ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【忘却からの帰還】 【大本営参謀の情報戦記】 堀 栄三 文春文庫

2014年08月13日 | 〔忘却からの帰還〕
 【大本営参謀の情報戦記】 堀 栄三 文春文庫


情報を無視した戦略は多くの犠牲と失敗を招く。
この本はレイテからルソン島で対米戦略をたてた若き日本軍の情報参謀の記録。
米機や戦艦を「撃墜せり」という現地での幻の戦果が、大本営を通じてかくかくたる戦果として流される。

 米国の日系人囲い込みの新の狙いが日本への情報の遮蔽にあった。
太平洋を面でとらえ制空権の確保をめざした米国と25の諸島を点と点で結んだ日本との戦略の違いが浮き彫りにされる。
対米情報参謀として痛苦な体験を披瀝した力作。
以下、当時の採録してみた。数字はたぶん本の所在頁を記したと思う。

     8月は6日 9日 15日 ということばがある。

猛暑続きの8月に当時の読後メモ、抜書きを残したい。
 





31上海事変
昭和7年の第一次上海事変は1日の前進距離が1500メートルだったが、第二次事変は1日せいぜい25メートル。
苦戦に苦戦を重ね、旅順の203高地の攻撃と比せられるような損害を出した。


41椅子の権力
「陸大を人生の最終目標にして権力の座について、椅子の権力を自分の能力だと思い違いをしている人間ほど危険なものはない」

58東京裁判
東京裁判でソ連の検事が、「日本の参謀本部が、平時から対ソ作戦準備をしていたのはけしからん!」。これに対する板垣の答弁。
「相手との戦争を考慮して平時から準備するのが参謀本部で、それをしない参謀本部がどこにあるだろう」

71 400キロ
第一線と司令部とが海を距てて400キロ。
「飛行場の確保、飛行場の確保」と口すっぱく命令しているものの、制空権は完全に奪われている。
見事に裏切られたように米軍に占領されて、利用されてしまう。
友軍機がこの飛行場に進出してきて役に立った例は皆無であったという。

79 クラウゼヴィッツ戦争論
戦争は昔から高いところの取り合いであった。
高所から見下ろす優越感と安全感、低地にいて見下ろされる者の無力感と不安感、飛行機もないあの時代にクラウゼヴィッツはそう書いた。
その時代の高所は山であった。

80 寺本中将
日本に対して米国の考える戦場は、当然太平洋だ。
ここでの勝ちは、制空権以外にない。
彼らは日本の南洋委任統治領を研究していた。
小さな島の群島を結ぶ連絡は、船以外にない。
船を制するのも航空だ。
制空権を持続させるには、後方の国力その体力がものを言う。


83 防空弾幕
米の護衛船の発射する防空弾幕。
空が真っ黒になる面の幕だ。
1機といえどもこの幕の中へ突入することはできない。
しかもレーダで見ているらしく、こちらが接近すると1機、1機なんか目標にしないで、その前に弾の幕を立てる。

83 第一線と中央 寺本の日記 必勝6法
中央から送ってくるもは、激励と訓示と勅諭。
第一線の欲しいものは、弾丸だ、飛行機だ、操縦手だ、燃料だ、食糧だ。

必勝6法
制空の絶対 技術で作る制高 線と点 戦場の選定 面の防空 (軍中枢への批判)
寺本は昭和20年、玉音放送を聞き終わってから割腹自殺。

94 強制収容
第二次大戦で日本が開戦するや否や、米国がいの一番にやったことは、日系人の強制収容だ。
あれで日本武官が営々として作り上げてきた米国内のスパイ網を破壊するための防諜対策だったと、どうして考えないのであろうか。
米国人は、國を隔てて何百年の間、権謀術数に明け暮れた欧州人の子孫である。日本人のように鎖国300年の夢を貪ってきた民族とは、情報の収集や防諜に関しては全然血統が違うと筆者。

97 穴のあいた情報網
戦争中一番穴のあいた情報網は、他ならぬ米国本土であった。
日本の陸海軍武官が苦労して、爵禄百金を使って準備した日系人の一部によるスパイ網が戦争中も有効に作動していたなら、サンフランシスコの船の動きや、米国内の産業の動向、兵員の動員、飛行機生産の状況などがもっと克明にわかったはずだ。

日本はハワイの真珠湾を奇襲攻撃して、数隻の戦艦を撃沈する戦術的勝利をあげて狂気乱舞したが、それを口実に米国は日系人強制収容という真珠湾以上の大戦略的情報勝利を収めてしまった。
米本土に築いた情報網は瓦解した。戦艦(作戦)が大事だったか、情報(戦略)が大事だったか、盲目の太平洋戦争はここから始まった。寺本中将が開戦に不満を表した理由もここにあった。


109
「鉄量を打ち破るものは鉄量のみ」
すでに昭和12年の上海戦で、その翌々年のノモンハンの戦闘で試験済みのことである。
 日本軍中央部の精神第一主義は、大陸での二流、三流の軍隊には通用したものの、近代化された米軍には無惨な姿をさらけだしてしまった。

111
上級司令部や大本営が、敵の戦法に関する情報も知らず、密林の孤島に点化された認識もない。

113
太平洋地図

114
日米司令部
日本軍最高司令部は東京にある大本営、米軍最高司令部官はニューギニヤにポートモレスピーにあった。

115
日本軍が土地を占領しているあいだに、彼らは飛び石で空域を占領したのである。
日本軍守備隊の守っていた飛行場は航宇母艦代わりに爆撃機や雷撃機を進出させるための飛行場であって、米軍のように制空空域を占領するためのものではなかった。



117 太平洋諸島の戦略
日本が守備隊を配置したのが大小25島。
米軍が上陸して占領したのは8島。
米軍にとって不必要な島の日本の守備隊は、いずれも補給もない孤島で餓死するのだから、米軍としては知らん顔であった。

118
25島に配属された陸海軍部隊 27万6000人
八島で玉砕          11万6000人
孤島に取り残された人々    16万人
  生存者    12万人
        死者      4万人 栄養失調 餓死

121
飛び石作戦とは制空空域の推進であり、島が大切か、海域が大切か、それとも空域が大切なのかを、事前に研究できなかった日本軍は、土地と海域に執着して無血上陸をした。
 

125
 タラワ マキン島守備隊地獄絵図
米軍発表を傍受。45メートル四方に1トンの砲撃弾。日本軍の正面1メートルに3発、1発の有効破壊半径は100メートル

134 日米戦法比較
① 爆撃と艦砲射撃 膨大な鉄の量
② 日本軍が米軍の火力に対抗できる陣地を持っていなかった
      米軍の侵攻時期の判断ミス
③ ④ 大砲、自動小銃の量差

137 サイパン玉砕前日 井桁少将の電報
「将来の作戦に制空権なきところ勝利なし、航空機の増産活躍を望みて止まず」
その後自決
サイパン玉砕者 3万9000人

143
米軍の占領空域。サイパン島の2万6000倍。
大日本本営作戦は数字に立脚した米軍の科学的思想の前に闘う前から敗れていた。





146
着た切り雀の日本軍服。
弾薬、兵器、糧食、衛生用品を戦場近くに常に45日分をほじするのを最小限の基準としていた米軍。

163 幻の大戦果 大本営発表
誰が戦果を確認したか。誰がこれを検査したか。
ブーゲンビル航空戦では、後になってみると大本営の10分の1にも足りない戦果であった。

164 情報の勘
勘というのも重要な洞察であって、でたらめまかせではない。
研究に研究した基礎資料を積み重ねて、その中の要と不要とを分析して出てきた物が情報の勘である。
 積み上げた職人の知恵が、能力になった結果の判断。

189
米軍は常に戦果確認機を出して写真撮影するのが例になっているが、日本の陸海ともその方法はとられなかった。
目で見ることが、戦果確認の一番大事なことであった。

201 補充比較 スペア的発想
日本軍では第一線部隊の消耗した部分を送り込む。
米軍の補充とは戦場である期間戦闘した部隊を後方にしりぞけ、新しい部隊が第一線につくことを補充部隊とする。

231
米軍の弱点 山岳戦
劣勢な兵力を持って、優秀な米軍とたたかうには、山が一番良い。米軍は機械化に依存しており、元来米大陸や欧州大陸の人種で、もともと山が嫌いであった。ルソンは艦砲射撃が届かない内陸を持ち山岳地帯がある。




235
レイテ戦
レイテ決戦の大失敗は台湾航空戦の戦果を誤認、レイテ戦場の特性に無知、米軍戦力の無理解の上での作戦立案者の大過失。
 情報を無視した戦略はいかに大きな犠牲をともなうか、ということである。

272
比島作戦当時、マニラには陸軍中野学校(昭和13年創設)の教官が秘密機関を配置。
 ゲリラ、テロ、スパイの秘密戦を実施。
小野田少尉も昭和19年「防諜班」に配属、ルバング島で昭和49年3月まで頑張っていた。


                        (1998 02 20 読了)






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