Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

岩の中の霊界

2010-04-21 | 思索のかけら
王仁三郎の霊界解説である“霊の礎”という本を読み、
随分と悩み、考えたのだけれど、

王仁三郎の言うような霊界はない、と思う。

根源意識が還る世界はあるが、
それはチベット仏教が語るような、抽象的な世界、
イデアの世界だと思うのだ。

和魂に、帰還を妨げる種々の執着が残っていると、
根源意識はそれに引っ張られ、
それにふさわしい場所へ生まれ変わることになる。

ただ、日本人の場合、中有にいる期間は、
チベット仏教が言うより長いようには思う。

***

王仁三郎は、この現実界と同じで、
ただスケールだけは途方もなく大きい霊界があるという。

そこであった事は、この世界でも起こるのだと。

でも、王仁三郎が見た霊界は、岩の霊による幻ではないかと思う。
大石凝により、岩霊に感応するようになっていたのだ。

“大本神諭”には、
なにごとも霊学(王仁三郎が大石凝による多大な影響を受けた、神道神秘学)で
やりたがるのが王仁三郎の病気、
という記述がある。

王仁三郎はオシリスの生まれ変わりだと思うのだが、
(悪神スサノオはゲブ神話からの混入で、文化英雄スサノオ=初代オオクニヌシは
オシリスだと思われる)

オシリスはイシスにより、
ゲブの腹の中、岩の世界に閉じ込められてしまったのである。

オシリスはアポピスから分化した直霊を持ち、
アポピスによって根源意識に還り、生まれ変わることは出来るようになった。

だが、彼の和魂は岩に閉じ込められたままであり、
生まれ変わりの直霊は、奇魂・咲魂による和魂との連絡により、
その影響を受ける。

ゲブの腹にあって、ゲブの和魂と一体化したオシリスがソカルだと思う。

ゲブの八千魂は欲望に引き裂かれ、和魂は苦しんでいるのだ。

ピラミッドは、ベンベン岩を模したものと言われるが、
死者を岩霊に閉じ込めるためのものだと思う。

***

神道では、正邪の別なく、死者はすべて“根の国”に行くという。
それはおそらく、岩霊の中、ゲブの中である。

冥府のスサノオが住み、須勢理姫がいた“根の堅洲国”は“かたいスの国”で、
石ス=イシスの国、岩の中を示す。

現界の写しとしての鮮やかな霊界がある、という考え方は、
古代ペルシアにもあった。

そして、古代ペルシアの国教・ゾロアスター教の祖、ゾロアスターは、
(書きたくなくて本当に悩んだが)
おそらく深見の前世だと思う。

忠長でもあった彼も、やはり岩霊系であろう。

岩霊は、自分の中に魂を閉じ込めるための餌として、
現界とまったく変わらない死後の世界、という幻を見せ、

感応させることで取り込むのだと思う。

わたしも時々、妙に鮮やかで
わたしの無意識と一致しない夢を見せられることがあるが、
岩霊だと思って相手にしないことにしている。

***

イシスは、妻ではあるが、
オシリスのネガティブなグレートマザーである。

イシスもまた、根源意識を持ち、根源意識に還れるはずなのだが、
嫉妬と競争心のために
ネイトーネフティスを受け入れることを断固拒否する。

そして、孤独感を嫌い、
オシリスや人々を巻き込むのである。

愛するもの同士を永遠に引き裂き、すぐれた魂の成道を妨げたとしたら、
その業はきわめて深い。

春日としての彼女が、大奥を支配して
女が幸せになれない泥沼を作ったとしたら、
その業もまた深いだろう。

自然の運行として現れる、厳然たる神の摂理(仏の法)を
妨げる魔術は、使えば使うほど業になる。
本当の神力(法力)とは、自然のよき働きを高めるものである。

ダライ・ラマのような、
多くの人々を導きうる、本当の宗教者の健康を妨げるのも、
自らの成道を困難にする業となるのだ。

業が魔術で跳ねかえせる程度のうちはいいが、
積み重ねるほどに業は深くなり、やがてがんじがらめになって、
魔術では歯が立たなくなる。

幸せになる徳がないのに、それが悔しくて、
徳のある人間に嫉妬し、足を引っ張るために更に魔術を使うのである。

やがてにっちもさっちも行かなくなる。

そうした魔術を用いながら、幸せになれないと逆恨みされても、
神も困るだろう。

***

わたしは出来るだけやって来たつもりだが、
オシリスの和魂は、救われただろうか?

それともこれからだろうか?

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