ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔年歳 2007〕 4月26日~5月3日

2007年05月15日 | 2007 くらし雑感
4月26日
 無線LANで結ばれている1階のデスクトップ型パソコンが1週間ほど前にダウンした。
自動で受けているマイクロソフトの緊急セキュリティプログラム3種を手動でインストールしている最中にLANの送受信状態がよくなく途中でストップ、為にインストール中のものが不調となりダウン。
 セーフモードで回避しようとしてもフリーズしたまま。
 到底ジッタンのPC知識レベルでは対応できないため、PCドクターとなってくれている上尾のTさんに連絡。本日来てもらって終日修理の対応となった。
パソコンをばらし中のハードディスクのデータ類を吸い上げることから作業を開始。
 夜、この日はあーちゃんの誕生日でもあったので、中華飯店で二人だけの祝杯を挙げる。
心臓手術後の兄から電話あり、体調が戻ってきたと明るい声になっていたので一安心。

4月27日
 N君、来る。
 今日は囲碁3人会の日、碁敵のSさんが来るまで恒例の将棋対局。
穴熊に組んで受けつぶして勝つ。
いつもはこちらの攻め将棋だが、こういうのもたまにはあってよいのかも。
N君とは2子で教わり○●の結果。碁敵とは●。 夕刻小宴。
ホタテ稚貝のバター焼きや野菜炒めを作って肴とする。

 4月28日
 今日から世間はゴールデンウイーク。私たちはシルバーウイーク。
 この期間中、日光華厳の滝の水量を2倍にするというテレビニュースを見たが興ざめだ。
雨量で水量が決まるのではなく観光用に調整しているのはある種の”やらせ”と似ている。 自然のままにしてほしい。
 朝、娘の友達の農家から頼んであったトマト、キュウリ、ナス苗が届く。
やはりプロの作る苗は違う。がっしりとしていて見るからに丈夫そうな苗だ。
NPO須賀島農園の集団管理地180坪の畑を使って半分の土地にサトイモを植える。
もう一つの500メートル先の各自の圃場用地にある資材物置作りに2人がいき、小生たち4人はサトイモ班となった。
 石灰をまき、大型管理機で畝を作る。
2人交代で運転、ジッタンも担当したが、この管理機は家にあるミニ耕運機とは違って図体がやたら大きい。
 畝の端での回転するときなどハンドルをとられ、悪戦苦闘したが後半は慣れた。
 管理機で作った畝に60センチ間隔でサトイモを植え、その間に配合肥料と化成肥料を混合したのを施肥してゆく。  
Sさんはこのところ「40肩」になって運転は無理、辛そう。
梨園に援農作業に行って空を向く作業が負担となっていたことが要因になっているらしい。 還暦すぎての40肩とはおかしいじゃない、などと周りから冷やかされていた。
サトイモ作業も物置班の仕事も目鼻がついたところで空が真っ暗になってきた。
雨だ。
 農機具を置いてある大きな屋根の下に全員が待避。
 まもなく大粒の雨と強い風がやってきて雷鳴もとどろく。
今年初めての夕立だ。  
夜、1年前に町民会議で一緒だったメンバー有志の飲み会に出席。 今回の町長選のあれこれが肴になった。
連休初日とあって大きな居酒屋の各部屋はいづれも満席だった。

4月29日
 快晴。
すこし二日酔い気味。
 我が家の菜園作業。
お向こうの農家から分けてもらった葱を植える。 レタスとカブに化成を施肥。カブとミニ人参は間引きする。
 野菜くずなどで作ったEMぼかしを埋め込む。
 サヤインゲンを初収穫。同列畝にあったソラマメにはアブラムシがびっしりとついてしまった。
これでは、まるでアブラムシを飼っているためのソラマメになったようで、聞いてはいたけどこの栽培は難しい。
 東武動物公園に娘と息子の一家が集まって終日を過ごす。
 この公園ができたころは、まだ植えた樹木も少なく強い砂嵐だったことを思い出すが、いまはあちこちに大きな緑陰ができ、家族連れにはもってこいの動物公園になっている。
 一同で遊び、夕刻は我が家に戻って宴。

4月30日
 孫のケンだけが泊まる。
 ポケモンカードというのをせがまれ、自転車であちこちのセブンイレブンへ行くが売れ筋商品らしくなかなか手に入らない。
泣く子と地頭には勝てないという言葉を思い出したが、我慢していいなりとなる。
運動になるから「まあいいか」とあきらめかけていたら、やっと手に入った。
 午後、午睡。
 元の職場で先輩でいまは不動産社社長のHさんが自生のタケノコを届けてくれる。
入れ違いに獣医のAさんがぶらりと立ち寄り盤を囲む。先日の囲碁大会ではBクラスに出場、二勝三敗の成績だったとのこと。
二子で教えてもらい● ○となった。
夜、入水後に稲が植えられた田んぼから蛙の大合唱が聞こえてきた。

5月1日
雨のち曇り。
 朝の散歩で用水通路で食用蛙を見かけたが水面から顔をだし、目があうとボッシャと音を立て潜ってしまう。
そうしたしぐさの3匹をみかけた。食用蛙、健在でよかった。
 今日はメーデー。
今、メーデーはメイではない。 連休の都合で4月にやってしまうのが多いそうだ。
 労働者の祭典、団結こそ力などと歌いあげた晴れた5月1日が個々の連休優先になって定着したら「団結」が弱まり格差社会も広まった。 今の労働組合の組織率などは一段と低下、労働運動は目を覆うばかりに衰退している。
 メーデーに参加、新橋土橋あたりでデモが散会して、それからビヤガーデンで仲間とのどを鳴らして生ビールをぐいっとやった青春の日々を思い出した。
 「孤高の人」瀬戸内寂聴を読む。
ロシア文学一筋の湯浅芳子が宮本百合子と同棲していた時期があって、顕冶との関係がどうなっていたのかに少し興味があって図書館にリクエストした本。

5月2日
 慣れれば慣れると思う。毎朝やってくるスズメのことだ。
 古米を庭の芝にパラパラまいているが、スズメがやってきて啄ばむようになってきて久しい。
このチュンコウのさえずりを口真似しながら古米を撒いていたら、最近では雨戸を開けると同時にすぐ何匹かが木々の間を飛び回るようになった。
積極分子は目の前のウッドデッキにもやってくる。
足元の雨戸の端までくるヤツもいる。
目と鼻の先までやってきてせがまれると、こちらも「それ食え、それ食べろ」と大盤振る舞いとなる。
 チュンコウたちは、だいたい10粒程度を啄ばむとどこかへ行ってしまうが、こちらもそれ以上は干渉しない。
不即不離のつきあい、これが一番。

5月3日
 晴れ。
 農園飲み会四天王で以前から関宿へ行ってみようと計画していた日がついにやって来た。
残念ながら同士Sさんは還暦過ぎて「四十肩」で欠席、3人ででかけることとなった。
杉戸町の郵便局前で待ち合わせをして先ずは関宿まで普段着の自転車でサイクリング。 ほぼ10キロの行程。
 まず終戦内閣として有名な鈴木貫太郎資料館を訪問、関宿城跡をみて城の博物館を見学。
この関宿藩はわが曾祖父が登城していた藩であり、一度訪ねてみたいと思っていた。 (貫太郎さんと関宿藩については別に書いてみたい)
 昼は関宿でウイスキーとサンドイッチで済ませ栗橋までを利根川沿いの土手を走る。
まさにここは関東平野と声をかけたくなるほど広々とした土手沿いの風景だ。
「潮来の伊太郎」の歌、「ここぁあ~ 関宿おう 大利根川の~」が自然に口に浮かぶ。
 途中、河川敷でモトクロスを楽しんでいる若者やエンジン模型飛行機を飛ばしていたりする人を見物しながら栗橋へ向かう。
栗橋から古河、幸手と戻り近隣公園で本日の打ち上げとなる。
Sさんを呼び出し四天王(ヨッテンノウ という飲み会メンバー)が勢ぞろいして若葉を愛でながら小宴。
Sさんの奥さんも手作りの肴を持って来訪。

写真は サイクリングで寄った関宿城 博物館

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