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「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん

2012年08月22日 07時50分59秒 | 読書(ノンフィクション)


「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」辺見じゅん

以前から気になっていた作品を読んだ。
今まで、数々のノンフィクションを読んできたが、トップクラスの面白さ。
大宅壮一賞受賞、講談社ノンフィクション賞、ダブル受賞作品。
丹念な取材、好感の持てる丁寧な文章と表現。
極寒の地での過酷な労働、苦しい収容所生活、日本人同士の対立、密告。
収容所での生活が克明に描かれている。 

P74
「中国のことわざに、豆を煮るに豆殻を焚くというのがあるそうです。同じ血を分けた日本人同士が俘虜という逆境にあるというのに相食むようになるなんて・・・・じつに情けなかったな」
森田の話を聞いていた山本が力をこめていった。
「森田さん、ぼくたちはいろんな目にあった。だけど白樺の肥やしにはまだならなかったんだ。だからね、希を捨てたら駄目だ。みんなで、かならず生きて日本に帰ろう・・・・・・」

苦しい労働の中にあっても、俳句を作る会を作ったり、学校を作って講師になったり、希望を失わず周りを励まし続けた日本人がいた。
本作品の主人公・山本幡男である。
この無名の歴史に埋もれた人物を中心にラーゲリでの生活が綴られる。
山本はかつて満鉄の職員で、特務機関にもいたことから、一般の日本人が帰国しても、果てのない収容所生活が続く。
タイトルから察するように、とうとう死期が近づく。
山本は、母、妻、子どもたちに宛てて「遺書」を書く。

P242
売店でノートやインクなどを売っているのに、ラーゲリでは許可されたもの以外に書くことは禁じられていた。ソ連側は、日本人が無断で集まって会合をもったりすることにも神経をとがらせていた。とくに文字を書き残すことはスパイ行為と見做していた。
作業にでた隙に抜き打ちの私物検査が行われ、日記やメモなどが見つかって営倉送りになった者もなん人かいた。四人組の脱走事件後はとくに厳しかった。しかも、帰還前の検査は厳重で日本に持ち帰るのは至難の業だった。

このような状況の中、山本の友人たち、俳句仲間が工夫をこらして「遺書」を持ち帰って家族に渡そうと試みる。
もし、私の拙い紹介で少しでも興味を持ったら、ぜひ読んで欲しい。
これぞ、ノンフィクションの醍醐味を味わえる作品、である。

【関連リンク】
辺見じゅん『収容所から来た遺書』『ダモイ遥かに』 

【ネット上の紹介】
敗戦から12年目に遺族が手にした6通の遺書。ソ連軍に捕われ、極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男のその遺書は、彼を欽慕する仲間達の驚くべき方法により厳しいソ連監視網をかい潜ったものだった。悪名高き強制収容所に屈しなかった男達のしたたかな知性と人間性を発掘して大宅賞受賞の感動の傑作。
[目次]
1章 ウラルの日本人俘虜;
2章 赤い寒波(マロース);
3章 アムール句会;
4章 祖国からの便り;
5章 シベリアの「海鳴り」 

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