Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

蛇足

2010-01-31 | 日記
なぜ、“女神たちの選択”のような事を書いたのかというと、
可愛らしい女神たちのような女の子が淫乱で、
獣のような男性を好むような、エロまんがが多すぎるからだと思う。

日本の男たちの中に、おそらくそうした像が、
刻印されているのだろう。

女神たちは今も、人々の想念の中で侮蔑され続けている。
単なる願望ならまだいいけれど。

本来、女神たちとの交接は、イメージ上のことであってさえ、
チベット密教の特殊なタントラのように、条件を伴い、
当然、敬意がなくてはならない。

南米を訪れたスペイン人の多くが荒くれものだったように、
日本へやってきた渡来人も、一筋縄ではいかない人間が多かったろう。

彼らは、そうした条件の存在すら知らず、
ただ、暴力によって、女神たちを手にいれたのだろう。

そして、それが当然で、そうしたものだと
思ってしまったのかも知れない。

もちろん、今や、それは現実には
あり得ない。

天皇もまた、どこからか、
渡来系の男性の子供たちになってしまったのだと思うが、
それがどこかは解らない。

***

もちろん、弥生人が古代インダスの人々だったと、
決まったわけではない。
単なる大雑把な推測に過ぎない。

インダス遺跡から発掘された骨と、
弥生人や日本人を比べ、遺伝的に同じでなければ、
そうとは言えないのだと思う。

ただ、神道の信仰のある人なら、
インダスの神像を見たとき、直感的に
それが自分たちの神々と同じ存在であるように
感じると思うのだ。

***

エールも、もともとは
同じ人々の神だったと思う。
とても意外だけれど、出雲の神さまだろう。

出雲の神さまは国津神であり、地祇の代表格だから、
まさか、天空神であるエールとは思わなかったのだけれど。

出雲の社は、古く、
天にまで届きそうな、高くそびえる社だったと、
遺跡の発掘により、明らかになっている。

決して、威を見せつけるためではなく、
高きところに坐す天空神を祀るためだったのだ
と思う。

国津神というのが、そもそもなんなのか、
考える必要がありそうである。

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