古民家ギャラリーうした・ガレッジ古本カフェ便り

古民家ギャラリーうしたと隣のガレッジ古本カフェで催している作品展、日々の発見!、書評、詩などを紹介していきます。

魚眼漫遊大雑記  野田知佑

2021-07-16 22:52:48 | 野田知佑

新潮文庫   昭和60年

 

ヨーロッパの国々の特性についての記述に詳しい。ぼくは

 

なんかあんまりヨーロッパって言われてもピンと来ないの

 

だが、行ってみようとも思わないし、第一、怖いし。

 

そこを単独でカヌー下りしたりして、まったく、野田氏は

 

勇者だ。

 

ヨーロッパの建物が12世紀に起工され、16世紀に完成

 

したと書かれていて、なんて大掛かりな工事だ、とたまげる

 

必要はないらしい。イタリアの人の仕事は滅法遅く、日本

 

人の一日の大工仕事が10日かかるという。

 

ギリシアでは鼻の下に髭の生えた女の人がいるという。

 

民族的な注意力の死角を鼻の下に持っている、と言ってい

 

る。

 

ずーっと後半はロンドンやらの話しで占められている。

 

ぼくはカヌーの話しが読みたかったのになあ……ちょっと、残念

 

だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川を下って都会の中へ   野田知佑

2021-07-08 12:42:27 | 野田知佑

新潮文庫  昭和63

 

亀山湖にその当時住んでいたが、別れを告げる。

 

純朴な田舎の人は、欲に駆られたり、簡単にテント

 

張っている者からおカネを巻き上げることを覚えると

 

途端に顔つきまで変わってしまうという。

 

立てばビール、座れば宴会、歩く姿は千鳥足、と

 

野田氏の名調子が続く。そして、独身を貫くには、女

 

から逃げ回るフットワークが必要だ、と説く。なるほど、

 

ぼくも捕まらないように、フットワークは軽やかに行こう。

 

筑後川は30数年で、すでに「この川ももう長いことなか

 

ろう」と言われている。筑後川は死んでしまったのだろうか。

 

そして、カヌークラブの横暴に怒っている。

 

アパート暮らしの友人の子どもに広い原っぱで遊べ、という

 

と四畳半ほどの広さをぐるぐると走り、それ以上は出よう

 

としなかった、という。人間は飼い慣らされるとそうなって

 

しまう。ぼくは自然とここ数十年触れあっていないので、なん

 

とも言えないが、頭脳だけは自由に駆け回れるようにしよう、

 

と思った。

 

 

都会で食べるまめっこぷりんも、自然の中で食べるまめっこぷりんも、どっちもイケるよ。都会のまめっこは、豆乳100%のフルーツ入りのオイシーぷりんだぜッ。250円。

  

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガリバーが行く      野田知佑

2021-06-19 07:22:29 | 野田知佑

新潮文庫   平成5年

 

川遊びについて描かれている。ぼくの生まれた春日部市

 

にも川が多く、近くに庄内古川という川が流れていた。

 

そこに8、9歳のころ、ハハと散歩していたのだが、ぼく

 

はそのとしまで自分でこうしたいとかのない人生を歩んで

 

きていた。まだ、8,9歳なのだから当然と言えば当然

 

なのだが、かなりの勇気を振り絞って、釣り、というもの

 

がしてみたいのだが、と言ってみた。

 

すぐに竹竿を買ってもらえて、すぐに竿は何本にも増えて、

 

釣りに毎日川に通った。

 

コイやフナ、オイカワやクチボソがいっぱい釣れて、持ち帰り

 

たらいや水槽に飼いだした。いつの間にか、極めてしまった

 

ので、釣りにも飽きて、今度は熱帯魚に凝りだして、今でも

 

グッピーを飼っている。

 

今でも釣りはしたいと思うけど、エサ問題というのが横たわ

 

っていた。そういうわけで、なんやかんやで今は釣りは致して

 

いない。

 

川は好きだ!……合掌。

 

 

釣りをするときにも、傍らにねぎっこ焼きがあれば、うれしい。うまうま、うまうま、と食べればあなたも幸せに……なれんのか? たぶんな(藁)。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北の川から    野田知佑

2017-12-15 13:32:18 | 野田知佑
新潮文庫。


いつもこのひとの本を読み終わると、ひとつの旅を終えた



ような気分になるが、ふっと現実の生活が横たわっている



ことに気づき、はっとさせられる。結局、ボクは野田さん



みたいに旅には出られんだろうことが分かっているから



なのかもしれない。ボクはなにもしないだろう無力感に苛



まれつつ、日々の生活の中に埋没する自己を見つめるしか



ないのだ。きっと、野田さんと根本から考え方が違うのだ



ろう。この本で、母上のことが出てきたので、病気と言う



ことだったが、安心できた。こういうひとは家族さえかえ



りみないのではないか、と思っていたからだが。



南方指向と言うが、北方指向のひとかと思っていたので、一



般のひとと同じく、過ごしやすい方がやっぱりいいのか、と



これまた安心した。



まあ、実際、やろうとは思わないけどねえ。 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北極海へ あめんぼ号マッケンジーを下る 野田知佑

2016-11-05 10:01:23 | 野田知佑
文藝春秋。


カナダのマッケンジー川を日本製のチャチな



カヌーで1800キロくだる。夏は蚊がすごいら


しい。いろいろなインディアンやドイツ系ス


イス人などとの出会いを描く。いつも野田氏



の作品を読んで思うのは、ジャック・ケルア


ックの事である。べつに野田氏が禅に目覚め


ていくわけではないが、描き方がジャック・


ケルアックを彷彿とさせるのである。多分に


ビートの資質があると僕は見ている。自由を


求めさすらっている部分も共通点じゃあない


か。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする