森とまちをつなぐ「半農半X」日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ネコにアオバトに何が

2018-02-20 20:11:49 | 生き物

 家のすぐ近くからネコの激しい喧騒が聞こえた。あまりに大きな声なので行ってみると、ネコがイタチでも捕まえたように見えた。しかしよく見ると寝ころんでいたのがネコだった。勝負があったのか、寝ころんでいたネコは恭順の姿勢で敗北を示したのかもしれない。

 

              

 国道の方を歩いていたら、崖の網の中に事切れている「アオバト」がいた。おそらく、ネットの隙間に落ちてそのまま抜け出せなかったように思えた。きのこ 狩りに出かけたときもこうした崖のネットの隙間に落ちる恐怖を感じたことがある。ネットのある断崖に立ち入ると転落もあるので、そこはコースを間違えているということを痛感したことがある。アオバトの「ワーオ、ワーオ」と遠吠えのように鳴く声をまた聞かせてもらいたいものだ。合掌。 

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手打ち蕎麦だけじゃないよ

2018-02-19 20:26:15 | 出会い・近隣

 昨日の午前中に集落の女性部による「蕎麦会」に参加する。100%蕎麦粉の手打ち蕎麦を作ってみたがかつての感覚をすっかり忘れていた。水分が多すぎたので蕎麦粉を加えたり、指がひっかかって穴を開けたり、太さもうどんのようになったり、記憶力も行動もますます減退している。なんとか、煮込みうどんをみんなで食べることができたが。

 そこに、手づくりの生姜佃煮、ミニメロン漬物、クサギのミズの佃煮が近隣から出される。それがじつにうまかった。とりわけクサギの佃煮が大葉の佃煮のような味がする。これは地元独特の山菜だ。ネットで調べても出ていない。これは特産物にすべきものだが、ゼンマイと同じように揉むのが面倒らしい。

 

           

 そのうちにまた、イノシシのスライス肉がどんどん出てくる。それをニンニク入り胡椒を振りかけて焼いていく。あらためてイノシシの旨さが口内に充満する。男性は酒を媒介に「いつもの話題」に腹を抱える。女性はチームワークよくてきぱき食事の手配・片付けをこなしていく。男性中心社会であるのが気に入らないが、都会のように地域的に孤立している人間関係よりは田舎らしい。

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種の交換会に参加してみる

2018-02-18 19:53:04 | 市民活動・まち育て

 たまたま知った「ラオンシードリング」主催の「種市」に参加する。自家採種した種を自給・循環させることをめざしたマーケットだ。

 

        

      

 オイラも余っていたオクラとエビスグサの種を持参して参加してみた。ただ、種の交換の方法がわかりにくいのが課題だ。また、フラッと参加した人のかかわりがわかりにくい。それでも、自然農法で自家採種している農家には人が集まる。

 

       

 30代の心優しい人が店を出しているので儲けようとしていないのがスタイルだ。アジアン風の食事や飲み物も出店している。アーティストの絵もあったり演奏やトークライブもある。今までの小さなつながりが、線から面になってきた歩みを感じる。

 

   

 昨日の突風だったら実施自体が難しかったかもしれないがきょうは春を感じるほどの穏やかさだ。小さな焚き火に親子が集まってくる。ところどころで「春野は考えのしっかりした人がいてうらやましい」と言われるが、内実の厳しさ・壁は同じではないかと思う。

 

                  

 スローライフを実践している若手の自然体がここちいい。この力が過疎の進撃を静かに止めていくスナイパーになっていくことを確かめていきたいものだ。    

 

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ガンダムのジオン公国のトヨタ車?

2018-02-17 17:26:47 | 路上観察

 近くの駐車場で珍しいフロントエンブレムを発見。このロゴは、機動戦士ガンダムに出てくる「ジオン公国」の紋章だった。トヨタがガンダムのジオニック社と提携してWeb上で設立した仮想会社を設立。宇宙の公国ということだが、おじさんにはついていけない世界だ。ロゴの意味もよくわからない。タイヤが手彫りの文字が彫られていたらしいが気がつかなかった。若者をターゲットにしたトヨタの柔軟性に感心する。

 

                 

 会いたいと思っていたフランスの「シトロエン」にここひと月の間にバタバタと会えた。デザインにある山型歯車で財をなしたアンドレ・シトロエンが自動車業界に参入。奇抜なメカ・デザイン・広告で注目を浴び、大統領専用車を提供するなど成功をおさめたが、経営不振に陥り、現在は「プジョー」の傘下。ほんとうに、自動車業界の競争は厳しいものがある。

 午前中にバイオトイレの糞尿を肥料にしたが、午後から小雪がちらつきはじめ強風とつるんで吹雪状態となる。おかげで、オリンピックのフィギュアをしっかり見ることができた。羽生結弦選手の奇蹟的な復活、宇野昌磨選手のかわいいセクシーさが輝いて見えた。

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「トマソン階段」発見!

2018-02-16 19:43:08 | 路上観察

 街中を歩いていたら久しぶりに「超芸術トマソン階段」を発見。この階段の行き先はどこにあるのだろうか。植木を見るためとはとても思えない。ちなみに、「トマソン」とは、大リーグから読売ジャイアンツに移籍して4番打者だったトマソン選手。しかし、三振ばかりだった。それをヒントに赤瀬川源平がネーミングしたもの。

 

                    

 竹藪の坂を抜けた広場にレトロな消火栓がポツリと立っていた。とても現役とは思えない。鎖も蓋も欠落しているが、黄色いペンキを塗ってくれた気持ちが、それだけでじつに優しい気持ちになる。

   

 この赤い消火栓は、ネットでやや似たものを調べたもので、熊本県天草の御所浦の消火栓で、どうやら現役のように見える。黄色い消火栓のほぼ原形がこれに近かったんだ。いつ頃のモノかを知りたいものだ。

 

            

 路上ではなかったが、駅のホームで「鳩のフンにご注意ください」の張り紙がついているコーンがあった。麗しのお嬢さんスマホを見ないで上を見てね。

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枯草を刈ってヤマウドに

2018-02-15 20:23:25 | 農作業・野菜

 いよいよ畝づくりの準備が始まる。びっしり生えていた枯草を少しづつ刈り取っていく。また、黒マルチもツルハシを使いながら剥がしていく。

 

         

 丈の長い枯草やツルが残っていると耕運機を使うとき刃に絡まってしまうので、できるだけ除去していく。本来なら昨年にやるべきところなんだけどね。

 

                  

 急遽、竹を伐り出してヤマウドのガードを作ることにする。久しぶりに全身が汗でびっしょりとかく。ガード内に刈りとった枯草を積んでいく。さらに おが粉を上から撒いていく。それによってヤマウドの白い部分を広げようというわけだ。初めての方法だが成功するかどうかはわからないが、枯草の有効利用ができるとこれからが明るい。

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初めての林道を歩いてみる

2018-02-14 16:56:56 | 旅行・散策

 郵便ポストに投函した帰り、突然林道を歩いてみたくなった。まだ歩いていない近くの林道を前々から踏破したいと思っていたからだ。場所によっては無謀かもしれないが、おおよその方向がわかっていたので決行することにする。舗装がない道が続いたが、さっそく見えてきたのはしばらく使われていない炭焼き小屋だった。

 

       

 林道なのでその両サイドはもちろん杉林が終始追ってくる。場所によってはなかなか手入れができていない箇所もあった。林縁には「ウラジロ」のシダ植物が多かった。同じくヒサカキ・クロモジ・アラカシ・シラカシ・ソヨゴなどの樹木も道沿いに進出していた。

 

             

 人には会わないだろうと思っていたが、近所のハンターの人が車で通りかかった。イノシシやシカの痕跡を見に来たようだ。林道沿いにはイノシシの荒らした跡や樹皮を食べた鹿の食痕も少なくない。ふだん人間が立ち寄らない空間なのでここは彼らの解放区なのに違いない。

 

        

 葉の裏表が同じに見える「リョウメンシダ」の群落も発見。シダは「ウラジロ」や「シシガシラ」が多かったので単調に見えた風景だが、仔細に見れば多様に生きる植物もあることを教えてくれる。

 

              

 なんといっても最大の発見は珍しい「カギカズラ」(アカネ科)だった。林業にとってはその鉤で材にからんでくるので害木だが、場所によっては絶滅が危惧されている。同時に、その鉤を乾かして子どものひきつけ薬や鎮痛剤の生薬としても利用されている。

 春になればもっともっと多様な植物に出会えそうだ。所々にY字路があって案内表示もないので迷走する可能性もあったが無事戻れた。所要時間は2時間弱だった。 

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武兵衛上野に出没4/銅像が動いた!?

2018-02-13 21:55:51 | 歴史・文化財

 上野公園内に「正岡子規記念球場」という東京都が管理する球場がある。日本に野球が紹介されたのは明治初期だったが、その野球用語を日本語訳したのは正岡子規でもあった。明治23年に子規はこの空き地で試合をしてキャッチャーをしていた。

 白球型の大きな石板には「春風や まりを投げたき 草の原」の句が刻まれていた。長らく病床にいた子規の熱い思い出が滲み出ている。

 

             

 国立東京博物館の庭に「文官」の石像が立っていた。18~19世紀の平壌のものらしい。「文官」とは科挙試験に合格した朝鮮の高級官僚だ。表情を見ると封建的国王の意思を支えようとする追随の姿勢を表現しているように見える。朝鮮統治時代に日本にやってきたものだろうか。

 

 

 公園の噴水広場に西洋風の銅像があって、なぜここにこんなものがあるのかと思っていたところ、中国人らしき夫婦が写真を撮っているのを見たら、なんと、その銅像が動いたのだった。そういうことだったかー、やられたねー。

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武兵衛上野に出没3/本命の南方熊楠

2018-02-12 20:03:26 | 歴史・文化財

 武兵衛が上野に参上した本当のねらいは、国立科学博物館主催の「南方熊楠/100年早かった智の人」企画展へ行くことだった。彼の日記やノートはびっしり細かい英文・日本語や彩色されたきのこや粘菌が描かれているのを初めて見た。

 

               

 今回は、森羅万象をあまねく探究した「研究者」としてばかりでなく、詳細な資料を収集・蓄積して「情報提供者」としての姿が近年評価されてきたというのが見どころのようだ。

 また、日本の自然保護運動の黎明と言われた神社合祀反対運動はあまり知られていない。明治政府の神社合理化に対して神社が保有してきた自然が壊滅することへの異議申し立てだ。官憲に逮捕されたりしながらも在野の学者を貫いた。彼の先見の明に時代がついていけなかったのだ。

 

        

 科学博物館にはシニアのボランティアスタッフの姿が目立った。その生き生きした説明する姿に第二の生きがいを見出した見本がある。年老いたらこうした社会貢献をするいきざまをもっともっと紹介してほしいものだ。   

 

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武兵衛上野に出没2/彰義隊墓へ

2018-02-11 20:58:53 | 歴史・文化財

 慶応4年、上野の山にこもった彰義隊は、官軍の大村益次郎指揮による砲弾攻撃で一日足らずで壊滅される。200体以上の死体が放置されたが、住職らの奔走で遺体を火葬。生き残った小川興郷(オキサト)は、明治14年(1881)そこに墓石を建立。

 

 

           

 墓石には山岡鉄舟筆による「戦死之墓」とだけ掘られていた。賊軍となった彰義隊の名はない。その墓石の前に小さい墓石がある。「彰義隊戦死之墓」と刻まれたその小さな墓石は、明治2年(1869)、子院の住職が近くに埋納したものという。

 

               

 その近くを歩いていたら、「博士王仁碑」という大きな石碑に出会う。「王仁」と言えば、5世紀に「論語」「千字文」を持って百済から日本に渡来した学者で、日本に漢字を伝えた。

 

               

 立派なレリーフもあった。ただし、王仁博士の存在や史実については賛否両論があり不明なことが多いという。とはいえ、中国や朝鮮からの渡来人が日本に果たした役割が大きかったことは間違いない。

 上野公園は、古代から幕末・近代へ、歴史が凝縮されている「るつぼ」だった。

 

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武兵衛上野に出没ー西郷どんに逢う

2018-02-10 21:56:48 | 歴史・文化財

 通院の合間に久しぶりに上野公園に行く。いま放映中の大河ドラマの影響でカメラ攻勢に西郷隆盛像は驚いているようだ。明治の元勲の殆どは正装のいかめしい銅像が多いが、西郷どんは普段着だ。その理由は西南戦争で「逆徒」だったことで武人としての牙を抜く政治的意図が背後にあったらしい。しかし、普段着の方が庶民には親しみがある。作者は、光太郎の父・彫刻家「高村光雲」。

 

                  

 公園に入って長蛇の行列に目を見張る。先頭がわからないくらいだ。そういえば、これはパンダ狂想曲効果だけど、子どもは待つだけでうんざり。一つの動物だけ突出するのは異常だ、マスコミは責任を取れ。

 

      

 園内を歩いていると木をレンガ状に敷設した道があった。看板によると、多摩産木材を活用しているとのことで納得。腐ることも想定して間伐材の消費活用を考慮しているが、破損個所をレンガやコンクリートで補修しているのはつらいところ。

 

      

 安藤広重の浮世絵「名所江戸百景」を歩道の行燈に仕立てていた。170基ほどを5m間隔で配置しているので、夜は幻想的な風景が浮かびあがるに違いない。そのうえ、ゴミが一掃されているのが目立った。昔はゴミがひどかった。地元や行政の心意気の高さに敬服する。

 

              

 加えて、広重の浮世絵に上野の「月の松」という松を月に見立てた名所絵がある。それを再現したのが上野清水寺の「月の松」だ。寺から「月の松」の輪の向こうに江戸の粋、ここでは不忍池の弁天堂が見えるらしい、が覗けるというわけだ。さすが見どころ満載の上野公園だ。外国人も日本人のように普通に歩いている。

 

             

 

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ポルシェとジャガーを発見

2018-02-09 20:00:56 | 路上観察

 ひときわ目立つ「ポルシェ」を発見。車のエンブレムには、中央の「跳ね馬」はドイツのシュトウットガルト市の紋章で、日本語では「馬の園」の意味。とげとげのデザインは本社がある州の紋章の「鹿の角」。黒と赤のカラーは知性を表し、地の金色は大地の豊穣を表現するという。

 

              

 ポルシェは、第二次世界大戦で戦車などの軍用車生産に関与したことで、戦後、戦犯として逮捕収監されたが、その後再建。一時、フォルクスワーゲンを買収したこともあるが、現在は逆転しワーゲンの傘下に下っている。スポーツカーの勇者は傷だらけの波乱万丈の歴史だった。だから、かっこいいのかもしれない。

 

                      

 イギリスの「ジャガー」も負けてはいない。ボンネットにはジャガーの正面の顔、後ろには有名な跳びかかったジャガーの勇姿を配置。オートバイのサイドカー製造から創業した同社は、王室御用達の公用車を製造するまでに成長。ルマン24時間レースでもたびたび優勝するなど、機能・美しさ・速さと燦然と高級車として君臨。

 

                          

 ジャガーの立体的なエンブレムが「歩行者への衝突安全性」が懸念されてから、その立体マスコットがなかなか見られなくなってしまう。さらには、なんども経営危機に陥り、ついにはフォードに買収され、今はインドのタタモーターズの傘下に入るという自動車業界の過酷な競争原理にさらされている。

  

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長老に聞くー3 タイヤに藁を詰めてな!?

2018-02-08 02:24:55 | 出会い・近隣

 日向にあたりながら長老の思い出は快調だ。「モノがない時代にはなー、自転車に乗るにしてもチューブがなかったので、タイヤの中に芯を入れてそれに藁を詰めてな、それで乗ったけんど、舗装されていない道だもんで、ガタゴトしてすぐダメになっちまった」と顔を崩す。

 

               

 「町に出かけていったとき、<ぬか饅頭>を食べたっけ。饅頭の中身は忘れたけんど、こねた糠を焼いてあってね、当時では貴重な食べ物だったんね。」

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長老に聞くー2/田んぼの地蔵様

2018-02-07 17:43:29 | 出会い・近隣

 長老が少年のときのいちばんの思い出は、昭和10年から15年ころだったか、8月24日に行われた「田んぼの地蔵様」の祭りだったという。当日は「弓場」があり、的に矢が当たると「見張り」が笛を吹くのをよく覚えているという。

 賑やかな縁日には、泊まり込みで近隣からやってきたという。博打もやられていたようでサーベルを持った警官もいたらしい。

 

     

 今では閑散としていて人の姿を見るのもやっとの場所だが、日本の山林が元気なときだった。昔は三体の小さな地蔵様があったそうだが、台風でたびたび社ごと石仏が流され、最近社を再建したもののまだ石仏は配置されず、住民が彫った「水口観音」という額が奉納されている。

 

                 

 壊れかけた塑像らしきものは今までのかけらだろうか。社の隣の石碑には、「水田開墾記念碑」の石碑(昭和17年建立)が佇んでいる。それによれば、明治12年に起工され明治23年に完成したというから、時間をかけて開拓した苦労がしのばれる。

 

         

 現在ではとうてい想像すらできないような過疎の華やかな青春は今では記憶遺産となってしまった。長老の初めての旅行は、トラックの荷台に乗ってみんなで浜松の「弁天島」へ海水浴に行ったことだという。林業生活70年という長老の記憶は、日本が高度経済成長を遂げていく黎明期の一コマだったことかもしれない。  

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長老に聞く-1/「木橋」の痕跡

2018-02-06 19:50:39 | 出会い・近隣

    

 近所からレトロな写真を数枚借りたうちの1枚が、歩いて数分の橋が写っていた。現在の橋と比較してみるとともに、集落の長老にも昔の橋の思い出も聞いてみた。

 長老によれば現在の橋の前は木橋だったという。資材の木は近くの山から伐り出し「木馬(キンマ)」で運んで橋をみんなで作ったという。

 

          

 

 むかしの写真には茶畑があったこと、現在あるゴミ収集所がなかったことがわかる。また、うら若き二人の美女のファッションといい、そばのホンダの旧スーパーカブらしきバイクが写っているのも小さな物語がある。

 

 

 その名残の橋台が、橋の横にあるというので見に行ったら確かにあった。言われてみれば、確かにあったように思われるが、その意味を知って初めて存在の事実に納得する。真実とは、表層の情報過多のなかをかいくぐって初めてたどり着く行為の片割れなのかもしれない。

 

            

 また、当時の木橋の幅は2トントラックがすれすれで通れるくらいの狭さだったという。カラー写真初期の1枚のフジカラーがいざなう物語は、山里の時代と暮らしをささやかに切り取った一瞬の輝きだった。長老の話はまだまだこれからが本題なのだが、続きはまたね。

   

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