらないし、もし、倒産とか失業の事を伝えると、国民の間に不景気ムードが出て、生活必需品しか誰も買わなくなり、本当の大不況や恐慌になりかねないからである。その場合、大企業も儲からなくなり、民放TVへのコマーシャルも減り、民放各局も困るわけだから。

  他にもいろいろな原因の見方があるらしい。「改憲を進めるために、政府が影で圧力をかけているから」という事も聞こえてきた。論評抜きで、伝えておく。

  去年の今ごろの民放TVのニュース番組は、オリンピック・パラリンピックが多かったのではないか。それ以前も何かのオリンピックやパラリンピックの報道が多かった。そのような中、日本経済新聞の経済欄には、「〇○会社倒産」とか、失業問題、施設倒産の記事が多く出ていたが、何分、経済面の片隅に小さく出ていたから、日本経済新聞を読んでいる人たちでも、どれだけ読んだだろうか。僕みたいなもの好きくらいしか気が付かないだろう。それでも「書いてあった」からマシだと思う。新聞にも広告の金は流れているが、100%広告収入ではないので、民放TVよりは自由に事実を伝えられるのかもしれない。

  もし、経済の事実を民放TVも伝えていたら、経済成長・資本主義は日本では終わりである事にも多くの人たちが気が付き、その上で労働や福祉のあり方の国民的議論も自然に起き、国会議論も変わり、安倍政権スタッフの考え方も変わったかもしれない。変わらなければ、早くに退陣もあり得たと。「経済の実態からの国民議論」こそ、今までに一番必要なものだったのに。

  今年になり、コロナが。オリンピックに代わり、経済実態から目を背けさせる格好の材料でもあった。武漢市流行の時から連日伝えた。対策も「外出や3密を避けましょう」。その果て、本当の大不況になりつつある。ITと宅配関係以外、大赤字である。インターネットでも簡単に大赤字が検索できる。やがては、民放TVのコマーシャル収入も減るし、今も減っているかもしない。皮肉に思う。ただし、結果が同じになるのならば、何年も前から経済実態を伝え、社会の大変化を軟着陸させることをすべきだったと思うが。「硬着陸」は犠牲者が多く出るわけだから。