Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

岩の神

2010-03-10 | 思索のかけら
古来より、人々は、神の降りる場所として、
大きな岩を神聖視した。
これを磐座(いわくら)と言う。

諏訪系の神社にも、磐座は多くて、
上社本宮にもあるし、駒弓神社にも、大きな磐座がある。

磐に神が降りる、という信仰に対して、
磐自体を神さまと見る信仰もあるのかな、と思う。

戸隠山は、手力雄や如来・菩薩の降臨する岩山であると同時に、
九頭竜さまの頭そのものでもある。

(妙高山が、とぐろを巻く体であり、
尻尾は越後平野の方まで伸びているとか)

九頭竜さまは成道した弁天さまの化身だけれど、
そうでない神々も多いように思う。

***

記紀で、ニニギと結ばれたコノハナサクヤ姫さまの姉は、
イワナガ姫(磐長姫)。

美しいサクヤ姫さまに対して、
醜い女神さまとされる。
名前も“我”の神さまを示しているのだ。

二人の父であるオオヤマヅミさまが、
コノハナだけでなく、イワナガも共にめとるようにと、
まとめて嫁がせたのだけれど、

ニニギは納得せず、イワナガ姫だけを送り返した。

コノハナは美しいけれどはかなく、イワナガは醜いが盤石だという。

その為、ニニギの子孫は、はかなく死ぬ人間の運命を
持つことになったのだとか。

***

この、記紀の物語とは別に、
コノハナとイワナガの伝説が、姨捨に残されている。

コノハナは美しく思いやり深くて、
おばのイワナガは醜く、その上、ひねくれてヒガミっぽかった。

コノハナが真心を尽くして幾ら仕えても、
ことごとく、ひねくれて悪くしか受け取らなかった。

そんなイワナガが、姨捨の月の美しさに打たれ、
神さまになったという話である。

***

地霊、磐霊の類いは、一般に
美しくないと考えられていたのかな、と思う。

けれど、王仁三郎のいう“霊主体従”の考え方によれば、
物質霊も必要、ということになる。

けれど物質霊は、“物質霊も必要”では納得せず、
“物質霊が上”でないと気がすまない事も多々あるように思う。

王仁三郎が“霊界物語”で語った、太古、宇宙から降ってきた禍神。
それを頭にした、地霊、物質霊の類い。

これが“と”の霊系になっているのかな、と思う。
“こ”の霊系とは、ことごとく反対の神示を授ける。

古神道家の荒深道斉という人に降りた神さまは
“イワイヌシ”を名乗ったそうだ。

彼は、石の声に耳を傾けるよう、語った。

だけど、磐自体を神と見なすと、逆に、
石は成道から遠ざかり、自惚れて手に終えなくなるような気がする。

禍神の類いに加わり、
力を得ようとする気がする。

馬鹿にしろという話ではなく。

崇めたてる神ではなく、衆生と同じような存在…
あるいは、仏教でいう“天部”のような存在と見ることが
必要なのだと思う。

月の光で、すんなりと成道していくなら、
美しいけど…

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