ごろごろで 楽しく記憶☆ ~勉強は楽しまなくっちゃ♪~

語呂合わせで楽しく記憶して、勉強に役立てて欲しいな♡
ちょっとした日常のハッピーネタも書いちゃうかも。

持統天皇♡

2013-06-30 18:59:25 | 飛鳥時代
さあ、また続き、行きたいと思います♪

「天上の虹」の主人公、持統天皇がいよいよ誕生です。(*^.^*)

愛する夫・天武天皇の死後、
最愛の息子・草壁皇子も亡くなり、悲しさを忘れるため、皇后は仕事に打ち込みます。
政府内の動揺を抑え、天武天皇の遺志の継承を明示するため、
亡くなったその年(689年)、予定を前倒しして飛鳥浄御原令を発布したって言われています。

そして、翌年

690年 持統天皇 として即位します。

持統天皇は、中大兄皇子(天智天皇)の娘で、大海人皇子(天武天皇)に嫁ぎ、皇后となり、片腕として頼りにされましたが、天皇になっても、もちろん!
お飾りの天皇じゃなく、実際に治世を遂行した女帝です。(*^^)v
(あの天智天皇のお母さん、斉明天皇は、お飾りでしたよね。実際は中大兄皇子が実権を握ってました。)

持統天皇の治世は、天武天皇の政策を引き継ぎ、完成させるもので、飛鳥浄御原令の制定と藤原京の造営が大きな二本柱です。歴史書編纂(へんさん)は、10年計画だったので(実際はもっとかかりましたが)、持統天皇の世では実現しないんですよね~。

そして、念願の・・・

694年 持統天皇 藤原京へ 遷都せんと)します。

ムク
(69)ドリ(4) じーーっと してて の花

おほほ藤原京のイメージで、ちょっと綺麗な感じで作ってみました。(*^.^*)
藤の花にムクドリがとまっているのを見つけ、「じーーっとしてて、しばらく眺めていたいから。」って声をかけます。
じーーっとが、持統天皇なの、わかりました?

藤原京(奈良県)は、唐の都・長安をまねてつくった大規模な都で、
新しい中央集権国家を象徴する都となりました。ヾ(´▽`)ノ すっごーーい♪


その後、
697年、わずか7年で 皇位を孫の文武(もんむ)天皇に譲ります。(◎-◎;)!!

でも、まだまだ現役☆(*^^)v 太上(だいじょう)天皇として、15歳の文武天皇の政治を助け、

701年 大宝律令 を制定します。

(7)色(しょく)の(0)冠 ひとつ(1) 大きな宝

これで、律令制度による政治のしくみがほぼ整ったのね。おめでとう♡♥♡

七色の王冠という大きな宝、いえ、大宝律令という宝を残して、
翌年、持統天皇はこの世を去ります。

大宝2年(702年)の12月13日に病を発し、22日に崩御しましたが、1年間のもがりの後、火葬されて天武天皇の墓に合葬されました。天皇の火葬はこれが初の例だったそうです。(ウィキペディアより)

さて、天智天皇~持統天皇の時代
万葉集で有名な歌人がたくさんのすばらしい歌を詠んでいます。

額田王ぬかたのおおきみ)は、大海人皇子の最愛の奥さんでしたが、
中大兄皇子に妻にしたいと求められ、夫の立場を思い、中大兄皇子に嫁ぎます。
(中大兄皇子は替わりに娘二人を嫁がせます。姉が若くしてなくなったため、妹が正妻となり、後に持統天皇になります。)
額田王は、とても知性と教養あふれる魅力的な人だったようで、持統天皇の子どもの頃からのあこがれの人だったようです。

また、柿本人麻呂も、持統天皇に若い頃からその才能を見出され、
宮廷づきの歌人となったようです。


この時代の文化は白鳳はくほう文化と言われますが

薬師寺の聖観音像や薬師三尊像興福寺仏頭
また法隆寺金堂壁画高松塚古墳壁画
などが有名です。

まとめていってみましょう。

薬師寺で、回お参り幸福願って仏頭(ほとけあたま)、ほー、今度の  興奮したよ 白い鳳おおとり

薬師寺に3回お参りして、幸福を願って頭を丸めた。ほーーっとして今度は壁を見たら、高い松に白い鳳がいて興奮したという、なんともむりくりなお話。
全部入れようと頑張ってみました。(笑)
”ほとけあたま”なんて言葉はないんですが、語呂がいいのとイメージしやすいので。
ほーーは法隆寺、今度は金堂です。興奮と古墳をかけてみました。
イメージとして、場面を頭に描いてもらうと、出て来やすいかな?

ちょっと欲張りすぎたでしょうか?(^^ゞ
高校の日本史レベルかもしれないので、必要ない方は、読み飛ばして下さいね。


薬師寺は、天武天皇が、皇后の病気快癒を祈願して造り始めたお寺なんですが、
皇后(後の持統天皇)はとっても喜んで、元気になったみたいですよ。
もしお参りする機会があったら、飛鳥時代の悲喜こもごもに思いをはせながらお参りしてみるのもいいかもしれませんね。
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飛鳥時代

2013-06-28 10:58:27 | 飛鳥時代
”ごろごろ記憶”また昨日の続きをいってみましょう。

天智天皇の死後、天智天皇の弟・大海人皇子と息子の大友皇子がたたかって、弟・大海人皇子が勝ちます。
この戦い、あの有名な

672年 壬申の乱  です。

※ちょっと変えました

(6)理かな (7)かよし ふた(2)りの跡継ぎ 弟勝っても じーんしんみり

戦はしない方がいいんですけど、壬申の乱は仕方なかったんですかね~。
自分の後を息子に継がせたかった天智天皇、邪魔になった弟・大海人皇子を亡き者にしたかった。
大海人皇子は出家して身を守り、天智天皇の死後、時を待って大友皇子を討つために出陣します。
戦いを好まなかった文化人の大友皇子。できれば話し合いでなんとかしたかったみたいですけどね。
最後は、近江に残っていた大海人方の女子供等をみんな解放し、自害して果てました。
じーーとしんみりです。

天皇の器としては、やっぱり大海人皇子でしょう。
天智天皇が、天皇の座を大海人皇子に譲っていたら、悲しい戦をしないですんだのでしょうか?


国家統一のためになら犠牲もいとわない、強く厳しい人だった天智天皇、それを鎌足とともに影でずっと支えてきた大海人皇子。優しく温かく多くの人に愛される人だったようです。

そんな大海人皇子の時代になります。

翌年、大海人皇子は、即位して天武天皇となり、

 飛鳥浄御原令あすかきよみはらりょう)と 八色の姓やくさのかばね) という身分制度をつくります。

大海で泳いだ天皇 敵 あすから 八色の着物

大海で泳いだ天武天皇、カッコよさでは天下無敵、明日から 綺麗な身に、とっておきの八色の着物を着よう♪
海で泳いでさっぱりする・・・かどうかは、突っ込まないでね。

天下無敵の天と無で天武天皇です。


天武天皇は、一人の大臣も置かず、政治・軍事のすべてを一手に収め、完全な専制政治をしき、
唯一無二の権力者として君臨したはじめての天皇でした。

完全な律令制の発布、歴史書編纂(へんさん)、近代的新都建設の国家事業の途中で

686年 天武天皇 亡くなります
 

後継者として、気の弱い皇太子・草壁皇子(くさかべのみこ)と、跡継ぎにふさわしい器の大津皇子(おおつのみこ)がいましたが、謀反の疑いで大津皇子は死罪になり、草壁皇子も気を病み亡くなります。

そして、天武天皇と共同統治者だった皇后が、天武天皇の遺志を継ぎ

689年 飛鳥浄御原令 を施行します。

(6)天皇の (8)(9)そく守って 明日から 施行

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大好きな時代

2013-06-27 08:27:43 | 飛鳥時代
昨日に続き、≪飛鳥時代≫いってみましょう。

だんだん天皇が力を持って、政治の中心で活躍します。
有名な天智天皇と天武天皇(兄弟)、そして持統天皇(娘)の時代。

この時代大好きなんですよね~。
なんでかと言うと・・・
里中満智子さんの『天上の虹』という漫画を読んだから。(o^∇^o)ノ
この時代、魅力あふれる人物がたくさん。
政略結婚に泣き、力を持ちそうなために身内でも謀反の疑いをかけられ・・・
壮絶なドラマが繰り広げられます。


では、まず、中大兄皇子(のちの天智天皇)の台頭から・・・

645年 大化の改新! 中大兄皇子

無視(64)じゃ(5)ヤ した改新 お兄ちゃん

                          
当時20歳のお兄ちゃん皇子、些細なことって無視せずに、大した改革だ!って言ってもらい、歴史にちゃんと残して欲しかったみたいです。かわいい♡♥♡

中大兄皇子が、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らと蘇我入鹿を討ち、聖徳太子亡きあと力を持ちすぎた蘇我氏を滅ぼすんですよね。
そして、翌年、大化の改新の詔みことのり)が出されます。
土地や人民は国のものとし、田畑を人民に分け与え、人民に祖・庸・調の税を納めさせることにし、中央集権国家をめざします。

中大兄皇子はすぐに天皇の座にはつかずに、皇太子のまま新しい政策を始めます。


班田収授法戸籍(のちに全国的な庚午年籍こうごねんじゃく)),初めての法典近江令おうみりょう

まとめて行ってみましょう!

半天着ても、小咳がとまらぬ 天智天皇 交互ねんね おう

わかりますか?
半天・・・班田収授法  小咳・・・戸籍  交互・・・庚午  ねんね・・・年籍  おう み・・近江令
です。

天智天皇、風邪ひいちゃったんですね。半天を着たけど小さい咳が止まらない。
そういや、ねんね(赤ちゃん)、ずっとおんぶしてるね。奥さんと交互におんぶしたらいいんじゃない?
という、ほほえましい子育て話にしてみました。(*^.^*)

こーーんなことは、あの厳しい天智天皇がしたわけないんですけど、
想像すると、なんか可愛くて思えてきませんか?


でも、白村江(はくすきのえ)の戦いでは、日本軍は唐の水軍に敗れます。

663年 白村江の戦い


(む)理して (6)かって(3)たけれど 白村江で 水軍やぶれる

日本は朝鮮の百済を救うため、3万2000の兵を送って唐・新羅の連合軍と戦ったんですが、全滅し、百済も滅びちゃったんですよね。(ノ_・。)

中大兄皇子は、唐の侵攻に備え防備を固め、都を飛鳥から近江(滋賀県)に移しました。

そして、
668年 即位して 天智天皇になります。

むむ(66)、ぼく(8)っぱり天皇になる

と覚えてね。(^_-)-☆
庚午年籍が、2年後の、670年。
近江令が、その翌年、671年。
・・・この年、たった即位3年で、天智天皇亡くなっちゃうんですけどね。(ノ_・。)


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聖徳太子

2013-06-26 09:03:30 | 飛鳥時代
では、今日のごろごろ記憶・・・

特にその日にまつわるお題がないときは、歴史の順番でいってみますね。
今日は飛鳥時代のヒーロー・みんな大好き ☆聖徳太子☆

593年 推古天皇の摂政となります。
いくさ で 殺生(せっしょう) しないでね

聖徳太子は戦を好まなかったかどうかは分かりませんが、そんなイメージないですか?

603年 冠位十二階 制定
無(6)理いう お(0)さん(3) 冠位欲しいと12回

親戚のおじさんが、12回も頼みに来ても、冠位はあげなかったんじゃないかな?
才能のある人にあげたかったんですよね。

604年 憲法十七条 制定
無(6)茶は お(0) よ(4)し けんぼう 君まだ 17

そして、若すぎる甥っ子のけんぼうにも、”まだ早いよ、無茶はおよし”って諭したんじゃないかな?
何歳からOKだったかは分かりませんがね~。(笑)


ついでに、

607年 小野妹子、遣隋使
  と
     同年 法隆寺 つくられる  も いってみましょうか?

ム(6)ードは(0)な(7)し と けんけん ずいっころばし 法隆寺

聖徳太子は法隆寺を建てたんですが、そこでムードに浸ることなく、妹とけんけんや ずいずいずっころばしして遊んだ。・・・という楽しい想像です。
童心に返った聖徳太子、ひと時、楽し時間をすごせたんでしょうかね?

聖徳太子に妹がいたかどうかは知りませんが、あしからずです。(*^▽^*)ゞ


お気づきかと思いますが、思いつくと、”ごろごろ記憶”増えていきます。
夜もう一度見ると、あれ?増えてる!ってことがあるかと。(笑)
でも、今日はもうおしまい・・・かな?たくさん作ったから。たぶん。(*^.^*)

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