【ぼちぼちクライミング&読書】

-クライミング&読書覚書rapunzel別館-

「広島第二県女二年西組」関千枝子

2012年12月24日 17時19分25秒 | 読書(ノンフィクション)

「広島第二県女二年西組 原爆で死んだ級友たち」関千枝子

全編レクイエム、涙なしに読めない。
昭和20年8月6日、二年西組の級友たちは、爆心から南1.1キロメートルで作業をしていた。
38名が死亡。
著者は、当日病気で休み、たまたま生き残る。
「なぜ生き残ってしまったのか」
その疑問、うしろめたさが著者を苦しめる。

戦後、何年もかけて遺族や関係者を訪ね、級友たちの最後を調べたのが、本書である。
単なるレポートでなく、一人一人を個性的に描いて、生きた証としている。

P38-39波多先生の最後
福崎は日赤の芝生の上にいた波多を見つけた。波多は一人の生徒を胸に抱き、一人の生徒を背に負い、すでにこときれていた。背の生徒がまだ生きていて、
「福崎先生」
と声をかけてきたので、ようやくわかったほどの、ひどい焼けただれようだった。
「お前は誰だ?」
と聞くと、背の生徒が、
「為数です」
と答えたのを、福崎ははっきりと記憶している。学校に運ばなければ・・・と福崎は遺体にそっと手をふれた。と―、軽くふれたはずなのに、二の腕がひとかたまり、ボロッと転げおちた。(中略)
肉の内側まで火が通るほどのひどい火傷―。その身体で波多は、生徒を負い、抱いて、日赤までたどりついたのだ。たどりついた日赤でも、建物はこわれ、医師も看護婦も負傷したり死んだり・・・・・・。おそらく赤チンの一滴もつけてもらえなかっただろう。そして陽のカンカンあたる芝生の上で、死んでいったのだ―。

P97
「オッ、ちょうどええ。手伝どうてくれ」
否も応もなかった。わたしと綾子は担架の足の方の柄を一つずつ持って、波多の遺体を学校の東隣に運んだ。そこは、一面、蓮畑になっていた。
蓮田に波多の遺体を置き、そのあたりにあった木を運び、福崎が経を唱え、火をつけた。
煙がまっすぐに上った。空は真青に晴れあがり、風もなく、強烈な太陽が照り返してした。
「煙がまっすぐに上がると極楽に行けるんじゃ」
うめくような声で福崎はいった。私はいま、福崎の気持ちがよくわかる。こうでもいわなければ、救いようがない気分だったのだろう。
だが、その時の私は腹が立ってたまらなかった。福崎だけではない。誰に対しても、くってかかりたかった。
「極楽に行ってなんになる。こんなに苦しんで、焼けただれて―。極楽に行ってなんになる」

【ネット上の紹介】
勤労動員にかり出された級友たちは全滅した。当日、下痢のため欠席して死をまぬがれた著者が、40年の後、一人一人の遺族や関係者を訪ねあるき、クラス全員の姿を確かめていった貴重な記録。
[目次]
序章 8時15分―広島市雑魚場町;第1章 炎の中で;第2章 学校に帰った級友たち;第3章 “南へ”―業火に追われて;第4章 島へ;終章 8月15日;意外の章(1)耐えて生きる;意外の章(2)原爆と靖国;“スキャンダル”のあと―『広島第二県女二年西組』余聞
この記事についてブログを書く
« 「ぐるぐる七福神」中島たい子 | トップ | ボルダーセッション課題 »

読書(ノンフィクション)」カテゴリの最新記事