紀元前十四~十三世紀の頃、
現在のシリアにあたる地域の地中海沿岸部に、
ウガリットと呼ばれる王国があった。
かつてアブラハムと甥ロトの住んだ地域、
そして後に古ユダヤ王国となる地域に近く、
その神話には、聖書への影響が多々見られる。
そこで敬われていた神々の一人に、
アナトという女神がいる。
戦争の女神であり、
極めて美しいのと同時に、大変残虐でもあった。
神話詩には、殺した兵士の首と手首にまみれ、顎までその血潮に浸かって、
喜びにあふれ、満ち足りる描写がある。
それとは異なる場面でだが、
父エールをして“女神には自制がない”と言わしめている。
商業都市ウガリットでは、“むさぼる”ことが美徳であり、
アナトもまた、その美徳を持っていたのである。
それは、エールを崇めるユダヤ部族とは
まったく対立する価値観である。
アナトは処女の美称を付けて呼ばれ、
同じく主神エールの息子にして神々の王者である兄バールを
“仔牛のように”慕い、彼に尽くした。
***
聖書において、アブラハムに現れる神は、
ウガリットの主神と同じくエール・シュダイを名乗った。
人の姿で現れ、アブラハムと格闘(力比べ?)する、
後のヤハウェからは想像もできない、身近な神である。
アブラハムはエールを専らに敬い、守護神としたが、
エールがヤハウェと呼ばれ、唯一神となったのは、
古ユダヤ王国滅亡後のことらしい。
シナイ山でモーセが十戒を授かっている間、
待っていたユダヤの人々が、金の仔牛の像を作り
祀っていたのが、バールである。
バールは槍と棍棒を持つ嵐の神である。
おそらく、インドのシヴァにあたるだろう。
ウガリット神話のエールは、
バールをことさらに疎んじている。
***
キプロス島において、
アナトはアテナと同一視されているという。
名前が似ていて、同じく戦争の神であるためらしい。
王仁三郎は、
アテナはイズノメである、といっている。
イズノメとは、縦の働きと横の働きが噛み合って
働いている相を示す神名である。
たしか、天照大御神をイズノメである、
とも言っていたと思う。
おそらく、伊勢の外宮と内宮が一体になっているときの相が、
イズノメ=アテナなのだと思う。
ギリシャ神話のアテナは、戦争の神というよりは戦略の神であり、
叡智の神でもある。
大日如来もまた、胎蔵・金剛の叡智を備える。
***
現在、一神教のオリエントにおいて、アテナやアナトを祀る人はなく、
ただ、日本の大本系の新宗教で、
アテナを敬うことがあるだけだと思う。
敬われない神は、
敬ってもらう事を求めている。
それが、日本のような遠い地での事であっても。
おそらく、キプロスでアナトをアテナとしているが故に、
アテナを祀ると、アナトが自分の事だと思って、付いてきてしまうのだと思う。
深見のところのアテナは、おそらくアナトである。
中枢部には、アナトの巫女だった人たちもいると思う。
アナトとお市の相似も、見逃すことはできない。
植松愛子さんには、アナトがついているかもしれない。
お市にとっての明智は、
バールを殺した死の神モートのごとき存在でしかないだろう。
***
バールとアナトは、神話詩のなかで、
民を愛で満たすことを説いている。
だが、叡智のない愛は、盲愛である。
アナトにも、ぜひ、叡智を求めていただきたい。
現在のシリアにあたる地域の地中海沿岸部に、
ウガリットと呼ばれる王国があった。
かつてアブラハムと甥ロトの住んだ地域、
そして後に古ユダヤ王国となる地域に近く、
その神話には、聖書への影響が多々見られる。
そこで敬われていた神々の一人に、
アナトという女神がいる。
戦争の女神であり、
極めて美しいのと同時に、大変残虐でもあった。
神話詩には、殺した兵士の首と手首にまみれ、顎までその血潮に浸かって、
喜びにあふれ、満ち足りる描写がある。
それとは異なる場面でだが、
父エールをして“女神には自制がない”と言わしめている。
商業都市ウガリットでは、“むさぼる”ことが美徳であり、
アナトもまた、その美徳を持っていたのである。
それは、エールを崇めるユダヤ部族とは
まったく対立する価値観である。
アナトは処女の美称を付けて呼ばれ、
同じく主神エールの息子にして神々の王者である兄バールを
“仔牛のように”慕い、彼に尽くした。
***
聖書において、アブラハムに現れる神は、
ウガリットの主神と同じくエール・シュダイを名乗った。
人の姿で現れ、アブラハムと格闘(力比べ?)する、
後のヤハウェからは想像もできない、身近な神である。
アブラハムはエールを専らに敬い、守護神としたが、
エールがヤハウェと呼ばれ、唯一神となったのは、
古ユダヤ王国滅亡後のことらしい。
シナイ山でモーセが十戒を授かっている間、
待っていたユダヤの人々が、金の仔牛の像を作り
祀っていたのが、バールである。
バールは槍と棍棒を持つ嵐の神である。
おそらく、インドのシヴァにあたるだろう。
ウガリット神話のエールは、
バールをことさらに疎んじている。
***
キプロス島において、
アナトはアテナと同一視されているという。
名前が似ていて、同じく戦争の神であるためらしい。
王仁三郎は、
アテナはイズノメである、といっている。
イズノメとは、縦の働きと横の働きが噛み合って
働いている相を示す神名である。
たしか、天照大御神をイズノメである、
とも言っていたと思う。
おそらく、伊勢の外宮と内宮が一体になっているときの相が、
イズノメ=アテナなのだと思う。
ギリシャ神話のアテナは、戦争の神というよりは戦略の神であり、
叡智の神でもある。
大日如来もまた、胎蔵・金剛の叡智を備える。
***
現在、一神教のオリエントにおいて、アテナやアナトを祀る人はなく、
ただ、日本の大本系の新宗教で、
アテナを敬うことがあるだけだと思う。
敬われない神は、
敬ってもらう事を求めている。
それが、日本のような遠い地での事であっても。
おそらく、キプロスでアナトをアテナとしているが故に、
アテナを祀ると、アナトが自分の事だと思って、付いてきてしまうのだと思う。
深見のところのアテナは、おそらくアナトである。
中枢部には、アナトの巫女だった人たちもいると思う。
アナトとお市の相似も、見逃すことはできない。
植松愛子さんには、アナトがついているかもしれない。
お市にとっての明智は、
バールを殺した死の神モートのごとき存在でしかないだろう。
***
バールとアナトは、神話詩のなかで、
民を愛で満たすことを説いている。
だが、叡智のない愛は、盲愛である。
アナトにも、ぜひ、叡智を求めていただきたい。