森とまちをつなぐ「半農半X」日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

山里の「公民館レストラン」

2016-06-26 20:31:33 | 市民活動・まち育て
 やっとやりくりがついたので、町内の砂川(イサカワ)集落の「公民館レストラン」に初めて行く。
 今年公民館に営業許可が下りて宇野茶園夫婦を中心に毎月第4日曜日にレストランが開催されている。
 部落公民館の黒板にはきょうのメインメニューが「フランスの田舎料理」であることが明示されていた。

                           

     
 お昼前に到着したので料理はまだ作られていく途中だった。
 厨房は予想通りてんやわんやの忙しさだ。
 時間と共にお客は若い夫婦を中心に高齢者へとだんだんと増えていった。

                           
 厨房のスタッフの一翼に集落の自治会や婦人部など既成の組織が全面的に支援してくれるのが理想だ。
 初めて出向いた人にとってレストランのシステムやメニューの価値を教えてくれる人がいないのも残念。
 個人的には部落公民館でレストランが行われるのはきわめて画期的だと評価しているが、その担い手をいかに確保・育成していくかが課題のようだ。

     
 食べたメニューは、「鶏肉とナスのトマト煮+マッシュポテト」、「キュウリのライタサラダとニンジン・レモンのサラダ」、「ズッキーニと新ジャガのケークサレ」、デザートの「いろいろ豆水菓子」、Yukkoさんお手製の天然酵母パン、と盛りだくさん。
 原材料の食材の味を大切にしているのが伝わってくる。

                          
 山里のつつましさは人の心も食の豊かさも育んでくれる。
 公民館の機能も新たな地域づくりの拠点として新たなデビューを果たしている。
 この空間世界が変わってきたことの意味が大きい。

 食べることは生きることだが、食べることは人づくり・地域づくりであることを宇野夫婦は身をもって実践している。
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野菜じゃないよ、虫の収穫じゃよ!?

2016-06-25 21:49:24 | 生き物
 わが家は毎晩のように虫がやってくる。
 大きな音を立てて突然障子にぶつかってきたのは、「ヒゲナガカミキリ」だった。
 オスの髭は体長の3倍近くもあるらしいので、これはメスのようだ。
 蚊が出てきたので蚊取り線香を点けるとその周りは小さな虫の死体だらけ。
 掃除機で吸い取らないと歩くスペースを確保できないほどだ。

       
 センダンの葉によくやってくるのは「シリアゲムシ」。
 蛾でも蝶でも蜂でもない。
 蝶や蛾の祖先だという。

                                
 縁側近くに転がっていたのは、「センチコガネ」らしい。
 カナブンでもないし、エンマムシにも似てるし、ゴミムシにも近い。
 糞に集まるということだ。

                           
 畑では「カノコガ」を発見。
 今までは同じ仲間の「キハダカノコ」という黒と黄が体を規則的に並ぶのが多かった。
 翅の模様は同じ。

       
 和宮様が率先して捕獲しているのは、ピーマン・ナスを食害する「カメムシ」だ。
 ペットボトルに集めたカメムシは万華鏡で見ているようで嫌な気分はしない。
 「虫を愛でる姫」(「堤中納言物語」)はさすがに捕るのがうまい。
 しかし、虫に刺される確率が断然高いのが玉に傷。

 きょうは雨があがったせいかばかに虫が集まる。
 湯呑に虫が次々入ってしまうー。

 
 
                         

                      
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池波正太郎の「自前」の思想

2016-06-24 18:40:13 | 読書
 怪しい雲行きの中、午前中にやっと耕運機に活躍してもらった。
 午後から雨が落ちてきたのでこれできょうの仕事は終わり。
 いつものように昼寝をしてからそのまま寝そべりながら池波正太郎の世界に入る。

                       
 最近は切れ味がいま一つと感じているものの舌鋒鋭い評論家「佐高信」とフィールドが広い江戸研究家「田中優子」が対談した『池波正太郎・<自前>の思想』(集英社新書・2012.5)を読む。
 「自立」は経済的な側面が強いニュアンスがあるが、「自前」の生き方とはどういうものか、70歳過ぎてもまだまだわからない。
 
       
 二人の言葉からそれは、「強くなくても生きられるってことですよ」「何かひとつ持っていればいいんですよ」「何かひとつ持つというのは、権威に頼らないで済む生きかたですね」という、田中優子の言葉に励まされる。
 池波文学に出てくる密偵は、元犯罪者だがたった一つのまっとうさを生かして生きよ、と池波は彼らにメッセージを送る。

                      
 代表作『鬼平犯科帳』(文春文庫、2000.4)の主人公長谷川平蔵は江戸の「火付盗賊改方」長官として辣腕を振るった実在の幕僚だ。
 平蔵は若いとき放蕩無頼の暴れ者だったが、盗賊たちには「鬼の平蔵」と恐れられるほど特別警察権を持って取り締まりの成果を上げている。
 そうしたベースのもとに、池波は人間を勧善懲悪の一面的なとらえ方ではなく、佐高のいう「下情(カジョウ)」に通じた人間観だ。
 小説に登場する犯罪者でさえ感情的に糾弾するどころか、その価値を考える。
 そして「情の裏うちなくして智性おのずから鈍磨することに気づかなくなってきつつある」として、情知一致によって一人前になるのだと説く。

     
 庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説と言えば、山本周五郎・藤沢周平・帚木蓬生らがあげられる。
 その中で、池波正太郎作品は町人が描いた時代物と言える。
 若き長谷川平蔵の放蕩無頼はそのまま池波正太郎の人生と重なる。
 だからこそ、人間を多面的に受け止めるのだ。
 
 田中優子の言葉が的確だ。
 「畳に手をついて頭を下げる。その手の身体側が自分、つまり自らの<分>であり、手前である。その自らの空間に全てを引き受けるのが、<自前で生きる>ことだ。」
 そして、「自前が…社会における己の姿勢を練り上げていく楽屋空間だとすると、そこは<あそび>の空間でもあるはずなのだ。」と。
 そうしたリキまず・ブレない洒脱な生き方を展開するとしたら、ずいぶん距離があるなー。
 
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挿し木のあじさいが成長して大輪の花開く

2016-06-23 19:55:17 | 植物
 幾たびかの冬を耐え、挿し木で育ったあじさいがついに花開いた。
 生き残ったあじさいは数えるほどだったが、今では畑や荒地のまわりにじょじょに花を咲かせるまでになった。

                         
 幾たびか枯れる危機をのり越えて大輪の花を咲かせてくれたので、幾本かを切り取り玄関前の亀に投げ入れてみる。
 1本もなかったあじさいが自前で飾れるほどになった歳月を想う。
 あじさいの枝を提供してくれた人に感謝する。

     
ガクアジサイのバリエーションは奥が深い。
 花びらに鋸歯があったり、「ベニガク」のように白から赤に色変わりするもの、中央の花と装飾花とが色が違うもの等々。
 わが家のあじさいの品種は多くはないが耕作放棄地だったところに、まずは花が見られるようになったことをよしとしたい。 
 

                     
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あじさい寺の石灯篭・宝篋印塔

2016-06-22 22:01:35 | 石仏・石造物
 森町のあじさい寺に行ったときに最初に出会ったのが「宝篋印塔」。
 「宝篋(ホウキョウ)」とは「宝箱」、「印」は「価値ある」の意味で、この塔に安穏長寿の呪文(真言)が書かれたお経が納経されている。
 釈迦没後100年後、インドのアショカ王が全国に小さな仏塔を作ったことで、中国でも同じく作成されたのを留学生が日本に導入して広まったという。

                        
 堺市の「浜田石材店」のHPによれば、こうした「宝篋印塔」は、平安中期から鎌倉時代以降に流行したそうだ。
 その形には、「関東型」と「関西型」とがあるが、これは関西型だろうか。 
 しかしよーく見ると、梵字が書いてある塔身がなんと二つ重なっているではないか。
 これは大発見。
 おそらくこれは二つあった宝篋印塔を一つに合体させたのではないかと思われた。

   
                         
                          
 石灯籠の多くは奈良の春日神社にある「春日型」の石灯籠に多く出会う。
 火が入る「火袋」の彫刻には、鹿・雲・三笠山(+月)・透かし格子(+波)の4面のデザインが定型化されている。
 しかも、①火口 ②神鹿 ③雲 ④火口の後戸 ⑤三笠山 ⑥格子 という順番も決まっている。
 しかしこちらのデザインはけっこう個性的にアレンジしているのがいい。

    
                             
 それ以上に、子安延命地蔵尊前に奉納された石灯籠はじつに独創的で素晴らしい。
 民家が火袋というのがローカルで、正面の鶴、横面の梅という斬新なデザインが彫られている。
 あじさいばかりではなくこうした石造物の意外性がまた好奇心を増幅させてくれる。
 二十数軒しかいないという檀家が支えるあじさい寺の行く末は厳しいものがあるが、観光バスでやってくる団体客がいたのはホッとする。
 庭の管理を託されている好々爺にまた再訪することを約束して帰路に就く。  
 
          
 
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キュウリ・インゲンの誘引を行う

2016-06-21 18:07:24 | 農作業・野菜
 昨夜から雨が降り続いていたが、お昼前に雨が止んだので、今がチャンスとばかりにキュウリ・インゲンの誘引を行う。
 無農薬のキュウリにはウリハムシという強敵がいる。
 苗が小さいとあっという間に食べつくされてしまう。 

                           
 したがって、ある程度大きくなるまでは防虫網で防御する。
 きょうはその防虫網を取り除き、竹の枝を打ち込みそこにキュウリの茎を紐で誘引する作業。
 今のところ、うどんこ病は発生していない。
 キュウリの赤ちゃんがすでに成っていたので週末頃にはキュウリの収穫が始まるかもしれない。

     
 つるなしインゲンも順調に育ってはいるが、マメコガネがけっこう葉をかじっている。
 また、支柱がなかったため倒れていたので取り急ぎ支柱を打ち込んで誘引する。
 マメ科のわりには肥料が必要なインゲンだという。

                           
 ナスやピーマンの収穫が本格的に始まる。
 きょう初めて茄子漬を食べてみた。
 食べ出すと止まらなくなる。
 新鮮な野菜が「隣にある豊饒」に感謝する。

                       
 そうして閑話休題、今日の経済政策についてオイラが注目している佐伯啓思京大教授は説く。
「新たな技術を次々と開発し、経済成長と結び付けることで人間の幸福を増大できる、という西洋発の近代主義は極限まできている」と、指摘する。
 けっきょくのところ、「国際化やグローバル化の掛け声よりも、われわれが今日必要としているのは、われわれ自身の哲学である」とする。
 それは、「西洋に起源をもつ、自由や民主主義」のグローバル化がイスラムとの衝突となり、日本もアメリカに追随した「グローバルな文明はどこか借り物であった」と分析する。
 「自由はグローバルな金融中心の資本主義へとゆきつき、民主政治は大衆的な情緒や気分で不安定に流動する」結果、「自由や民主主義の限界」が明らかになったとする(「異論のススメ」朝日新聞、葵の隠居さんからいただいた切り抜き)。


 なーるほど、「隣にある豊饒」は、利潤を産まなければ価値がないとする実態の経済。
 「隣にある豊饒」を切り捨ててしまう幸福論は、某党の選挙公約では「景気回復」と口当たりいいスローガンとなっている。
 世界の今日の混乱は佐伯教授が予想したように動いていることに刮目する。
 当たり前とされる「自由な民主主義、個人の基本的権利、合理主義と科学技術、市場競争原理」を普遍的価値とする西洋文明に対し、東洋的・日本的文明開化を構築する時代になっている気がしてならない。

                                    
 だから一方、つまらない事件が人を殺戮する。
 政治家の劣化も原発の風化もはなはだしく浸透する。  
 こういうときこそ、危ないカリスマが残念ながら出現する。
 したがって、選挙も黒子の演出通り世論操作が成功する。
 
 
 
 
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6月の尾上ガーデン② 2016

2016-06-20 21:43:50 | 植物
 セロリに似た香りがする「トウキ」(当帰)の花が咲いていた。
 いかにもセリ科らしい小さい白い花だった。
 江戸時代の藩では製薬材料の特産品として推奨されたという。
 婦人の産後の要薬としていまも利用されている。

                          
 茎に葉が輪生している姿から「クガイソウ」(九階草)という。
 根を乾燥させてリュウマチや関節炎の薬にしている。
 若葉は山菜として食べられる。

              
 公園や個人の庭でよく目にする「キンシバイ」(金糸梅)は、初夏から夏を知らせる花だ。
 はじめは「ビヨウヤナギ」かと思っていた。
 しかしビヨウヤナギのオシベは花から飛び出すほど長い。

   
 ドナウ川のほとりに咲いていたこの花を採ろうとして水中に没した騎士が、彼女に「forget me not」と叫んでこの花を投げたという有名なお話しがある花。
 物語がある植物はうらやましい。

 尾上ガーデン、春と並んでいまが見どころ。
 本人は耕作放棄地の活用や若者支援も精力的に取り組んでいる。
 
 
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尾上ガーデンの夏2016

2016-06-19 20:55:26 | 植物
 「オープンガーデン」をやっている「尾上ガーデン」の夏はにぎやかだ。
 入り口すぐにキキョウ状の花が満載の「ハタザオキキョウ」が迎えてくれた。
 「ソバナ」にそっくりだが、葉柄が極めて短いのがハタザオキキョウだそうだ。
 ヨーロッパ原産の園芸植物だ。

                          
 秋の七草のナデシコといえば、本来この「カワラナデシコ」だ。
 最近は河原の環境変化で絶滅危惧種になってしまった。
 「カワラ」がつく多くの動植物は絶滅危惧種になってしまったという。
 その意味では、この庭に存在すること自体が貴重だ。

        
 ときどきよその庭で見られる「ミヤコワスレ」は、佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への想いが忘れるほどだったという話による。
 花の色も多様に開発されているようだ。

 
 暗い湿地に咲いていた「カキラン」を発見。
 名前の通り「柿色」の蘭ということで分かりやすい。
 エビネの仲間。

                            
 庭内のグリーンカラーのなかでひときわ目立ったのが、「マツモトセンノウ」の朱色の花。
 「センノウ」とは、京都嵯峨の仙翁寺にあったためらしい。

 まだまだいっぱい花が咲き乱れているので、いまが散策するチャンスでもある。
 同時に、これだけの庭を管理・創造していく尾上さんの志の高さに学ぶチャンスでもある。
                       
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あじさい寺を楽しむ 

2016-06-18 20:46:37 | 旅行・散策
 むかし鎌倉のあじさい寺に行ったことがあるが、人が多くて閉口したことがあった。
 今はもっと人が殺到している。
 そんなことを思うと、地方のこじんまりした寺でじっくりあじさいとつきあうほうがいい。

                          
 ガクアジサイ系のあじさいは多様だ。
 もともと日本原産のあじさいはガクアジサイで、それが西洋で改良され逆輸入されている。
 その意味では、ガクアジサイは基本種となる。

   
                          
 中央の小さな花とまわりの装飾花とのバリエーションが見どころだ。
 同時に、葉の大きさや照り具合や色を観るとさらにそれぞれの違いが見えてくる。
 品種の同定も好奇心をそそるが、多様であることがわかればそれでよしとしよう。

 
                          
 わが家にも挿し木で育てたあじさいが次々花を咲かすようになってきた。
 数年後にはあじさいの花々が畑や荒れ地に回廊のように出現するという皮算用なのだ。
 ススキの根をしこしこ掘り上げて、そこにあじさいとカエデを植え付けているのもそのためだ。
             
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アジサイ寺に初めて闖入する

2016-06-17 21:09:05 | 旅行・散策
昨日はひょいと森町の「あじさい寺=極楽寺」に道草する。
 狭い境内に13000株のアジサイがぎっしり咲き誇る。

                         
 アジサイの品種はよくわからないが、「カシワバアジサイ」はわかりやすい。
 はじめて出会ったときはアジサイの仲間には見えないくらいのアジサイの異邦人。

        
                           
 北米産の「アナベル」だろうか、白い手毬状の清楚なアジサイ。
 よく見ると微妙に違いがあるのだけはわかる。

        
 紫の装飾花に白い縁取りがある「フロウ・タイコ」。
 この白さが際立つ。
 アジサイや境内を管理している方と多岐な話題で話し込む。
 70代半ばの方だったが精悍な作業員であるとともに前料理人でもあった。
 黒子役に徹しているが輝いている。

                             
 装飾花の縁が内側に反り返っている「ウズアジサイ」。
 ざっと見てしまうとみんな同じように見えてしまう。
 とりあえず、手毬状のアジサイに登場してもらった。

 きょうは終日草刈り。
 やっと歩きやすくなるとともに、次の畝づくりのスタートができそうになった。
 涼しい風が流れる汗を冷やしてくれた。 
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地すべり現場はいよいよ第三工期へ

2016-06-16 21:26:56 | 風景
 2013年に発生した町内の地すべり現場は、いよいよ第三工期に着工する。
 てっぺんから川まで約150m、傾斜が50度、国道から見える壮観な風景に自然のなせるダイナミズムにハッとさせられる。

                           
 下層の川の補強工事が終わり、上部の補強も終わり、残るは真ん中の工事に移行する。
 いつかは灌木と雑草に覆われて地すべりがあったことさえも忘れ去られてしまうかもしれない。

 この自然の持つ二面性は日本人の世界観を形成してきた。
 日本の神話の世界でも、神は悪さもするしいたずらもする。
 しかし、一神教は神は絶対で誤謬はありえない絶対的存在だ。

      
 日本には神や仏に対する相対性や自然や人生に対する崇敬と諦観など、人間は自然の一部であるという謙虚な生き方・宗教観が底流としてある。
 ただし、宗教はいつも政治に利用されてきたのは昔も今も変わらない。
 いつのまにか結果的に政治に利用されてしまっていたり、いっぽうでは葬式仏教の限界をいまだ打破できない渦中にいる。

 そんな課題を持ちつつも、粛々と自然を補修する日本の土木技術も注目していきたい。
 
 
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終日ジャガイモを収穫

2016-06-15 20:56:46 | 農作業・野菜
 空をちょいちょい見ながらの一日だった。
 梅雨の間のわずかな曇天だったが、陽射しが暖かい。
 明日は雨なのできょうのうちにジャガイモを収穫することにする。
 きょう一日で買い物かご5~6杯分のジャガイモを掘り上げる。

        
                        
 掘り上げたのが遅かったため、太陽に当たってしまったものやネズミらしきものにかじられたものなどもあった。
 品種は、メークイーン・ダンシャク・十勝こがねの3種類。
 男爵と十勝こがねは似ていて見分けがつかない。

    
                         
 一部の畝では連作障害が出ていた。
 連作障害防止の「菌の黒汁」を撒いたが回数が不足していたようだ。
 ジャガイモの表面がすべすべであるはずが、連作障害の表面はシミがありザラザラなのがわかる。

 シャワーを浴びて一日分の汗をすっきり流す。
 テレビでは舛添都知事の辞任が決まった。
 日本の政治家は相変わらず世俗的世界から抜けられない。
 職人国家日本は、哲学を持ったベネズエラ前大統領「ヒムカ」のような政治家が形成されないのはどうしてなのだろうか。
 
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ナス・ピーマンを初収穫

2016-06-14 19:53:59 | 農作業・野菜
 朝から一日中霧雨が止まない。
 そんななか、ナス・ピーマンについているカメムシを捕獲する。
 それぞれの実を見たらほど良い大きさだったのでさっそく初収穫。

                         
 すぐ調理したいところだったが、歯医者に行く用事があったので断念。
 カラーピーマンはまだ結実していなかった。
 ナスの一部の葉が病気にやられて元気がないのでやや心配だが、実はできている。

       
 1本だけ残っていたサニーレタスがだいぶ伸びきってしまったので、それもついでに収穫。
 この畝でできたレタスは食べきれなかったのでずいぶん知り合いにおすそ分けした。
 今回は珍しく9割がた成功して収穫することができた。

 畑ではスナップエンドウがそろそろ終わり、キャベツはしっかり結球できている。
 ぽつりぽつりと食べさせてもらったイチゴも終わる。

 
 
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被災地・過疎地と障碍者をつなぐカリントウ

2016-06-13 19:54:22 | 特産品・モノ
 ジャーナリスト斉藤茂男のルポルタージュにはいつも心を動かされてきた。
 「父よ母よ」は映画化もされた。
 彼が平成11年に亡くなっていたのを最近知る。
 しかしそんな彼が提起した足跡は大きなニュースにはならなかった。

 そんなわけでせめて、深夜・早朝のドキュメンタリー番組をちらりと見るようにしている。
 そこに登場したのが東北大震災で被災した宮城県女川町のカリントウ工場だ。

                        
 瓦礫に残されたカリントウのミキサーを発見して、社長は知人を頼って鳥取で工場を立ち上げる。
 今では40人の障碍者を雇用して、パンも商品化している。
 さらに、故郷の女川町でもカリントウ工場を最近再開にこぎつけた。
 
 こうして番組を見てさっそく取り寄せたのが、カリントウセットだった。
 不揃いで平べったいカリントウだが味はしっかりしている。
 おやつについつい手が出てしまって止まらない。
 舛添都知事にならって「かりん党」党首の座は渡さないぞ。
 
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薬草満載の散策会

2016-06-12 20:51:02 | 旅行・散策
 雨が心配されていた森林散策会だった春野町静修地域は真夏が来たような晴れだった。
 「春野いきいき天狗村」に集合して、樹齢100年というヤマザクラのある元分校・禅寺をめざす。
 近くの県道には、花穂が生薬になるという「ウツボグサ」(シソ科)の見事な群落に出会う。

                       
 フィトンチッドが飛び交う森のトンネルを歩くと、「ハナイカダ」を発見。
 葉の上の緑色の花は終わっていたが緑の実がなっていた。
 この葉を乾燥させると下痢止めの効能があるという。
 若葉は山菜となる。


 そのすぐ近くに、葉が青みがかった「コンテリクラマゴケ」(紺照鞍馬苔)の群落もあった。
 京都の鞍馬山で最初に発見されてコケ状に生育するので「クラマゴケ」の名がつく。
 本種は中国原産で園芸植物として導入されてそれが野生化したという。

   
 また珍しいシダを発見。
 「ヒトツバ」というシダに似ているが、葉の裏表にツヤがあり、栗の葉に似ているので「クリハラン」という。
 単葉で直立している様は舞台でダンスをしているかのようだ。

               
 春に咲いた「セリバオーレン」(芹葉黄蓮・キンポウゲ科)の花がまだ白くなって残っていた。
 根茎を乾燥させて漢方の整腸薬として使用する。
 根茎を切ると黄色の断面が見られるのでオウ(黄)レンという。

  
 途中で、「サルトリイバラ」の見事な実の連鎖を発見。
 しかもよく見ると、怪しい毛虫もついていた。
 これはどうやら、サルトリイバラを食草とする「ルリタテハ」の幼虫のようだ。

 今回のコースは漢方の薬になる植物が多かった。
 さらには、静修トンネル前で珈琲を提供し、また地域づくりを貢献している大脇さんの家を発見したのも収穫だった。     
 


 
 
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