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ルノワール展 ~国立新美術館~ (4)  

2016-07-26 21:24:15 | 美術展・書道展めぐり
ルノワール展を見てからはや10日以上経ちましたが、注文していた
『日経おとなのOFF 2016年 絶対に見逃せない美術展』がやっと届きました。
(※2016年1月号なので、古本のみの販売でした。)
ルノワール展関連のページが6ページあるということで、
ひょっとして知らないことが載っているかな?という淡い期待で購入してみました。

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はい、買って正解でした
そうなんだ~と知らないことばかり
ということで、ここで皆さんにもお伝え出来たらと思います。

まずは、ルノワールの4500点を超える作品の中でも最高傑作と賞される
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』



パリ郊外のモンマルトルの丘で週末ごとに開かれていた屋外の舞踏会を描いた絵ですが、
人々の表情や当時の風俗が、生き生きと描かれています。

オーケストラの演奏をバックに、
ダンスやおしゃべりに講じている華やかなブルジョア階級の人々を描いたものかと思いきや、
実は彼らの多くは、付近に暮らす労働者階級の人達なんだそうです。

普段は働きづめの貧しい庶民の息抜きの場、楽しみの場だったのが、このダンスパーティー
当時まだ新しかったガス灯が設置されていたので、夜中までダンスが楽しめたようです。

・・・絵の上部のまっ白いガス灯、
華やかさを演出するために描かれたものかな?と思っていたんですが、実際にあったんですね。
それにしても、この白がこの絵の中でまぶしく輝いて綺麗です。

当時パリにはこういうダンスホールがいくつもありましたが、
パリを一望できる丘の上のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、友人やカップルで楽しめる
複合レジャー施設として注目を集め、子連れで来るファミリーもいたようです。
・・・絵の左下に男の子と女の子の姿がありますね。
小麦粉と牛乳で作る焼き菓子(ギャレット)を食べたんでしょうかね~

絵の右下のテーブルのグラスに入っているのはザクロのシロップ。
ワインより安上がりだったそうです。

手前の中央の黒い服の女性は、ルノワールの『ぶらんこ』のモデルでもあり、
その左後ろで踊っているのは『読書する少女』のモデルも務めた
ルノワールお気に入りのモデルさんだそうです。

絵の右下のテーブルのカンカン帽の彼は、美術評論家。
当時酷評された印象派の画家たちを擁護・応援していた人で、
同じテーブルにいるのは、みんな画家仲間だそうです。
シルクハットは紳士の必需品、麦わらのカンカン帽はカジュアルなおしゃれアイテムだったそうで、
女の子も帽子はモードの必須アイテム。
でも庶民には高嶺の花で、「帽子を買ってあげる」がモデルになってもらう口説き文句だったとか。

その頃、庶民が持っていたのは仕事着と外出着の2着くらいで、
男性はツケで買えましたが、女性の服はたいてい古着か手作り。
庶民にパーティドレスを買う余裕はないはず・・・
でも手前二人の服は当時の最先端ファッションです

恐らく、モデルの女性たちの手作りじゃないか と本には書かれていました。
実際、黒い服のジャンヌはお針子、その前の妹も仕立て屋で働いていたそうで、
モード誌を彩った図版を参考に自分で縫ったのではないかということです。

ルノワール自身ファッションに関心が高く、当時のモードがかなり忠実に描かれているということで、
この絵はただ美しいだけでなく、パリっ子の生活の貴重な、きわめて正確な記録なのだそうです。

舞踏会というと、カラフルなドレスに身を包んだ女性達が
その美を競うイメージだったんですが、
この絵の全体的な色のトーンが落ち着いている理由がやっと分かった気がします。
おしゃれはしているけれど、実は庶民の精一杯のおしゃれだったんですね。
でも、お金持ちの舞踏会にはない、幸せな空気に満ちあふれています

明るい色彩の絵じゃないのに明るい絵
その謎も解けた気がします。

彼らは、仕事に追われる日常の中のひと時の幸せだから、余計幸せに感じているんでしょうね
絵の人物たちが、ダンスやおしゃべりを、この幸せな瞬間を楽しんでいる心情がすごく伝わってくるんです。

幸せな絵と言われる訳が、この本を読んでより分かった気がしました。

美術館で買った『ルノワールへの招待』という本でも、
王侯貴族たちの特権だった余暇を楽しむ習慣が、19世紀の社会変革によって市民にも生まれた。
ダンスホールはそうした「自分たちが生きる新しい時代」の象徴だったと書かれていました。


これからルノワール展に行かれる方、
もう一度行かれる方のもし参考になれば、嬉しく思います。