山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

焼失した「戒光院」跡地に行く

2016-03-24 19:10:21 | 歴史・文化財
 2009年12月に放火で焼失した「戒光院」は、大正末に龍頭山から春野町内に移築されたものだ。
 跡継ぎがなく管理ができないことを悲観した長女の悲哀が跡地から伝わってくる気がする。
 建物の痕跡はなく本堂前にあった石灯籠が佇んでいる。

    
 
 本堂跡地を囲んで不動明王の使者という「八大童子」と「三十六童子」と思われる44の石碑が立っていた。
 それぞれの童子の名前を唱えると悪鬼が退散し、長寿をもたらすという。

                             
                          
 その隣には、不動明王の石碑が寂しくたっていた。
 火炎の不動明王は、この惨劇の事実をどう見ていたのだろうか。
 なお童子の石碑は、昭和58年に作成されたもので、移設してきたものらしい。

        
 荒涼とした境内のなかに、「奥田義耕の碑」がぽつねんと建っていた。
 明治6年に廃仏毀釈の影響で秋葉山の「秋葉寺」が廃寺となったが、明治13年に復興。
 過酷な修行で有名になった奥田義耕が多くの信者を獲得するなか、秋葉寺から独立して春野町「戒光院」で活躍する。
 王子製紙が撤退したため町おこしの夢をかけて住民の悲願をかなえたということらしい。
 山岳信仰の修行道場として宿坊もあったほど賑やかだったようだ。 

 秋葉山にまつわる波瀾万丈・栄枯盛衰の歴史がここにも刻印されていた。        
 
                          
                     
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