2月10日の朝、倉田竜彦元県議が亡くなったとの突然の知らせを聞き、ビックリしました。
数日前に脳梗塞で倒れられ、重い状態で入院していたようです。
倉田さんと最近お話したのは、羽田雄一郞参議院議員の突然の死亡原因が新型コロナであったとの報道を知り、羽田氏と同じ会議に出席していた倉田氏に対し、念のため検査を受けるよう促す電話をし、「分った他の会議出席者にも周知する」との会話したのが最後ですが、その時は元気な様子でした。
余りにも突然の訃報で、信じられません。
倉田氏は、昭和62年発当選以来7期県議を務められ、6年前の選挙で引退されました。
この間私は、県議3期目から同じ会派に所属し、倉田氏が会派の代表、私が幹事長として苦楽をともにし、様々な県政課題に取組んできました。
また、倉田氏が民主党県連幹事長、私が社民党県連代表の時、村井知事の後知事候補に、最後の手段として取っておいた現阿部知事の擁立を2人で相談し決断するとともに、衆参の国政選挙区選挙で共産党を含む野党共闘を実現するため絶えず連絡を取り合い話し会ってきました。
倉田氏は民主党時代やその後も、所属する国会議員の説得にたけていて、私の目指すことを議論を通じ十分理解され、取組んでくれました。
倉田氏は県議時代や引退後も、国政課題や各種選挙、県政課題についても、余り言葉がいらない「ツーと言えば、カー」の関係で、県内政治に係わってきた私にとって、大切な仲間であるとともに先輩でした。
11日の夕方行われたお通夜に出席し、倉田氏の遺体を見たとき、心の中で「どうしたんだよ突然。まだ早いよ。」と叫ぶ声が聞こえ、思わず涙ぐんでしまいました。
そして、その姿を見たとき彼が亡くなったという現実を受け入れざるを得ませんでした。
「コロナが終息したら飲もうね」と約束し、また本音の議論が出来ると楽しみにしていただけに、残念でなりません。
倉田氏の私に対する生前のご厚情に感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げます。