ごろごろで 楽しく記憶☆ ~勉強は楽しまなくっちゃ♪~

語呂合わせで楽しく記憶して、勉強に役立てて欲しいな♡
ちょっとした日常のハッピーネタも書いちゃうかも。

冷戦の終結 ①

2015-08-03 13:31:19 | 昭和時代
今日は、日本の歴史のごろごろ記憶です。
日本は第一次石油危機以降の世界経済が停滞する中、いち早く不況から脱却し、経済大国に成長しました。
この頃、世界はどうなっていたんでしょう?


1970年代半ばには、米ソ関係は緊張緩和へと向かっていましたが、
1979年のソ連のアフガニスタン侵攻が転機となり、1980年代は「新冷戦」の時代となりました。

新冷戦で

   アメリカ・・・国内産業の空洞化,国家財政・国際収支の「双子の赤字」
                  ←世界最大の債務国へ

   ソ連・・・深刻な経済危機
 
1985年 ゴルバチョフ政権・・・ペレストロイカ・・・国内体制の立て直し

 ゴルフ は 自由が (8)っぱりい~(5) ペレー帽着て ストローク(ショットの数)少しで イカシテル
     ※ゴルフとゴルバチョフをかけています。
  
       機能不全の計画経済市場原理の導入
             情報公開・・・政治・社会の自由化
       対米関係の改善
    1987年・・・ 中距離核戦力全廃条約を締結
    翌年・・・ アフガニスタンから撤退

       東欧諸国への干渉をやめる

 
1989年 冷戦の終結  ・・・マルタ島での両国首脳会談で宣言
                                (米:ブッシュ大統領,露:ゴルバチョフ書記長)

 冷戦は いく(19)らしても(89)に立たない 終結

or

 冷戦は終わりにしよう (89)束ね



1991年 バルト3国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の独立

      ロシアなど11の共和国が独立国家共同体(CIS)を結成

             ソ連解体

 独立していく(19)のね くい(91)なく バルトさん(バルト3国) CIS結成で ソ連解体



<東欧革命>


ソ連の自由化→東欧諸国の民衆を刺激・・・東側陣営からの離脱





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

経済大国への道

2015-06-17 14:46:38 | 昭和時代
今日は日本の歴史、昭和時代、いってみましょう。
日本ではドルショックに石油危機が続き、戦後の高度経済成長が終わってしまいましたが、
その後どうなったんでしょう?


長かった佐藤栄作内閣のあとを受けて、1972年田中角栄内閣が成立

 1972年 日中共同声明  ・・・田中首相自ら訪中

        ~日中国交正常化~

 行く(19)ね 中国 (7)かよい国に (日中)共同声明発表だ

    戦争で中国に大きな損害を与えた事に深い反省を表明
    中華人民共和国を中国で唯一の合法政府と認めた→台湾の国民政府との外交関係断絶
                                 but貿易など民間レベルでの密接な関係継続 

 1972年 沖縄の日本復帰

 なに(72)はともあれ 沖縄復帰 万歳だ   

         アメリカ軍基地は残された 

         非核三原則(核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず)・・・国の方針


 日本列島改造政策

         ・・・太平洋ベルト地帯に集中した産業を全国の地方都市に分散
            それらを新幹線高速道路で結ぶ

     これに刺激されて生じた土地投機に、第1次石油ショック・・・狂乱物価
                →インフレが収束しないまま深刻な不況に

                ※1974年・・・戦後初のマイナス成長(高度経済成長終わる)

     田中首相金脈問題が明るみに→1974年総辞職 ・・・三木武夫内閣
                   1976年 ロッキード事件で田中首相逮捕!!




1978年 日中平和友好条約
  ・・・福田赳夫内閣

その後、大平正芳内閣・・・保革伯仲
             第2次石油危機に対処、財政再建
             選挙運動中に急死

     鈴木善幸内閣・・・自民党、安定多数を回復

     中曽根康弘内閣・・・行財政改革・・・老人医療や年金などの社会保障を後退
              電電公社(現NTT)専売公社(現JT)国鉄(現JR)の民営化

     竹下登内閣・・・消費税  ~1989年度から実施~


しかし、この間、日本は経済大国に成長します
第1次、第2次石油危機を乗り切って、安定成長の軌道に乗りました。

   企業・・・減量経営【省エネ・人員削減・パート労働への切り替え】
               【コンピュータや産業ロボットなどで工場・オフィスの自動化】
               【労使協調的な日本労働組合総連合会】

   産業部門・・・鉄鋼・石油化学・造船の停滞
          自動車・電気機械・半導体・IC・コンピュータなどハイテク分野の輸出拡大

              →日本の貿易黒字拡大,貿易摩擦
               為替相場の円高傾向定着

   世界のGNP総計における日本の比重拡大(1980年には10%までに)
       発展途上国に対する政府開発支援(ODA)の供与額も1980年代には世界最高に

   交通政策
          高速道路網の整備 
          山陽・東北・上越新幹線 
          青函トンネル・瀬戸大橋の開通・・・北海道・本州・九州・四国が陸路で結ばれる
          成田空港・関西空港の開港 


高度経済成長は終わっても、日本経済の頑張り、すごかった時代ですね。
田中角栄内閣は短命でしたが、角栄氏は豪快な感じの首相で記憶にしっかり残っています。
大平正芳首相は香川県出身で素晴らしい手腕の持ち主だったので、亡くなられてとっても残念でした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ドル=ショックと石油危機

2015-03-14 18:45:12 | 昭和時代
今日は日本の歴史、昭和時代
高度経済成長が続いていた日本ですが、その陰りが見え始めます。


~ドル危機~
アメリカはベトナム戦争などで軍事支出を膨張させ、西側諸国へ莫大な援助を続けた上に、
復興した先進国からの対米輸出が急増したので、国際収支の悪化と金準備の減少が深刻になりました。


~1971年 ドル=ショック~
      ニクソン米大統領・・・ドルを防衛し、国際収支の悪化を防ぎ、インフレを抑制するため

   金・ドル交換を停止
   西ドイツや日本などの国際収支黒字国に為替レートの引き揚げ要求

         ドルの基軸通貨としての地位が大きくゆらぐ

 1ドル360円→308円に切り上げ
 変動為替制に    ※1973年日本も

 (1)番(9)しい 大国アメリカお金ない(71) レート引き揚げで ドルショック




1973年 石油危機(オイルショック)<第一次>
  
      ・・・第4次中東戦争が勃発すると・・・

     OAPEC(アラブ石油輸出国機構)・・・ 欧米・日本に対する石油輸出制限
     OPEC(石油輸出国機構)・・・原油価格を4倍に引き上げ  

 
 いく(19)らでも安い石油なみ(73)なみと~ とはもういかないよ 石油ショックで狂乱物価に

   日本の消費は低迷大型公共事業が凍結・縮小
         (本州四国連絡橋3ルートの着工延期・・・「瀬戸大橋」のみ着工が決定)
   日本の消費者物価指数で1974年は23%上昇 「狂乱物価」

   トイレットペーパーや洗剤など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動


 IMF体制(固定為替相場制のもとで、基軸通貨ドルによって資本主義各国の経済が結び付いていた世界経済の枠組み)・・・変動為替制で崩れる。
 石油の低価格という経済の基本条件が失われる

       長く続いた西側先進諸国の繁栄に陰り
  
        ~資本主義世界は長期の不況の時代へ~

世界不況への対応を協議するため
  1975年 先進国首脳会議(サミット)を毎年開催 ・・・米・日・独・英・仏・伊
                              翌年からはカナダも

 先進国 (7)んで(5)こう 首脳会議



ドルショックに続くオイルショック、痛かったですね~。
安い石油に依存していた先進諸国の経済は混乱し、
特に日本経済は大きな衝撃を受け、戦後の高度経済成長がついに終っちゃったんですね~。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高度経済成長 2

2015-02-18 09:47:37 | 昭和時代
今日も日本の歴史 
高度経済成長の続きをごろごろ記憶にしてみたいと思います。

皆さんすでにお気づきだと思いますが、
私のブログ、作った語呂合わせだけ載せてもいいところなのですが、内容つきです。(^^ゞ
その出来事の持つ意味や前後関係も把握していた方が、内容と共にすっと頭に入ってきそうなので、
すでに勉強されている方には知ってるよ~という事になると思いますが、一緒に読んでくださると嬉しいです。


前回見て来たように、高度経済成長はめざましいものがあり、
国民総生産は約年で、国民1人当りの実質国民所得は年で倍増を達成しました。
エッフェル塔をしのぐ(当時)世界一の高さの東京タワー(1958年(昭和33年)、333mの高さ)が完成、
戦後19年目の年には東京オリンピックを開催。
その開会式の9日前には新幹線開通と、夢を次々実現しました。
国民の生活も豊かになり、いいことだらけの高度成長期だった・・・と思いたいところですが、
そうでないところもあったみたいですね。

今日は高度成長がもたらした、もうひとつの側面をみてみましょう。


<高度経済成長のひずみ>  

   農村部・・・過疎化食糧自給率の急激な低下
   大都会・・・交通渋滞・交通事故の増加
               騒音・大気汚染・水質汚濁など・・・公害発生


           
【四大公害病】・・・1950年代後半から1970年代に住民へ被害が発生した公害のうち、被害の大きいもの

  水俣病
     1956年熊本県水俣湾で発生した有機水銀による水質汚染や底質汚染が原因。魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じました。
  第二水俣病(新潟水俣病)
     1964年新潟県阿賀野川流域で発生した有機水銀による水質汚染や底質汚染が原因。魚類の食物連鎖を通じて人の健康被害が生じました。
  四日市ぜんそく
     1960年から1972年三重県四日市市で発生した。主に亜硫酸ガスによる大気汚染を原因。
  イタイイタイ病
    1910年代から1970年代前半に富山県神通川流域で発生したカドミウムによる水質汚染が原因。米などを通じて人々の骨に対し被害を及ぼしました。
     (ウィキペディアより)

※ 行け行けどんどんの陰で、苦しんだ人達が大勢いたんですね。


   ~四大公害訴訟~

1967年 公害対策基本法

 公害で むな(67)しい思いをせぬように 公害対策基本法



1971年 環境庁が発足


 環境を 破壊する事ない(71)ように 環境庁が発足



 四大公害裁判・・・すべて患者側が勝訴します
                        

 高度成長のひずみへの住民の反発→大都市に革新自治体を成立
   1967年 東京都知事・・・美濃部亮吉

       厳しい公害規制条例の制定・老人医療無料化など福祉政策に成果


   

今も農村部や都市部が抱える深刻な問題は、高度成長期に始まったんですね。人口の都会への集中と地方の過疎化、難しい問題です。

高度成長期がもたらした豊かさは、今の高齢者の方達のすごい努力で、戦後の何もない状態から1つ1つ叶えていった夢の結果だったと思います。私が物心ついた頃には、もう三種の神器(洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫)も家業の関係で自動車もありましたが、衣食住すべての面でだんだん豊かになっていくのを実感してきました。
モノがあふれる現代・・・素敵な時代だと思いますが、1つのモノを(たとえば、消しゴム1個を)大切にしていた時代が懐かしく思い出されます。高度成長期はまだそんな時代でもあったと思います。


この後、ドルショックや石油危機などが起こって高度経済成長は終わり、日本経済は安定成長の時代へと移っていきます。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高度経済成長

2015-02-16 19:16:54 | 昭和時代
今日は日本の歴史
いよいよ日本経済が驚異的に成長した高度経済成長です。


1960年に始まった池田勇人(はやと)内閣は、「所得倍増」をスローガンに、すでにはじまっていた高度成長を更に加速する経済政策を展開し、
1964年に成立した佐藤栄作内閣は、経済成長の順調な持続に支えられて、7年以上に及ぶ長期政権となりました。

1970年までに国民総生産(GNP)を及び一人当たり国民所得を2倍にする国民所得倍増計画は、計画を上回るハイペースで進み、
1967年には目標の倍増を達成してしまいました。

20年近くの間、成長率が年平均10%を超える成長を続け(高度経済成長)、
1968年には、GNP資本主義諸国ではアメリカに次ぐに達しました。


エネルギー資源の転換
  石炭→石油へ

  ※炭鉱の閉山
  各地に石油コンビナートの建設

鉄鋼・自動車・石油化学工業などの重化学工業の発展

  京浜・中京・阪神・北九州に巨大な重化学工業地帯の出現
       →産業と人口の集中(農村部から大都市圏に大規模な人口移動)
          農村部・・・機械化・兼業農家の増加
          大都会・・・核家族の住む高層アパート

1960年代後半以降 大幅な貿易黒字
        ・・・円の割安な固定相場と海外からの安価な資源の輸入に支えられて


<国民生活の変化>
   大量生産体制の確立・所得の増加で・・・家庭に家電製品(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)・自動車の普及

   食生活も豊かに ~肉類や乳製品の消費拡大~
             ~食の洋風化
             ~インスタント食品・冷凍食品の普及~ 
               ※世界初のインスタントラーメン《チキンラーメン》が出来たのは、1958年のことです。  

1953年 テレビ放送開始

 放送開始 (5)~ね (3)んなで テレビを見よう         ※19は省略させてもらいました。m( _ _ )m

      マス=メディアと公教育機関による大量情報伝達・・・日本人の考え方や知識を平均化・画一化
         →国民の8~9割が中流意識


1964年 オリンピック東京大会・・・日本の復興を世界にアピール

 待ってたの (6)ちゃくちゃ (4)あわせ 東京五輪


同じ年 

1964年 東海道新幹線 開通

 速くて安全 大人も子供も (6)ちゃくちゃ (4)ぶ 新幹線



自家用車の普及・・・「マイカー時代」の到来で・・・
1965年 名神高速道路 開通

 速いけど (6)ちゃは (5)けない 名神高速

1969年 東名高速道路 開通

 東名(高速)で (6)理はダメだよ (9)るまは急に止まれない 



1970年 大阪で日本万国博覧会 ・・・国際的文化交流に寄与

  (7)らんでも 後悔しないよ 大(0)阪万博 

   ※大阪万博、私は”月の石”が見れるソ連館で、3時間並びましたよ~。(笑)
     小さかったので、月の石は全然記憶に残ってないですけどね。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加