ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔14 七五の読後〕 【福島 原発と人びと】 広河 隆一 岩波新書

2014年02月09日 | 【2014 暮らし雑感】
【福島 原発と人びと】広河 隆一 岩波新書

フォトジャーナリストが福島原発事故の現場を踏んで迫真ルポとなっている。
世界各地の原発事故を20年以上取材している裏づけが重い。
福島のこども36万人に甲状腺検査を継続してと提言。
原子力産業に操られる一部のメディア、政治家、医学者を告発している。



● 東京の帰宅難民9万人
「帰宅難民」9万4000人という数字であの日3月11日午後2時46分に起こった巨大地震と福島原発事故の体感を思い出す。
勤めを持った子らから、大変な思いで深夜に帰宅した話を聞いた。


● 中越や長野北にも震度6
翌日。3月12日。
払暁、飛び起きる。大きな揺れ。テレビを見る。
「12日午前3時59分頃、信越地方を震源とする地震があり、長野県北部で震度6強、新潟県中越地方で震度6弱を観測した」との報道。
大きな余震が続く中、東北の大震災が各地に飛火しているような感じを受け不気味。

この日、1号機で水素爆発。
第一原発から20キロ圏内に避難指示。2市5町2村で17万人超に及ぶ。
1-3号機で冷却機能の停止の報道。

著者は、持参した線量計を双葉町役場前で測定したところ針が振り切れたという。
著者は1989年からチェルノブイリを取材。その時でも、針が振り切れたことは一度もなかったと言う。

3月13日3号機の冷却機能が停止しベントが放出された。


● イラ菅が東電乗り込み怒鳴った日
3月15日。原発事故5日目。
南40キロのいわき市で23.7マイクロシーベルト計測。基準の470倍。
80キロの北茨城では毎時5・5マイクロシーベルト計測と、この本にあった。
福島から関東全圏への広域で放射能の本格漏洩が始まっていたと思われる。

● 避難民4000人が郡山
富岡町からの避難民が郡山などに向かった。

16日、福島富岡町と私の住む杉戸町は古くから町民交流を持っていた町同士。
杉戸町は大型バス4台を調達し、同日午後、職員4人を同行させ富岡町民が避難している川内村に向けて出発。その後、希望する町民を迎え入れた。

● 免震棟 情報ないから安全と
すし詰めの免震棟。ごった返している様子が連日テレビに連日映った。
吉田所長が事故指揮を執っていた。
現地と東電の情報連絡が悪い。
「ここには情報が入ってこないから、ここが一番怖くない場所」との逆説の冗談が交わされていたことを著者は聞いている。

● 炭鉱の街と重なる誘致の暗い念

ハアー朝も早よからョ カンテラ下げてナイ
坑内通いはヨーイドント主のためナイ

私も茨城育ちだったから三橋美智也が歌っていたこの民謡は知っている。
常磐炭鉱節は福島県浜通り南部から茨城県北部にかけて伝えられている民謡。
1950年頃から衰退しはじめ炭鉱次々閉山となった。
原発銀座と呼ばれる双葉、大熊、富岡、楢葉は炭鉱の町でもあった。
地元が原発を誘致したのが1960年。


● 加害者は市民の被害をすぐ覆う
著者の実感。
チェルノもそうであり戦争でも原発災害でも共に為政側は被害実態を隠すところに共通項があるという。
その場を切り抜けるだけの言い訳の知恵とも言っている。

「想定外、予見不可能の事態」
「原子炉は管理下にあります。従って放射性物質が大量に漏れ出すものではない。」
「ベントで出る放射性物質は微量、直ちに健康に影響が出るレベルではない」

「漏れた放射線は大したことはない」
「放射性物質で汚染された野菜や牛乳も健康に影響がない」
「原発は沈静化に向かっている」

あの時、NHKは政府の言い分をそのまま垂れ流していた。
発表への検証作業もなかった。

あれから3年の歳月が流れている。

このたび生まれたNHK新会長も一部の経営委員も国民のためのNHKから政府のNHKとまでの報道感覚に成り下がっている点は今後、留意すべき点だと思う。



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